軍旗
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軍旗(ぐんき)とは、広義においては、軍隊が国軍又は部隊を表章する旗章を指す。狭義においては、陸軍の連隊のそれを指す。海軍のそれについては「軍艦旗」を参照。
近代的軍隊創設以降は伝統的に連隊を恒久の基本的部隊単位としてきたことから(詳しくは連隊参照。)、連隊ごとに授与されるものが有名で連隊旗とも通称される。大日本帝国陸軍においては、連隊に授与される旭日旗を「軍旗」と呼称した。陸上自衛隊では自衛隊旗という。
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[編集] 概説
軍旗は、部隊長の所在を明示する目的や部隊の精神的支柱として古くから用いられてきた。ローマ帝国でも各軍団に固有の軍旗を有していた。
日本陸軍のみならず、多くの国の陸軍において軍旗は部隊の精神的支柱として神聖なものと考えられ、原則として再交付は許されず、敵の軍旗は鹵獲の対象となった。また、敵軍に軍旗を奪われることは大変な恥辱とされ、軍旗は命を賭して守護すべきものであると考えられる傾向があった。
原則として軍旗の再交付を認めなかった軍としては、ナポレオン時代のフランス軍や、日本陸軍などがある。
かつては戦場で連隊長のあるところには常に軍旗が掲げられ部隊の所在を明示していたが、通信機器の進歩により意味を失い、また連隊本部の所在を敵に示してしまうことから現在では戦場に掲げられることはなくなった。
[編集] 大日本帝国陸軍
十六条旭日旗が使用された。但し、海軍の軍艦旗とは異なり、旭日が中心に位置するもので、旗竿側の下部は白抜きになっており、連隊名が記入された。
[編集] 歴史
- 1870年(明治3年)5月15日 太政官布告により「陸軍御国旗」が定められる。これは、縦4尺4寸(約1.33m)で横5尺(約1.51m)の房なし十六条旭日旗である。
- 1874年(明治7年)1月23日 初めて軍旗が近衛歩兵第1連隊及び近衛歩兵第2連隊に親授された。
- 1879年(明治12年)12月2日 太政官布告第130号により、1870年5月15日制定の陸軍御国旗が廃止され、替って陸軍歩兵・騎兵・砲兵連隊の軍旗が定められる。この歩兵連隊軍旗は縦2尺6寸4分(約0.8m)で横3尺(約0.91m)、騎兵・砲兵連隊軍旗は縦横2尺1寸(約0.64m)の紫房の十六条旭日旗である。但し、騎兵連隊・砲兵連隊は実際には編成されていなかったので、授与されていない。
- 1885年(明治18年)1月10日 太政官布告により、砲兵連隊軍旗が廃止される一方、後備歩兵連隊軍旗も制定される。後備歩兵連隊軍旗は赤房である。
- 騎兵大隊が騎兵連隊に改編されるのに伴って、1896年(明治29年)11月18日に初めて騎兵連隊に軍旗が授与される。
[編集] 軍旗の扱い
軍旗は天皇から親授されたものであり、天皇の分身であると認識され、たいへん丁重に扱われた。天皇から親授された極めて神聖なもので、軍をあらわす旗という意味以上の存在とされた。軍旗の物品管理上の扱いは「兵器」であった。 ちなみに陸上自衛隊では勿論「武器」ではない。
最初に軍旗を親授される際は、「軍旗親授の儀」(皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令))により、正装・大礼服着用の上、諸式にのっとり宮中にてとりおこなわれた。歩兵連隊では第二次世界大戦中期までは軍旗祭が行われ、軍旗は国民に広く知られた存在であった。
