軽巡洋艦

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軽巡洋艦(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。防護巡洋艦の後継として登場した、火砲を主兵装とし、軽度な舷側装甲を施した比較的小型の巡洋艦をいう。「軽巡洋艦」とは「軽装甲巡洋艦」(Light Armoured Cruiser)の略であり、後に巡洋戦艦に発達した装甲巡洋艦と対置される。その名前から軽巡洋艦と対をなす重巡洋艦Heavy Cruiser)は、第一次世界大戦後のワシントン海軍軍縮条約の結果として軽巡洋艦から派生したものである。

目次

[編集] 歴史

[編集] 軽装甲巡洋艦の登場

艦船用機関の出力が乏しかった19世紀には、小型の戦闘艦に装甲を施すことは困難であり、装甲を備えた比較的大型の装甲巡洋艦と、舷側装甲の代わりに機関室の上の甲板を装甲して(防護甲板という)、舷側防御は石炭庫によって代用させる比較的小型の防護巡洋艦が別個に建造された。その後20世紀に入り、タービンや水管式ボイラーの発達、石油燃料の一般化などによって(1)機関の高出力化、(2)石炭庫による防御の非現実化という状況が発生したため、舷側に軽度の装甲を施した軍艦が防護巡洋艦に代わって登場する。これが軽装甲巡洋艦、すなわち軽巡洋艦である。

この定義に基づく艦はイギリスでは1910年に竣工したブリストル級、アメリカでは1908年に竣工したチェスター級偵察巡洋艦以降であるが、本格的な軽巡洋艦のスタイルを決定づけたのはイギリスのアリシューザ級(1914年竣工)である。アリシューザ級は常備排水量はわずか3,750トンに過ぎないが、水線部に最大3インチ(76mm)の装甲を施しており、石油専焼缶による蒸気タービン推進で28.5ノットの高速を発揮して「艦隊の目」としての地位を確立した。

[編集] 軍縮条約と軽巡洋艦

巡洋艦の位置づけは第一次世界大戦後の軍縮条約によって大きく変化した。1921年のワシントン海軍軍縮条約は主力艦(戦艦および巡洋戦艦)の保有・建造の制限を主目的とし、巡洋艦基準排水量10,000トン以下、主砲の口径を8インチ(203mm)以下のものと定義して保有制限の対象外に置いた。しかしこのことが巡洋艦に準主力艦としての地位を与える結果となり、今度は基準排水量10,000トン・主砲口径8インチの制限ぎりぎりの巡洋艦(条約型巡洋艦といわれる)の建艦競争が始まることとなった。

これをさらに制限しようとしたのが1930年のロンドン海軍軍縮条約である。ロンドン条約では、最高8インチ(203mm)の砲を備えている艦をカテゴリーA、6.1インチ(155mm)以下の砲を備えているものをカテゴリーBと定義した。以後、前者を重巡洋艦Heavy Cruiser)、後者を軽巡洋艦(Light Cruiser)とする呼び方が一般的となった。どちらの場合もワシントン条約と同じく基準排水量の上限は10,000トンとされた。

[編集] 第二次世界大戦後

重巡洋艦と軽巡洋艦の区別は軍縮条約に基づくものであるため、条約の失効以降は、単に主砲の口径の違いに過ぎなくなった。またその主砲の意義も航空戦力の発達にともなって相対的に低下した。

第二次世界大戦後、誘導ミサイルの発達とともに、当時まだ大型だったミサイル装置のプラットフォームとして多くの重巡洋艦・軽巡洋艦が転用され、ミサイル巡洋艦となった。その後、新規に建造される巡洋艦のほとんどはミサイル巡洋艦となり、「軽」巡洋艦という艦種は自然消滅していった。

[編集] 各国の軽巡洋艦

[編集] 日本

日本の軽巡洋艦は来るべき艦隊決戦の際に水雷戦隊を率いて戦うことを主目的とする点に特徴がある。大正期にいわゆる5500トン型が多数整備されたあと、第二次大戦期まで建造が途切れた。

特異な存在として潜水戦隊旗艦として計画された大淀、重巡洋艦の役割を持ちながら条約の制限により軽巡洋艦として計画された最上型、利根型がある。艦名はいずれも川の名である。

  • 利根型重巡洋艦 2隻(1938年):二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、公式には最後までそのままだった。

