連合国 (第二次世界大戦)

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第二次世界大戦の勢力図。濃い緑色が真珠湾攻撃以前からの連合国参加国。明るい緑色は真珠湾攻撃以後の連合国参加国。

第二次世界大戦における連合国 (聯合国、Allies、United Nations)とは、枢軸国ドイツイタリア日本など)と敵対した国家連合。枢軸国から宣戦布告を受けた国、枢軸国に宣戦布告をした国、連合国共同宣言に署名した国が該当する。

目次

[編集] 語源

元来、第一次世界大戦の連合国と同じく「Allies」と呼んだが、1941年12月、フランクリン・ルーズベルトが「United Nation」と呼び、1942年1月1日連合国共同宣言 (Declaration by United Nations) 以来この呼び名が広まった。中国語では「同盟国」が「Allied Powers」、第二次世界大戦前の諸国連合 (United Nations) の名称としても用いられる。又、「国際連合 (United Nations)」には「联合国」(日本で用いられている漢字に直すと「連合国」「聯合国」)が主に用いられている。

現在の国際連合 (United Nations) は、この連合国が中心となって作られた国際機関であり、特に中心となったアメリカイギリスソビエト連邦フランス中華民国は、国際連合憲章によって安全保障理事会における「常任理事国」の地位が与えられ、拒否権などの特権を有する(なおその後、中華民国の常任理事国としての地位は、同国と対立する中華人民共和国がその地位を継承した。ソ連解体後はロシアが常任理事国を引き継いでいる)。

なお国際連合設置に際して、当初主要連合国は連合国に参加しなかった国家は中立国を含めて参加を拒絶する方針を取ったため、同大戦が終盤に差し掛かった1945年に入ってから中立政策を放棄して対独・対日宣戦に踏み切り、枢軸軍と一度も交戦しないまま大戦終結を迎えた国も数多く含まれている。

また、ドイツやその他の枢軸国から攻撃を受けた国の政府が亡命政府となり、戦争に参加している。戦後これらの亡命政府の多くは帰国したが、ソ連の影響力が強い地域の亡命政府は復帰することができない例もあった。また、戦後まもなく亡命政府の継承政権が打倒されることもあった。

ヤルタ会談における連合国首脳

これら連合国の三巨頭の米英蘇の中で、ソビエト連邦は冬戦争で国際連盟から追放されたのに拘らず、アメリカ政府とイギリス政府はナチスドイツを倒す為に、「敵の敵は友」の論理でソ連を連合国に加え、さらに中国国民党は中国共産党と国共合作で日本軍に対抗した。

第二次世界大戦で連合国は勝利したが、イデオロギーが異なるアメリカ・イギリス・フランスとソ連の間で対立が起きて、中華民国の国民党は台湾へ逃れ共産党率いる中華人民共和国になった。ソ連政府はベルリン封鎖を起こし、金日成を支持して朝鮮戦争が勃発し米英仏を主導とする国連軍と北朝鮮・中国軍が軍事衝突となった。以後は冷戦により米英仏の西側諸国とソ連の東側諸国に分かれて、冷戦が始まった。

[編集] 参戦順の連合国一覧

[編集] 1939年

ポーランド侵攻

[編集] 1940年

北欧侵攻
  • デンマーク(4月9日のみ)(1940年4月9日~1945年ドイツの占領下)
  • ノルウェー(4月9日)(1940年~1945年、本土はドイツの占領下となり、ノルウェー亡命政府が抗戦継続)
フランス・ベネルクス侵攻
ギリシャ・イタリア戦争

[編集] 1941年

ユーゴスラビア侵攻
  • ユーゴスラビア王国(4月6日)(1941年4月17日に全土占領。以降ユーゴスラビア王国亡命政府等が抗戦継続)
ソビエト連邦侵攻
日本軍の攻撃開始

[編集] 1942年

[編集] 1943年

[編集] 1944年

[編集] 1945年

[編集] 枢軸国側に宣戦したが、連合国とは認められていない国

[編集] 対日勝戦の署名国と代表者

第二次世界大戦における日本との戦争に関して、ミズーリ号での降伏文書調印の際に署名した国と代表者は、以下の通りである。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月21日 (土) 09:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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