近鉄花園ラグビー場
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| 近鉄花園ラグビー場 |
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|---|---|
| 施設情報 | |
| 所在地 | 大阪府東大阪市松原南一丁目1-1 |
| 開場 | 1929年 |
| 拡張 | 1991年 |
| 所有者 | 近畿日本鉄道 |
| グラウンド | 天然芝 |
| 旧称 | |
| 花園ラグビー場(開場~戦前) 花園練成場(戦時中) 花園ラグビー場(戦後~1982年) |
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| 使用チーム、大会 | |
| 近鉄ライナーズ(ジャパンラグビートップリーグ) 全国高等学校ラグビーフットボール大会 関西大学ラグビーフットボールリーグ 全国大学ラグビーフットボール選手権大会 日本ラグビーフットボール選手権大会 |
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| 収容能力 | |
| 30,000人 | |
| アクセス | |
| 近鉄奈良線東花園駅徒歩10分 近鉄けいはんな線吉田駅徒歩15分 |
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近鉄花園ラグビー場(きんてつはなぞのラグビーじょう)は、大阪府東大阪市にあるラグビー球技場。日本初のラグビー専用スタジアムとして大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)が1929年(昭和4年)に開場した。現在は近畿日本鉄道(近鉄)が所有し、社会人ラグビーリーグであるジャパンラグビートップリーグに所属する近鉄のラグビーチーム(近鉄ライナーズ)のフランチャイズスタジアムとなっている。
国内有数のラグビー専用球技場であり、全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場として全国的に有名である。また高校ラグビー界では、「花園」は同大会を意味する言葉として用いられている。
目次 |
[編集] 施設概要
近鉄所有のメインスタジアムの他、同じく近鉄所有の第2グラウンドと東大阪市所有の第3グラウンドがある。メインスタジアムでの試合はトップリーグなどほとんどが有料の試合であるが、第2・3は地域のグラウンドとして小・中学生や高校の府大会準決勝以下の試合、大学の下部リーグなど無料での試合に多く利用されている。全国高等学校ラグビーフットボール大会では3スタジアムすべてをフェンスで囲み、一度入場すればどのグラウンドに見に行っても良いかたちになっている。
[編集] 第1グラウンド
メインスタジアム。一般的に「花園ラグビー場」と言えばこのスタジアムを指す。現在のスタジアムは1991年に完成したもので、3万人収容。メインスタンドは全面屋根架設。正面に生駒山を臨む。ゴール裏はメインから向かって右側には席がある(コーナー部分は立ち見)が、左側(電光掲示板)の付近にはスタンドはなく、芝生となっている。これは、かつてシーズンオフにゴルフ練習場として使用していた名残である。
2000年のシーズンには試験的にメインスタンド屋根の支柱とバックスタンドの広告看板に照明設備を取り入れ薄暮開催を実施したこともあったが、それ以後は行われていない。
スタジアム1階にはラグビーグッズを販売する売店や、ラグビーの歴史を展示する資料室がある。メインスタンド2階にはレストランもあり一般客も利用できる。
またメインスタジアム内部にはロッカールーム(大)が4室、同(小)が16室もある。これは第1~3グラウンドすべてを同時に使用する正月の高校ラグビー大会のためである。
[編集] 第2グラウンド
メインスタジアムの北側(スコアボード後方)にある近鉄所有のサブグラウンド。近鉄ライナーズの練習グラウンドでもあるため、練習用にナイター照明設備が用意されている。収容人員約1300人の簡易型観客席が設置されているが高さが4段と低いのでフィールド全体は見づらい。しかしフィールドに近いため選手のボディーコンタクトが間近にみられ迫力がある。
戦前(戦中)にはこの第2グランドに400メートル陸上トラックおよび2000人収容の木製観客席が作られた。しかし戦後は取り壊され、ゴルフ場経営の際にこの場所はハーフコースとなり、メインスタジアム東隣のグラウンドが第2グラウンドとされた。(旧第2グラウンド) そして正月の高校ラグビー大会開催時のみ第3グラウンドとしてフィールドが作られた。ゴルフ場経営を停止してからは常設の第3グラウンドとなった。
その後、花園中央公園多目的球技広場が完成し、旧第2グラウンド(メインスタジアム東隣)がなくなり、戦前同様に「第2グラウンド」に返り咲いた。
なお、旧第2グラウンドのスペース(メインスタジアム東隣)は、現在、北側半分がウォームアップ用の練習場であるが、南側半分は「松原南調節池」(水害対策用地下貯水池)の工事中で立入禁止となっている。
[編集] 第3グラウンド
