進め!電波少年

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進め!電波少年
ジャンル バラエティ番組
放送時間 日曜日22:30 - 22:54(24分)
放送期間 1992年7月5日 - 1998年1月1日
放送国 日本
制作局 日本テレビ
演出 土屋敏男(P兼務)
プロデューサー 長濱薫、小西寛
棚次隆吉川圭三(共にCP)
出演者 松本明子松村邦洋ほか
出演者を参照)
オープニング BEYOND「The Wall 〜長城〜」
エンディング テーマ曲を参照

特記事項:
ナレーター:木村匡也

進め!電波少年』(すすめ!でんぱしょうねん)は、1992年7月5日から1998年1月1日まで日本テレビ系列で毎週日曜22:30 - 22:54(JST)に放送されたバラエティー番組である。

目次

[編集] 概要

当初笑撃的電影箱枠内でスタートした本番組は、本来はウッチャンナンチャンの『七人のおたく』の撮影専念のため休止を余儀なくされた前番組『ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA』のつなぎ番組として、制作局から急遽土屋敏男に「何かやれ」と持ち上がったものであった。

[編集] 制作の経緯

当時ビッグタレントにおうかがいを立て、自分の本当にやりたい企画もすぐに拒否されるTV作りにうんざりしていた土屋は、数字取れなくてもいいからそのストレスを全部ぶつけてやろうと考えが、出演者の松本と松村は編成で既に決められており、当時二人を全く知らなかった土屋は「このツーショットなんて誰も見たくないだろう」と、後述の顔だけのCG合成を決めた。

当初の仮タイトルは「やったろうじゃん」。それではなんだからと、構成作家の都築浩が当時争論の的となった中村敦夫の発言から「怪傑電波芸者」を提案。しかし製作局長から「芸者はダメ」とNGが出たことを受け、同じく構成作家のそーたにが「電波将軍」(中京テレビでは、「電波将軍という番組が実際にあった」)と滑舌悪くいったところ、土屋らに「電波少年か、いいねえ」と勘違いされ、更に「少年なら「進め」だろう」ということでタイトルが完成した。この「電波少年」及び「進め!電波少年」という名称は、日本テレビ放送網株式会社が所有する商標(商標登録番号第3137022号他)にもなった。

社内的にはひっそりと始まった本番組ではあったが、初回の視聴率は12%と好調な滑り出しを見せた。また改編期における海外ロケを中心としたスペシャル「電波少年INTERNATIONAL」や、1997年以降に放送された大晦日特番も多大な人気を獲得。1998年には1月1日のスペシャルを区切りとし『進ぬ!電波少年』へとリニューアルされ、以後2003年までの10年強にわたる長期シリーズへと発展した。

[編集] 特徴・内容

スタジオトークではセットを用いず、松本明子松村邦洋の2人とゲストの顔だけを映し、CGアートをバックにクロマキーで出演者の顔あるいは上半身だけを合成するという、それまでにない斬新な手法が用いられた。たまに出演者の顔が横に伸びたり、破裂するなどの映像効果があったのもこの番組の特徴である。なお、その映像効果を付けるための機械「ヒット9000」は、当時、日本テレビを含め全世界に数台しか無かったという。

番組初期にはテレビ番組にめったに出演しない松任谷由実もゲスト出演した。また構成作家のおちまさとの妻(当時)が、なぜかゲスト出演したこともある。このほか、番組のプロデュースと演出を手がけた土屋がTプロデューサーとして、番組内でも若手芸人に使命を伝える場面で度々登場。彼の名を大きく知らしめた。

アポなしロケ

当初は「アポなしロケ」という、2人やゲストが事前許可(アポイント)を取らず多くの著名人に様々な依頼を敢行するという企画を中心に行われた。そのスリリングさから人気を博したが、たびたび「無礼だ」などと抗議の的となるお騒がせ番組でもあった。

アポなし企画は政治家をネタにすることも多く、そのため松本と松村の二人は永田町周辺ではブラックリストに載っていたとされている。南アフリカ共和国でのロケでは実際に当時の大統領ネルソン・マンデラと対面し、わざわざ日本から来た松村に驚くどころか感心していた。他にもアポなしでマフィアボスに会いに行ったり、暴力団事務所に行ったり、夜のスラム街に行ったりと、生命に関わる危険なロケも多かったが(松村は拳銃で脅されたことすらある)、それが視聴者の興味をそそり高視聴率を記録した。またアポ無し取材で原水爆禁止日本協議会(原水協)に「核廃絶推進番組」のお墨付きをもらったこともある。

ヒッチハイク企画

1996年4月に始まった「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」によって番組は空前の人気を博し、社会現象とまでなった。それ以降は無名のタレントを使ってまさに体を張った体験取材企画が中心となったことで、前出のアポなし取材は1997年以降ほとんど行われなくなり、松村も後述の理由から降板を余儀なくされた。

[編集] 出演者

司会
ナレーター
電波少年INTERNATIONALに登場したタレント
その他の主な企画出演タレント

[編集] 代表的なアポ無し企画

[編集] 憧れの227cmの岡山さんに会いたい!

