週刊ベースボール

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週刊ベースボール』(しゅうかんベースボール)は、ベースボール・マガジン社が発行する野球雑誌。1958年創刊。一般的な略称は「週ベ」。

目次

[編集] 概要

1911年創刊の「野球界」[1]1946年創刊の「ベースボールマガジン(現在も奇数月に発行)」のノウハウを活かし、1958年に創刊。同年は、『女性自身』(光文社)、『週刊明星』(集英社)を始め、数多くの週刊誌が創刊された年であり、週刊ベースボールもまた、当時東京六大学野球リーグのスター選手として活躍していた長嶋茂雄のプロ入りを契機に誕生した。創刊号の表紙は、長嶋と、同じく東京六大学で活躍しており、読売ジャイアンツ(以下、巨人)で三遊間を組んでいた広岡達朗が並んだ写真が飾られる。

当初は、その長嶋を始めとして、巨人に関する記事が中心の構成であった。これは、1965年から巨人が9連覇を達成するなど、日本プロ野球を牽引する存在であり、週刊ベースボールを始めとしたマスコミも必然的に巨人中心の報道している流れがあったためである[2]。一方で、12球団のみならず、当時貴重な情報であったメジャーリーグの記事も掲載することで、バランスを確保していた[3]。その上で、一貫性があり中身を伴っていた記事も評価され、選手や監督も大きな信頼を寄せていた[4]

以降、様々な週刊誌や野球雑誌が終刊していく中で、野球を専門的に取り上げる雑誌として生き残り続けた週刊ベースボールは、日本プロ野球全体を支え続ける雑誌に成長。後にプロ野球で活躍している選手で、少年時代、週刊ベースボールの愛読者だったという例も見受けられる[5]。選手にとっても、週刊ベースボールに自分の記事や写真が載ることは一つのステータスであり、特に表紙に載るということは名誉なことであった[6]

あらゆるメディアが野球を多角的に取り上げるようになった現在も、豊富な情報量と創刊時のポリシーを貫いた記事は健在で、野球関係者を含め読者に受け入れられ続けている。1993年6月7日号で創刊2000号を迎えたときには、創刊以来の雑誌の顔であった長嶋、王貞治による特別対談を掲載。2008年には創刊50周年を達成。50年間にわたりプロ野球の情報を提供し続けた雑誌として、その歴史も認知されている。

毎年2月中旬(大体10日前後の水曜日)には、12球団選手名鑑号が発売となる(ただし増刊号扱い。内容は名鑑以外は本誌とほぼ同様)。これは2月1日キャンプインで選手が一堂に会したところで個々の選手の顔写真を撮り、編集して製本化し、同様の他社発行の選手名鑑より先んじて最も先に店頭に並ぶのが特徴である。

現在は毎週水曜日発売。後述の企画の他、注目されている野球界の話題に関する連載やコラム、やくみつる4コマ漫画、読者によるアンケートのコーナー、独立リーグや日本国外のプロ野球リーグに関する情報などが掲載されている。

[編集] 主な企画

[編集] 対談・インタビュー

創刊以来、週刊ベースボールが売りにしてきたのが、選手や関係者の対談、インタビューである[7]。創刊の契機となる存在であった長嶋は、大学時代同級生であった杉浦忠と開幕戦を振り返る対談に登場したのを皮切りに、球界関係者を始めとして、芸能界や他のスポーツ界の著名人などとの対談を通して、週刊ベースボール誌上に最も多く登場した[8]

また、1959年には、シーズン中にも関わらず、当時同じパ・リーグで監督を務めていた、南海ホークス鶴岡一人西鉄ライオンズ三原脩の対談を掲載。より込み入った話を引き出そうと、ホストにプロ野球OB選手を起用して、連載企画とする期間もあった(連載企画で最も長く登場したのが佐々木信也[7])。こうした対談を通じて、選手や監督の声を提供し続けている。

[編集] フォーム紹介・解説

週刊ベースボールが創刊以来売りにしてきた企画として、各選手の打撃フォーム投球フォーム紹介も挙げられる。これは、各選手のフォームの連続写真を掲載し、解説を加えたもの。8ミリやアイモ改造機を経て、現在はビデオ撮影したものが誌面に掲載されている。創刊当初は今ほどビデオなどが普及していなかった時代背景もあいまって、選手のみならず、プロ野球選手を志す少年の読者層にも人気を博した[9]

[編集] 記録の手帳

「記録の手帳」(連載開始当初は「記録の手帖」)は、週刊ベースボール誌上最多を誇る連載企画。執筆は千葉功(元パ・リーグ公式記録員→記録部長)。各種記録を材料にしたコラムで、1961年1月4日号の連載開始以来ほぼ毎号掲載され、現在に至る。

