近代
近代の最新ニュースをまとめて検索!
近代(きんだい)は、世界の歴史における時代区分の一つで、近世よりも後で、現代よりも前の時代を指す。日本語の「近代」は、元々は英語の「Modern」、ドイツ語の「Neuzeit」の訳語として考案された漢語である。
目次 |
[編集] 概説
時代区分としての近代を象徴するものは、ウエストファリア条約による主権国家体制の成立、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の発達、ナポレオン戦争による国民国家の形成など、16世紀以降のヨーロッパで誕生し、現代世界を特徴付けている社会のあり方である。
19世紀以後、ヨーロッパで一応の完成をみた近代社会のあり方は、日本を初めとする非欧米諸国に伝わり、世界全体を覆うようになる。こうして成立した物が、地球上のほとんど全ての人が排他的な主権国家の国民となり、国民が集まってつくられた国家が構成員として参加する国際社会であった。この一連の過程が世界史における近代であり、近代以前の段階にある社会が近代的な社会のあり方を受け入れることを「近代化(Modernization)」という。
[編集] 範囲
通常、「近代」は、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社会体制が転換された後の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定される。これに対して、「近世」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立する前の時代と規定される例が多い。
その他の地域の歴史の時代区分についても多くの場合、「近世」「近代」「現代」の区分が用いられるが、進歩史観の一種である唯物史観の適用などが絡んで様々な説が提唱されており、時代区分が定まっていないことが大半である。
「近代」という語は、「現在の政体や国際社会の時代(現代)の一つ前の時代」という意味を伴う。この為、アジア史では、帝国日本の降伏による第二次世界大戦終結(1945年)を境にして「近代」と「現代」に分けられている。ヨーロッパ史でも、東欧革命(1989年)またはソビエト連邦崩壊(1991年12月)を境にして「近代」と「現代」に分けられているが、ソビエト連邦が崩壊する前には、サラエボ事件による第一次世界大戦勃発(1914年)を境にして「近代」と「現代」に分けられていた。
[編集] ヨーロッパ
ヨーロッパの歴史叙述では、伝統的にルネサンス以降を近代として来た。時代的な画期としては、西ローマ帝国が崩壊した476年を古典古代の終わりとする意識に対応して、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がオスマン帝国に打倒された1453年と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、東方の異質な文明を持つトルコ人に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)からイタリア半島に亡命してきた多くの学者が西ヨーロッパの古典古代研究を刺激し、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。
しかしながら、今日では資本主義、市民社会、国民国家といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方があらわれた18世紀後半から19世紀前半をもって近代の本格的な始まりとして、それ以前からルネサンス以降までの時代を「近世(初期近代)」として「近代」から区別することが行われている。その場合、大きな転機となったフランス革命の勃発(1789年)が転換点と見なされることが多い。一方で、日本の歴史学では、初期近代に当たる時代の区分として「近世」という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。
[編集] アジア
アジアの歴史では、欧米列強による植民地化に着目して、アヘン戦争から第二次世界大戦までが「近代」と見なされている。但し、アヘン戦争前から欧米列強に植民地化されている国家(例:インドネシア)が存在した点にも注意を要する。
- 日本
日本史では、江戸時代を「近世」、戦前を「近代」、戦後を「現代」と見なすことが一般的である。しかし、「近代」の始まりについては、新国家の成立に則って明治維新(1868年)による天皇家の政権奪還とする説と、江戸時代末期・1854年の日米和親条約による開国とする説の2説がある。近年の歴史学では、日本の近世を近代社会を成立させる前提条件が育まれた時代として評価することが増えている。
- 中国
中国史では、新国家の成立に則って中華民国(辛亥革命から国共内戦まで)と「近代」とする見方と、欧米列強の進出に着目してアヘン戦争から国共内戦までを「近代」とする見方がある。
[編集] イスラム世界
西アジア史では、ナポレオンのエジプト遠征以後が「近代」と見なされている。
[編集] 関連項目