連隊旗手は、新任の少尉、稀に中尉が務める。旗手の要件は長身、眉目秀麗・成績優秀であることが求められ、また暗黙の要件として童貞で、悪所通いをしない高潔な人物が選ばれた、軍旗には誘導将校や軍旗衛兵が付され、また戦場では軍旗を守護するために1個中隊が編成された。軍旗に対しては、天皇に対するのと同様の敬礼が行われた。日本陸軍においても、他国の陸軍と同様又はそれ以上に軍旗が神聖視され、軍旗を喪失することは極めて重大な失態と考えらた。軍旗奪還のために無謀な作戦を行い却って部隊が全滅に近い損害を受けるなど本末転倒ともいうべき事態も発生した。
また、完全に失われない限り、新しく下賜されることはなかったため、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などを経た歴史の古い連隊の旗は、周囲の房だけが残り、旗の部分が殆どなくなった状態のものがきわめて多かった。これは厳重に包んで丁重に仕舞いこんでいたために、かえって絹布製の旗が劣化し、強度的に強い房のみが残ったともいう。また作家の胡桃沢耕史は、破損した連隊旗は激戦を戦い抜いてきた象徴として名誉とされたため、人為的にひそかに手が加えられた結果とする証言を聞いたことを軍隊時代の体験記に記している。
終戦時、各連隊に奉焼命令(丁重に焼く)が出され、ほぼ全てが焼失した。これは、降伏して武装解除を受ける際に天皇の分身である軍旗を敵の手に渡すことを避けたためと見られている。但し、歩兵第321連隊においては、連隊長の後藤四郎陸軍中佐が旗竿のみを収めた軍旗箱を奉焼し、旗と菊花紋章とを神道天行居という団体の施設に隠したために現存している。これは靖国神社の遊就館に展示されている。
[編集] 軍旗に関する敬礼
陸軍礼式令(昭和15年1月25日軍令陸第3号)によると、第4章に軍旗に関する敬礼が定められている。軍旗に対して敬礼を行うのであって、軍旗旗手に対して敬礼を行うものではない。
- 軍旗の敬礼
- 軍旗に対する敬礼
- 抜刀将校や武装下士官兵の軍旗に対する敬礼は天皇に対する敬礼に同じである。すなわち、抜刀将校は刀の礼、武装下士官兵は捧銃・捧刀の礼を行う。
- 室内においては、拝礼する。
- 軍旗に行き遇い又はその傍を通過する者は、行進間においては停止し、乗馬者は乗馬のまま、乗車者は乗車のまま、軍旗に面して敬礼を行う。
[編集] 軍旗の奉焼等
- 歩兵第14連隊(1877年2月に賊軍に奪われた。)
- 近衛後備歩兵第1連隊(1904年6月15日に奉焼。翌年6月28日に再授与。)
- 歩兵第49連隊(1906年10月2日に失火により焼失。同年12月14日再授与。)
- 歩兵第64連隊(1939年8月29日に奉焼。)
- 歩兵第71連隊(1939年8月30日に奉焼。)
- ノモンハン事件中の1939年8月30日に、ソ連軍に包囲された同連隊は軍旗を奉焼する。連隊長は先に戦死していた。
- 歩兵第170連隊(1942年11月16日に海没。)
- 歩兵第28連隊(1942年8月21日に奉焼。)
- ガダルカナル島で1942年8月21日午後3時に奉焼するとともに、一木清直連隊長は自決(日本側の戦闘詳報)。その後証言により埋没処理と判明(ガダルカナル島の戦い)。
- 歩兵第29連隊
- ガダルカナル島の戦いで土中埋没処理を行う。古宮連隊長は自決。再親授後の軍旗は終戦時、仏印ビエンホア付近で奉焼。
- 歩兵第210連隊(1944年4月26日に海没。)
- 1944年(昭和19年)4月26日にバシー海峡で米海軍潜水艦の雷撃により輸送船乗船中の連隊長小池安正陸軍大佐とともに海没する。再交付されなかった。
- 歩兵第118連隊(1944年7月4日に奉焼。)
- 歩兵第135連隊(1944年7月4日に奉焼。)
- サイパン島の戦いで奉焼。連隊長鈴木栄助陸軍大佐は先に戦死していた。
- 歩兵第136連隊(1944年7月4日に奉焼。)
- サイパン島の戦いで奉焼。連隊長は小川雪松陸軍大佐。
- 歩兵第38連隊(1944年7月21日に奉焼。)
- 歩兵第18連隊(1944年7月25日夜に奉焼。)