[編集] イギリス

海洋帝国イギリスでは植民地の保護や通商の確保、船団護衛などに多くの巡洋艦を必要とし、第一次世界大戦までに計画されただけでも15クラスを数える。

軍縮条約後は、イギリスは海外権益の保護や通商確保のために必要な隻数を揃えるために他国と比べて小型の船体最小限の武装を載せたタイプを整備していたが、太平洋の日米の建艦競争により軽巡洋艦の大型化・重武装が始まり、イギリスもそれに追従したために膨れ上がるコストと、国力の衰退による予算難のギャップに苦しむこととなった。

[編集] アメリカ

アメリカ海軍の軽巡洋艦は分類記号CLを持つ。重巡洋艦の記号CAは当初装甲巡洋艦に割り当てられ、これはCLとは別系統の番号が振られていたが、1931年(すなわちロンドン海軍軍縮条約)以降はCLと一連の番号が振られている。

[編集] ドイツ

ドイツの場合巡洋艦を大型巡洋艦 / 小型巡洋艦という独自の分類を行っている。以下には、小型高速、舷側装甲、砲155mm以下の基準に該当するクラスを上げる。

[編集] フランス

フランスは防護巡洋艦の建造を終了したあとも軽装甲巡洋艦の建造を行わず、重防御だが低速の装甲巡洋艦の建造を続けたため、軽巡洋艦の登場はワシントン海軍軍縮条約以後となる。

また、フランスはイタリアとともにロンドン海軍軍縮条約に加わっておらず、条約の制限も受けていない。ここではドイツの場合と同様、条件に合致するクラスを挙げる。

[編集] イタリア

[編集] ロシア帝国

ロシア帝国では、軽巡洋艦は従来の装甲巡洋艦と防護巡洋艦(両者を併せて一等巡洋艦と呼んだ)を代替する巡洋艦として設計された。

1910年代前半からロシア帝国で推進された艦隊整備計画では、バルト艦隊向けにセヴァストーポリ級戦艦を主力にイズマイール級巡洋戦艦、スヴェトラーナ級軽巡洋艦、ノヴィーク級駆逐艦が整備される予定であった。その後艦隊整備計画は拡張され黒海艦隊にもこれらの準同型艦が配備されることになった。

こうして新艦隊の一旦を担うはずであった軽巡洋艦であるが、第一次世界大戦の影響で建艦計画は大幅に遅れ、最終的にロシア革命で帝政は倒れ艦隊の整備もうやむやの内に終わってしまった。

  • スヴェトラーナ級軽巡洋艦 8隻(未完成)(1912年)
  • グラーフ・ムラヴィヨフ=アムールスキー級軽巡洋艦 2隻(ドイツ製、未完成)(1913年)

[編集] ソ連

ロシア帝国海軍艦艇の多くを継承した赤軍では、ソ連が形成された1922年末にスヴェトラーナ級の建造継続が決定されるも、結局3隻が巡洋艦として完成したに留まった。

しかし、1930年代になると各国で優秀な巡洋艦が建造されるようになり、ソ連でもその必要性が認められるようになった。こうしてイタリアの軽巡洋艦をもとに設計されたのが、ソ連最初の新設計艦となる26型巡洋艦(キーロフ級)であった。ソ連では正式には巡洋艦に軽重の類別は設けていなかったが、キーロフ級はその設計から軽巡洋艦と呼ばれることが一般的である。これは元来の意義での軽巡洋艦であり、ソ連が参加しなかったロンドン海軍軍縮条約の基準は考慮されていない。18cm砲を搭載しているという点に着目すれば、条約の基準に照らして「重巡洋艦」と呼ばれることになる。

その後の建艦計画は大祖国戦争の影響で延び延びになり、十分に巡洋艦が整備されるようになったのは戦後のことであった。それも1950年代にミサイル巡洋艦が整備されることになると計画が縮小された。

建造された巡洋艦のうち、68-bis型巡洋艦は各種試験艦や艦隊旗艦となる指揮巡洋艦に改修されるなどしてソ連末期まで現役に留まった。しかし、それらもソ連崩壊の影響からすべて退役となった。

[編集] 参考文献

  • 世界の艦船 1991年9月増刊号 日本巡洋艦史 海人社
  • 世界の艦船 1993年4月増刊号 アメリカ巡洋艦史 海人社
  • 世界の艦船 1996年11月増刊号 イギリス巡洋艦史 海人社
  • 世界の艦船 1998年12月増刊号 フランス巡洋艦史 海人社
  • 世界の艦船 2000年1月増刊号 イタリア巡洋艦史 海人社
  • 世界の艦船 2002年9月増刊号 ドイツ巡洋艦史 海人社

最終更新 2009年11月23日 (月) 15:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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