逢坂誠二

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日本の政治家
逢坂 誠二
おおさか せいじ
逢坂誠二
生年月日 1959年4月24日(50歳)
出生地 北海道虻田郡ニセコ町
出身校 北海道大学薬学部卒業
前職 町職員
所属政党 民主党
称号 薬学士 (北海道大学 1983年)
世襲の有無
公式サイト 逢坂おおさか誠二の個人サイト

選挙区 北海道第8区
当選回数 2回
任期 2005年 - 現職
所属委員会 総務委員会(理事)
内閣委員会
議員会館 衆・第一議員会館740号室

ニセコ町長
当選回数 3回
任期 1994年 - 2005年
退任理由 衆院選出馬に伴う辞職
  

逢坂 誠二(おおさか せいじ、1959年4月24日 - )は日本政治家民主党所属の衆議院議員(2期)。元北海道虻田郡ニセコ町長(3期)。北海道虻田郡ニセコ町出身。

目次

[編集] 略歴

北海道ニセコ町生まれ。北海道倶知安高等学校北海道大学薬学部卒業。1983年、地元のニセコ町に入庁し、企画広報係長・財政係長などを務めた後、1994年にニセコ町長選に出馬し現職の町長を破り当選。なお、当時国内最年少の首長であった(35歳)。

町長在職中は情報共有に力をいれ、一般的な行政主体では公開しなかった情報を請求者に公開したり、町長が自ら集会所等に出向き住民との対話を図るタウンミーティングの先駆けとなる行動を行ったりした。また2001年には全国初の「まちづくり基本条例」を制定して注目された。

町長として3期目を迎えていた2005年9月、町長を辞職し第44回衆議院議員総選挙に比例北海道ブロックから民主党公認単独1位で立候補し初当選。2007年2月、7月に行われる第21回参議院議員通常選挙に比例区からの出馬を打診され応諾したが、4月に民主党の常任幹事会で選挙態勢が整わないなどとして異論が相次いだため、最終的に転出を見送った。

2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙において、小選挙区の北海道第8区から立候補、2期目の当選を果たした。

[編集] 活動・エピソード

  • パソコン通信時代からのネットユーザであり[1]SNSブログTwitterにおいて情報発信をしている。またネットを活用した政治活動を積極的に行っており、2009年6月17日に行われた国会での党首討論においてはテレビ中継を見ながらTwitterを用いて実況中継するなどしている[2]。パソコン通信(PC-VAN)で使っていたハンドルネームは、怪人ニセコである。
  • mixiに参加しており、「衆議院議員 逢坂誠二の日記」を立ち上げたり「革命を愛する」コミュニティに所属するなどしている。2009年7月3日にmixi公認アカウントを取得した。
  • 2009年1月8日、衆議院予算委員会質疑において、自分が見た夢の話を語った[3]
  • 2009年5月7日、相原久美子参議院議員が民主党議員有志を代表して平頂山事件の生存者3人と面会。「日本政府が謝罪もせず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。真の安定した日中関係を築くには戦後補償問題の解決が不可欠。皆様の要求が実現するように努力します」と述べ、被害者への公式の謝罪などを日本政府に求めていくことを約束し、謝罪書簡を渡した。この書簡に衆議院議員として署名している[4]
  • 2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙において、当選が確実になるや「当選確実なう」とTwitter上でつぶやいた事がネットで話題となった。

[編集] 著書

  • 『自治体再生へ舵をとれ』(共著) 学陽書房、2002年、ISBN 4313161031
  • 『わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦』(木佐茂男との共編著) 日本経済評論社、2003年、ISBN 4818815020
  • 『町長室日記―逢坂誠二の眼』 柏艪舎、2004年、ISBN 4434047248

[編集] 脚注

  1. ^日本の政治とTwitter - 党首討論ライブ中継の逢坂誠二議員に聞く(前編)」 ASCII.JP デジタル
  2. ^衆議院議員がTwitterで国会討議を「生中継」」 マイコミジャーナル
  3. ^衆議院TV 2009年1月8日 平成20年度補正予算(2)」 逢坂誠二(民主党・無所属クラブ)17時01分にて視聴可能
  4. ^辽一新闻」中国語

[編集] 関連項目

  • 長浜博行 - 第21回参院選に際し、現職衆議院議員から参議院議員へ転出

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月16日 (月) 18:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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