メインスタジアムの南東に位置する東大阪市所有のサブグラウンド。隣接する花園中央公園内の施設との位置づけで、正式名は花園中央公園多目的球技広場(愛称:トライ・スタジアム)。日本陸上競技連盟の第3種公認陸上競技場。以前は第1、2グラウンドと同じくラグビー専用であったが、1990年代後半から移転し、多目的球場としてリニューアルした。旧第2グラウンドと並存していた時期があったこともあり、「東大阪グラウンド」の呼び名もある。観客席は2880人収容。
[編集] 歴史
- 1926年 - 大阪府中河内郡英田村(当時)の大阪電気軌道(大軌)社用地に花園競馬場が開場するも、数回の開催を行ったのみで閉鎖。
- 1929年11月22日 - 競馬場跡地に花園ラグビー場が開場。同地にラグビー場が建設されたのはラグビー愛好家でもあった秩父宮雍仁親王の意向によるものだと言われている。親王は勢津子妃とともに開場式にも臨席している。
- 1939年 - 第2グランドに400メートル陸上トラックおよび2000人収容の木製観客席が作られた。
- 1939年 - 9月29日に10周年記念試合開催(同志社大対関西ラグビー倶、京都帝国大対大阪帝国大)。
- 1943年 - 1月7日に行なわれた同志社大対慶應義塾大定期戦が戦前最後の花園での大学対抗ラグビーとなる。
- 戦時中 - 花園練成場と名を変え、パイロットの初等訓練施設に転用された。またメインスタンド上屋は軍需物資として供出するため撤去された。また戦争末期には食料増産のため農場となった。
- 1945年 - 10月4日より進駐軍(米軍第98師団)に接収され、アメリカンフットボールに使用される。またスタンド内部は倉庫にされた。翌1946年4月に近鉄ラグビー部の部員達が復員し活動を再開するがホームグラウンドである花園ラグビー場は使用できなかった。ただし1947年には米軍の許可を得て全国高専ラグビー大会が実施された。(スタンド内部には入れず。)
- 1949年 - 進駐軍の接収が解除される。
- 1953年 - この年の5月より「花園ゴルフ場」開設。第2・第3グラウンドをゴルフ場にして、第1グラウンドは打ちっぱなしにした。当時のゴルフブームに乗り、大阪市内から十数分で行けるのでヒットした。
- 1963年 - この年より全国高等学校ラグビーフットボール大会に使用されるようになり、以後定着。
- 1969年 - 3月21日に40周年記念試合開催(近鉄対早稲田大)。
- 1979年 - 開場50周年を記念して土盛りだったバックスタンドをコンクリート製に改造、スタンド内外の諸設備が改修された。総工費は約3億円(当時)。また9月11日に50周年記念試合開催(近鉄対ケンブリッジ大)。
- 1982年 - 名称が「花園ラグビー場」から「近鉄花園ラグビー場」となる。
- 1989年 - 10月22日に60周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
- 1991年 - メインスタジアムが改修され、収容人数が1万2000人から3万人に拡張される。
- 1999年 - 5月23日に70周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
- 2009年 - 3月4日に80周年記念試合開催(トップリーグオールスター戦=チャリティーマッチ)。6月にはラグビージュニア世界選手権の会場の1つとして使用された。
[編集] その他
- 東花園駅からラグビー場までの道のりはラグビータウンの様相を呈している。中でも正面入り口付近にある和菓子屋「絹屋」の「花ラグ饅頭」はお土産として有名である。
- 1999年には「国際グランプリ陸上・大阪大会」で長居スタジアムが使用できなかったため、5月8日にサッカーJリーグのセレッソ大阪-名古屋グランパスエイト戦が同ラグビー場の第1グラウンドで開催された[1]。現在までのところ、ラグビー以外の試合が行われたのはこの試合のみである。
- このスタジアムを運営する近鉄は赤字経営からの脱却を図るためレジャー事業の見直しを進めているが、2003年東大阪市から年間5,000万円の助成金(補助)を受けたものの赤字経営の解消には至っていない。
[編集] 交通
[編集] 脚注
- ^ 1stステージ第12節。9865人の観衆が集まった試合はグランパスのドラガン・ストイコビッチが2得点を挙げ(セレッソの得点者は西谷正也)、名古屋が2-1で勝利した。また、ゴール裏スタンドが片側にしかない(上記参照)というスタジアム構造のため、通常のサッカーの試合と違って「アウェー(名古屋側)ゴール裏」が存在しなかった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 近鉄ラグビー部による花園ラグビー場の紹介
- 近鉄ライナーズ
- 東大阪市花園中央公園(ここの多目的球技広場は第3グラウンドと称される)
最終更新 2009年10月11日 (日) 08:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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