連合軍軍政期 (朝鮮史)
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| 連合軍軍政期 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 군정기 |
| 漢字: | 軍政期 |
| 平仮名: (日本語読み仮名) |
ぐんせいき |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
クンヂョンキ |
| 英語表記: | Division of Korea |
連合軍軍政期(れんごうぐんぐんせいき、英語:Division of Korea)とは、朝鮮で連合国軍が軍政を実施していた、朝鮮史上の時代である。
目次 |
[編集] 概説
一般的に、大日本帝国が第二次世界大戦のポツダム宣言受諾を報じた1945年8月15日(敗北宣言を実施した日は1945年9月2日)を始まりとして、1948年8月15日の大韓民国成立と同年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国成立を終わりとする。連合国のアメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を分割したことで、結果的に資本主義国家と共産主義国家による朝鮮分割 (Division of Korea) という事態が生じた。
[編集] 背景
第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談では、朝鮮を日本の支配から解放する事を決めた。
第二次世界大戦末期、1945年2月のヤルタ会談にて、フランクリン・ルーズベルトとヨシフ・スターリンの間でソ連の日本への参戦が密約された。この密約における朝鮮の扱いは、当面の間連合国の信託統治とすることとした。
1945年5月7日には、ナチス・ドイツが降伏した。アメリカは対日戦争に総力を傾け、一方、ソ連もヨーロッパ戦線の戦力をシベリアに移動を開始する。
ポツダム会談の直前、アメリカは原子爆弾を完成させ、単独で日本との戦争に勝つ事が可能なことを確信した。8月6日にアメリカ軍が広島に原子爆弾を投下したことにより、大日本帝国の敗北が目前であることを察知したソ連軍は、直ちに8月9日に日本への参戦をする。日本は8月15日にポツダム宣言の受諾を予告したが、ソ連の作戦行動は続き、満州・南樺太・千島列島及び朝鮮半島北部の占領に成功する。
アメリカの駐モスクワ特使ポーリ(Pauley)と駐ソ大使ハリマンは8月13日に、ソ連が朝鮮半島に野心を持っていることを理由として、早急に朝鮮と満州を占領することをトルーマン大統領に建議した。しかし、日本がポツダム宣言を受諾した時点で、既にソ連は満州と朝鮮東北部に進駐を開始しており、主力がフィリピンにあるアメリカ軍を両地域へ投入することは非現実的との理由から、この提案は黙殺された。9月9日、朝鮮総督府が米軍への降伏文書に署名[1]。
[編集] 軍政下の朝鮮
日本がポツダム宣言の受諾を実施した1945年9月2日以降、朝鮮では呂運亨らによって9月6日に朝鮮人民共和国が宣言された他、中国で活動をしていた大韓民国臨時政府も朝鮮の正統な政府としての立場を主張していた。しかし、アメリカとソ連は朝鮮人による自主的な政府樹立の動きを承認せず、北緯38度線以北(北朝鮮)にソ連軍が、以南(南朝鮮)にアメリカ軍が進駐し、共産主義体制、資本主義体制をそれぞれの支配地域で確立していった。
[編集] アメリカ軍政下の南朝鮮
1945年9月7日、アメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮に軍政を布くこと宣言する[2]。同日、夜間通行禁止令を出す[2]。アメリカ軍政下の南朝鮮は、1945年9月11日以降に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が直接統治を担うようになった。しかし軍政庁は、朝鮮を効果的に統治する経験も能力も有さなかったことから、朝鮮総督府に従事していた日本人や親日派の朝鮮人人士をそのまま登用し、実質的に朝鮮総督府を継承した。1945年12月6日、アメリカ軍政庁は南朝鮮にある日本政府財産及び日本人の私有財産を没収する[3]。1946年1月7日、李承晩が信託統治の反対声明書を発表[4]。李承晩などの南朝鮮単独の独立を強行する動きに対して、1948年3月12日には独立運動家の金九、金奎植、金昌淑、趙素昂らが、南朝鮮の単独総選挙反対声明を発表する[5]。このような政治的対立が生じ騒乱状態となり、ストライキや主要人物の暗殺が相次いだ。1948年には大韓民国の独立を認めない済州島民や左派勢力などによる済州島四・三事件が起き反乱住民を鎮圧部隊を南朝鮮から送り込んで鎮圧を図った。
[編集] ソ連軍政下の北朝鮮
一方のソ連軍政は、以前から存在した共産主義系の独立運動組職を包容し、主要な親日派人士を弾劾・粛清していった。だが、ソ連軍政は当時少数の勢力に過ぎなかった金日成のパルチザン一派を重用し、朝鮮国内派や中国派と言った他の共産主義分派達を、金日成率いる朝鮮共産党(後の朝鮮労働党)の下へ強制的に編入させた。
[編集] 結果
[編集] アメリカ軍政下の南朝鮮
1948年5月10日、国連臨時朝鮮委員団(UNTCOK)の監視下で、制憲国会を構成するための総選挙が、南朝鮮単独で実施された。制憲国会は李承晩を議長に選出し、7月17日に憲法を制定・公布した他、李承晩を初代大統領に選出した。これにより、公式的には1948年8月15日に大韓民国第一共和国がアメリカに承認され、アメリカ軍政は廃止された。但し、大韓民国政府承認の批准案がアメリカ合衆国議会で可決されたのは1949年1月の事であった。1948年9月22日には独立国家大韓民国として反民族行為処罰法を公布し親日派の粛清を始め過去との決別を図った。
[編集] ソ連軍政下の北朝鮮
1947年11月18日、北朝鮮で北朝鮮人民委員会第3次会議が開催され、臨時憲法制定委員会が樹立された。その後、1948年8月25日の代議員選挙によって北朝鮮最高人民会議が設立され、9月3日には北朝鮮社会主義憲法が公式採択された。そして、9月9日に金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国の樹立が宣布され、10月12日にソ連の承認を受けることでソ連軍政は終焉を迎えた。
[編集] 脚注
- ^ 今日の歴史(9月9日) 聯合ニュース 2009/09/09
- ^ い ろ 今日の歴史(9月7日) 聯合ニュース 2009/09/07
- ^ 今日の歴史(12月6日) 聨合ニュース 2008/12/06
- ^ 今日の歴史(1月7日) 聯合ニュース 2009/01/07
- ^ 今日の歴史(3月12日) 聯合ニュース 2009/03/12
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月6日 (金) 15:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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