千葉は「記録の手帳」の前身に当たる、「1960年の勝負手」という連載企画を1年間担当。「記録の手帳」の企画を依頼された際に、千葉は連載を続けられない旨を伝えるが、編集部から「500回でも1000回でも続けますから」と返されてしまい連載が開始。編集部に長期連載の真意があったかどうかは不明だが、千葉は長期連載のことを意識せず、ただ「記録を面白く読ませる」ということを目標とし、その姿勢は変わることのないまま、連載回数は1980年6月2日号で1000回、2000年2月28日号で2000回を超えてしまった。これは、企画開始当初、地方では事務所を見つけて手書きの原稿を発送していた作業が、現在ではメールを送れば済んでしまったり、資料を整える作業も、メジャーリーグの記録がインターネットですぐ手に入るようになるなどして、原稿を書く際に生じる負担が軽減されたのも大きい。千葉は「休載もなければそのピンチもない。もう、ここまでくると自分から『休載にしてください』とは言いかねますからね」と、今後の連載にも意欲を見せている[10]

なお、「記録の手帳」の1000回までの連載分を中心に再編集した「日本プロ野球記録史」(全5巻、1982年)、1000回以降2000回までの連載分を中心に105本を抜粋した「プロ野球 記録の手帖」(2001年)が刊行されている。

[編集] 連載小説

創刊以来、週刊ベースボールには、推理小説、恋愛小説を始めとした多くの連載野球小説が掲載されている。プロ野球をめぐるエピソードを作品化したものが多く、王貞治は週刊ベースボールで一番印象に残っているものとして、自身の1962年本塁打王獲得までが描かれた小説、『青春ホームラン王』(大和球士著。1962年11月14日号から1963年4月29日号まで全24回)を挙げている[11]

その他、主として以下の連載小説が掲載されている。

タイトル 作者 連載開始号 連載終了号 連載回数
黒いペナント 有馬頼義 1958年12月3日号 1959年4月15日号 20回
春の打席 藤沢桓夫 1959年4月22日号 1959年8月19日号 18回
眼鏡の打者 五味康祐 1960年1月13日号 1960年5月11日号 18回
10番打者 佐野洋 1961年11月27日号 1962年5月21日号 26回
地下球場 佐野洋 1962年8月20日号 1963年4月22日号 36回
まぼろしの監督 有馬頼義 1966年11月7日号 1967年4月17日号 24回
スポットライトの陰に ふしみゆう 1978年12月18日号 1979年1月22日号 5回
マジック・レース'85 川上健一 1985年1月7・14日合併号 1985年1月21日号 2回
ミスター 川上健一 1992年1月6・13日合併号 1992年1月20日号 2回
「丸ごとラッキーゾーン」の秘密 川上健一 1992年4月18日号 1992年4月25日号 2回

[編集] 豊田泰光の連載コラム

元西鉄・アトムズ内野手で野球評論家の豊田泰光によるコラム。タイトルは「豊田泰光のオレが許さん!」。1993年連載開始、本誌創刊50周年に当たる2008年にこの連載も15周年を迎えた。連載当初は「1年ほどで終了するだろう」と思っていたが、小学生から「毎週愛読しています」と応援されるなど、現在に至るまで連載が続いている。内容は、主に最近の野球界に関する話題を取り上げたもので、「野球界に警報を鳴らす雑誌になってほしい」「時代の変化の中でも、プロ野球の歴史を大事にするという一貫性があってほしい」という、豊田の週刊ベースボールへの思いがコラム内でも色濃く反映されている[12]

[編集] ボールパーク共和国

読者による投稿コーナー。ボ共と略される。主なコーナーは「きっといる」「なんとなく似ている」「ダジャレー夫人の恋人」「魔の三重殺」「あったら怖い」など。ネタの優秀な投稿者は週間・年間で表彰され、BBMカードなどが贈られる。1989年には同コーナーの傑作を単行本にまとめた「いきなりビーンボール」[13]が出版された。