- 1944年7月25日夜にグアム島で奉焼。連隊長大橋彦四郎陸軍大佐以下玉砕した。
- 歩兵第50連隊
- 歩兵第33連隊
- 1944年10月22日にレイテ島で奉焼。連隊長鈴木辰之助陸軍大佐以下玉砕した。
- 歩兵第9連隊(1944年10月頃に奉焼。)
- 1944年10月頃にレイテ島で奉焼。連隊長は神谷保孝陸軍大佐
- 歩兵第20連隊(1944年10月頃に奉焼。)
- 1944年10月頃にレイテ島で奉焼。連隊長は鉾田慶次郎陸軍大佐。
- 歩兵第2連隊(1944年11月24日夜に奉焼。)
- 歩兵第145連隊(1945年3月14日に奉焼。)
- 歩兵第22連隊(1945年6月24日頃に奉焼。)
- 沖縄戦中の1945年6月24日頃に沖縄南部で奉焼。連隊長吉田勝陸軍大佐以下玉砕した。
- 歩兵第89連隊(1945年6月24日頃に奉焼。)
- 沖縄戦中の1945年6月24日頃に沖縄南部で奉焼。連隊長金山均陸軍大佐以下玉砕した。
- 歩兵第278連隊(1945年8月16日に奉焼。)
- 1945年8月16日にソ連軍に包囲されたため奉焼。奉焼後、連隊は玉砕。
- 歩兵第32連隊(連隊長は北郷格郎陸軍大佐)
- 司令部壊滅後も敢闘を継続していた歩兵第32連隊は、終戦により米軍に投降する前日の1945年8月28日に軍旗を奉焼した。
[編集] 難を逃れた軍旗
- 歩兵第124連隊
- ガダルカナル島撤退時に連隊旗手小尾靖夫少尉がたった1人になりながら軍旗を守って生還した。
- 歩兵第115連隊
- ビスマルク海海戦で輸送船が撃沈されるが、2名が軍旗を守って30日以上海上を漂流したのち帰還した。
[編集] 陸上自衛隊
詳細は「自衛隊の旗」を参照
[編集] 旗の種類
陸上自衛隊で用いられる旗には次のような種類がある。
- 国旗
- 内閣総理大臣旗・防衛大臣旗・防衛副大臣旗
- 幕僚長旗(統合幕僚長旗及び陸上幕僚長旗)…生地は白地で帽章を中心として上部に桜星4個
- 指揮官旗(方面総監旗、師団長旗、中央即応集団司令官旗及び、旅団長旗・団長旗)・・「将」が指揮官の部隊旗については、生地は白地で帽章を中心として上部に桜星3個(旅団若しくは将補が指揮官の「団」で富士教導団・特科団・高射特科団長等は桜星2個、1佐(I)が指揮官の「団」(教育団等)は桜星1個
この内、隊旗については
- 部隊が儀式その他の公式の行事に参加する場合
- 部隊が自衛隊法第6章に規定する行動を行なう場合で部隊の長が必要と認めるとき
- その他部隊の長が特に必要と認める場合
に使用することができるものとされ、現代の軍旗の使用実態に合わせて、行事における使用目的が、本来の用途である戦場における部隊長の所在の明示目的よりも上位に列挙されている。
内閣総理大臣旗・防衛大臣旗・防衛副大臣旗の意匠は桜花(描かれた数により区別される)。
[編集] 自衛隊旗
陸上自衛隊において、軍旗に相当するものは自衛隊旗である。自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)第4条により内閣総理大臣は自衛隊旗を交付し、自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)第1条の2第1項により陸上自衛隊の連隊にのみ交付されることとなっている。
陸上自衛隊には後述のように連隊以外にも隊旗が授与されるが、次のような特異点がある。
- 法律の正条に規定されている(他の隊旗は訓令に規定されている)。
- 内閣総理大臣から授与される(他の隊旗については特別な規定はない)。
- 旭日旗である(他の隊旗の意匠は帽章)。
- 恒久的伝統的な部隊編成である連隊(詳細は連隊参照)にのみ授与される。
- 旗手には主に3等陸尉等が充てられる(国旗及び他の隊旗の旗手は主に各部隊の訓練准尉又は訓練陸曹等)。