やくみつるが同誌で連載する漫画(後述参照)では、同企画のコーナー名をネタに流用することがある。

[編集] その他の企画

[編集] 過去の企画

  • 岡田実(元NHKアナウンサー)のあけっぴろげ対談
  • アンラッキー・ブルース
    • 不運な形で球界を去った男たちのその後を追跡
  • 想い出球人
    • 1999年より連載(2006年、隔月刊ベースボールマガジンに移行)。過去に日本プロ野球に在籍した選手のその後を追ったインタビュー企画。
  • 球場のお嬢さん
    • 1996年春、畑田国男の連載(後述参照)が死去に伴い終了したことを受け、急遽開始された巻末のコーナー。後にCBCアナウンサーとなる和田あい(現在は主婦)が大学在学中に巨人の応援グッズに身を包んだ写真で載ったことがあり、松村邦洋がCBCテレビ「ミックスパイください」にゲスト出演した際にその切抜きを和田本人(CBC入社後)の前で公開したことがある。
  • バウすバウるギャラリー・松村邦洋のタイガース大図鑑
    • 1997年1999年に連載。松村にとって思い出のある過去の阪神タイガースの選手を自身直筆のイラストと文章で紹介(直筆の原稿用紙がそのまま掲載された)。1999年頃に「松村邦洋の新タイガース大図鑑」に改題し現役選手を取り上げるようになった。その後同連載をまとめ、書籍化もされた。空白の一日で阪神のユニフォームを着る事無く巨人に移籍した江川卓についても、阪神のユニフォームを着たイラスト付きで取り上げた。
  • 綱島理友のユニフォーム物語
    • 1999年2004年に連載(2005年以降は不定期)。日本プロ野球のチームで実際に使用したユニフォームを綿谷寛のイラストと当時の選手の写真を交えて取り上げた連載。2005年、掲載済の作品に加筆・増補する形で単行本「プロ野球ユニフォーム物語」として出版された。その後も単発という形で新たに登場したユニフォームを取り上げている。
  • 超野球学
    • 2000年代前半に連載。落合博満・梨田昌孝・江夏豊がそれぞれの野球哲学について語る、交代制のコラム欄。
  • 江夏豊の球界にんげん交遊伝「球人蔵」
    • 2000年代に連載。江夏が現役時代に交遊のあった選手・指導者などをつづった連載。文中、年上の人物に対しての敬称は「〜さん」(衣笠祥雄田淵幸一など、江夏と年齢の近い親しい人物は年上でも敬称略の場合がある)としていたが、江夏が好意的に思っていない人物(例として広岡達朗吉田義男野村克也など)に対しては「〜氏」としていた。なお、広岡、吉田、金田正泰が連載で取り上げられることは無かった(野村は連載初期に取り上げられたことがある。その中では後年の人間面での〔江夏から見れば悪い意味での〕変質を実感した旨を記す一方、恩人であることは執筆時でも認めているので、前三者に対してとは異なる感情を持っている模様である)。

[編集] 過去に連載された漫画

  • 畑田国男の球界珍獣図鑑→畑田国男の兄弟型野球学
    • 1コマ漫画とコラムで構成された巻末の連載コーナー(畑田の死去〔1996年3月11日〕により連載終了)。「〜球界珍獣図鑑」は、主に日本プロ野球界における選手・指導者を動物や幻獣に擬態化した1コマ漫画だった(MLB監督のトム・ラソーダが題材にされたこともある)。
  • 隠し球ガンさん
    • 1999年から2001年頃まで連載。老スカウトを主人公とした劇画(作:木村公一・画:やまだ浩一)。元々「コミックビンゴ」(文藝春秋発行の漫画雑誌)1996年6月号〜1999年2月号まで連載していた作品(ビンゴ連載分については文藝春秋より「BINGOCOMICS」レーベルで全4巻発売)。
4コマ漫画

4コマ漫画は、2001年初め頃まで上記の2本立てで掲載されていたが、その後「12球団ドガチャカ交流試合」に1本化された。

[編集] 脚注

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  1. ^ 1959年まで博文館→博友社から発行していた野球雑誌。途中「相撲と野球」(1943年)→「相撲界」(1944年)→「国民体育」(1944年)に改題していた。
  2. ^ 『週刊ベースボール50years 創刊50周年記念特別企画』pp.39,75. 他、同誌p.82より福本豊が「セ・リーグの記事が多くパ・リーグの記事が少なかった」と語っている
  3. ^ 『週ベ50years』pp.8,42,45. パ・リーグの記事が少ないという福本の意見に対しても、同誌p.83より江夏豊が「他チームの情報を得るために週ベを読んでいた」と語っているなど、当時の巨人中心の報道と一線を画していた面が見られる
  4. ^ 『週ベ50years』p.95. 他、pp.68-77などでOB・現役選手問わず高い評価を受けていることが窺える
  5. ^ 『週ベ50years』pp.72-77. 他、同誌p.46で大野豊、p.83で堀内恒夫、p.90で小林繁が少年時代愛読していた旨を語っている
  6. ^ 『週ベ50years』pp.68-77
  7. ^ 『週ベ50years』p.86
  8. ^ 『週ベ50years』p.8
  9. ^ 『週刊ベースボール50years 創刊50周年記念特別企画II』pp.52-53
  10. ^ 『週ベ50years』p.159
  11. ^ 『週ベ50years』pp.25-26
  12. ^ 『週ベ50years』p.94
  13. ^ 1989年8月発売。書籍コード:ISBN 4583027885
  14. ^ 参考:2009年新広島市民球場についての映像DVDソフトを取り上げている。
  15. ^ 作品自体は1988年発売の第1作(ファミコン版)について取り上げたが、Windows版の画面写真が掲載された。
  16. ^ 1978年1998年タカラから発売されていたカードゲーム。

[編集] 関連項目

ベースボール・マガジン社の創始者である池田恒雄が同県出身で、また同社の新潟支社が南魚沼市にあるなど縁故が深いこともあり、同球場の外野フェンスに当誌の広告を掲出している。

[編集] 参考文献

  • 『週刊ベースボール50years 創刊50周年記念特別企画』、ベースボール・マガジン社、2008年7月。
  • 『週刊ベースボール50years 創刊50周年記念特別企画II』、ベースボール・マガジン社、2008年11月。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月20日 (金) 16:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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