自衛隊旗の生地はあや錦織で、地の彩色は白色、日章及び光線の彩色は紅、縁の彩色は金色とされている。横は108.9センチメートル、日章は直径41.5センチメートルとされる。
[編集] 自衛隊旗以外の隊旗
「自衛隊の旗に関する訓令」(昭和47年3月14日防衛庁訓令第3号)により、自衛隊旗以外の陸上自衛隊の隊旗についても定められている。群旗、大隊旗、中隊旗(甲)及び中隊旗(乙)である。これらは、いずれも陸上自衛隊の帽章の図及び横線によって構成されている。
これらの隊旗は部隊を表す旗であることには違いなく、隊員同士の結束を固める旗である。もっとも、実戦での効用はなく、また連隊本部の所在を示すことになりかねないので有事の際や日常で使用されることは殆どなく、使用されるのは式典においてのみのことが多い。
隊旗の色によりその部隊の職種を表し、横線の数により部隊の規模を表している。
- 群若しくは定員600名規模の連隊規模の部隊(後方支援隊などの縮小された部隊)又は隷下に3~5個大隊(中隊)程度を保有する連隊以上の規模でありながら名称が「隊」となる部隊等…横線3本(海外派遣部隊含む長官直轄部隊若しくは西部方面特科隊等が該当) 主に1佐級の指揮官の部隊が該当する(規模の大きな駐屯地業務隊等)。
- 大隊及び定員300名規模の部隊(戦車隊など大隊より縮小された部隊)若しくは後方支援連隊補給隊等、隷下に1~2個中隊程度を保有する大隊以外の隊「中隊(甲)に該当する」部隊等…横線2本(師団直轄中隊及び2佐が指揮官の中規模の駐屯地業務隊も該当)
- 普通科・特科・戦車等の中隊(乙)及び定員100名前後の部隊等(対戦車隊及び教育隊など中隊以上の規模の部隊及び規模の小さな駐屯地の業務隊含む)…横線1本
[編集] ドイツの軍旗 1918年-1945年
ドイツ語では日本語の旗に対応する単語が大きく分けて二つある。国旗掲揚台からスルスルと掲揚される旗はFlagge、旗竿に固定される旗は、Fahneと呼ばれる。ここでは第一次世界大戦後における軍旗の変遷について述べる。
ヴェルサイユ条約により10万人の兵力を制限されたヴァイマル共和国の軍隊は、1933年のヒトラーの政権獲得とともに大きく変化する。1935年にヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備が宣言されると、旧軍の連隊旗が式典に登場することを許され、1936年から順次新しい連隊旗が授与された。これはTruppenfahne(125cm x 125cm)と呼ばれ、各兵科毎に色と意匠が異なる。連隊名は旗の下端の旗竿に巻き付けられたリング(Battalion ring)に刻印されている。陸軍のみならず、潜水艦隊旗も戦闘機隊旗もある。同じ色と意匠でスワローテールの小振り(75cm x 51cm)の連隊旗も作られた。
また、ドイツではプロイセンの昔より忠誠宣誓式(de)に連隊旗が用いられている。新兵は左手を連隊旗に触れながら、右手を挙げ、人差し指と中指を立てて宣誓文を復唱する。第二次世界大戦もなかばを過ぎると、敵に鹵獲される連隊旗も多くなったことにより、1944年9月16日には連隊旗をすべてベルリンに回収する命令が出され、忠誠宣誓は連隊旗ではなくドイツ軍旗(de)を用いるように変更された。
[編集] 文献
- John R.Angolla and Adolf Schlicht: Uniforms & Traditions of the German Army 1933-1945 Vol.3 R.James Bender Publications, ISBN 0-912138-37-8, 1987
- 柘植 久慶: 『ヒトラー時代のデザイン』、小学館、ISBN 4-09-402605-3、2000年