第1回目の企画。松本が会いたい人は、『羽田のモノレールで見かけた大きい人』ということでスタッフが調査したところ、住友金属工業に務めている元バスケ選手の岡山さんということが判明した。会社に取材申請を入れたが、案の定拒否。しかし、Tプロデューサーの「いっちゃえ」という独断でロケ敢行。4時間待った後、会社前で帰宅途中の岡山さんを発見。「ファンなんです」「日本一のタカイタカイをして下さい」とお願いし、見事してもらうことに成功。松本は岡山さんにお礼を言いながら見送り感涙。ここにアポなしロケのスタイルが始まった。

[編集] 森英恵にスタッフジャンパーを作ってもらいたい

開始から3ヶ月ほど経ち軌道に乗りだした頃、松本と土屋が食事をしている時に松本が、「番組のスタジャン欲しいですね」といったところ土屋が「よし、森英恵に頼もう!」と発案し、松本は「エーッ!」と仰天したという。土屋は「絶対無理だろう」と内心確信していたが、後日松本によりこのロケは実行され、意外にも森は「いいじゃないの。やりましょう」と面白がり、作ってくれた。これが最初の大物ロケの成功だったと土屋は語っている。

[編集] アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!

PLO議長アラファトと「てんとう虫のサンバ」(チェリッシュ)をデュエットしたい!』という企画。「♪あなたと(アラファト)私が…」という歌詞に引っ掛けている。紛争地帯であるガザ地区に行き実際に会ったが、当然曲を知らない議長は歌えなかった。直筆のサインももらい、立ち去る松本に議長は優しく微笑みながら手を振ってくれた。アラファト死後、芸能人において唯一の接触者である松本には、マスコミからの取材が殺到した。

[編集] その他の企画

入れ墨バンドに「バウバウ」って刺青を入れてほしい!
ライブ突入シリーズロケの第1弾。盛り上がるライブ会場に何のアポもなく、警備、客を押しのけ松村とスタッフが突入。松村は舞台に上がり、入れ墨をお願いしようとするが、会場スタッフに取り押さえられ、ステージ下に下ろされる。警備、ファンから殴られ蹴られ、服は破られる松村。スタッフが必死に謝ってロケは終了した。これ以降、ライブ突入はシリーズ化したが、各所で警戒されることが多くなり突入が難しくなった。
有名人の豪邸のトイレでウンコがしたい!シリーズ
松村がロケ弁を食べ、その後下剤を服用し便意を催したら有名人にトイレを利用したい旨を交渉。ロケ途中で失敗<脱糞>してしまうことの方が多かったが、峰竜太海老名美どり夫妻宅では成功している。
電波少年を代表する下ネタロケであるが、回を重ねるごとに松村が下剤に耐性を付け始め、シリーズ後半になるにつれ下剤の飲む量が増えていったが、最後には下剤を克服してしまった。
一億円棋士、羽生善治と金銀飛車角桂馬香車歩落ちで戦いたい!
松村が羽生の自宅を突然訪問。「対決したい」との旨を伝えたところ了承してくれた。羽生は王しか使えなかったが、松村に勝利。
明石康代表に明石焼を食べさせたい!
出川哲朗が成功させたロケ。
村山富市の長い眉毛を切りたい!
松村の突然の申し出にも笑顔で対応。見事成功するも切り落とした眉毛をなくしてしまう。
この高価なお茶碗で、ご飯が食べたい!
人生が変わる1分間の深イイ話・2008年6月9日放送分で紹介。坂本瀧山(陶芸家)製作高級茶碗で松本がご飯を食べた。坂本曰く「用の美」(実際の使用時こそ、陶器の美しさそのものが最大限になる)。

上記以外にも、経営があぶなくなった新宿末広亭を「広末亭に改名すればいい!」と、勝手に作った看板を持って山田花子が突撃するも、受付で門前払いされたり、フランスの世界的作曲家ポール・モーリアを松本が訪れ、作曲を無理やり懇願。「ネコなんだもん」というタイトルで作曲してもらうことに成功するなどの企画も放送された。

[編集] その他の企画

[編集] NHK紅白に出たい!

元々アイドル歌手でもあった松本明子のはかない願いから、「紅白に出たい!」とNHKに猛アピール。頻繁にNHKに通っていた。紅白歌合戦の最中、NHK前で前述の「ねこなんだもん」を絶唱。紅白にも「入れてやれ」という意見が多く届いたという。3年後、ついに合唱団員として潜入し紅白のステージに立った。NHKのカメラに松本が映し出されたが、手には「紅白もらった」というがあった。現在でも、松本がNHKのバラエティ番組のゲストとして出演すると、「松本さんは実は紅白に出てたんですよ」と、必ずといっていいほどこの映像が紹介される。

[編集] バツイチになりた〜い!

レストランのテーブルにて、松村との結婚に募集してくれた女性と松村は婚姻届にサイン、婚約指輪を渡す。 「3日間、一週間、一ヶ月いずれかの別居か同居」を選ぶことになっていたが女性は「3日間の別居」をオーダー。初夜をともにできると期待に膨らんでいた松村の落ち込みは激しかった。ここで松本が登場し、「バツイチになる為に離婚届を書いていただきます」と離婚届を渡すと、女性は「はい」と即サイン。松村、「離婚し……ますか?」と苦悶する。レストランの玄関で見送る際に「僕達夫婦だったんですよね」「別れても幸せになってください」としつこいまでに別れを惜しんだ。これにより、松村は戸籍上「バツイチ」である。

[編集] 松村の本名を変えたい!

放送当時はバルセロナオリンピックに沸く1992年。飛躍の年にすべく五輪にちなみ、「松村バルセロナ」に戸籍上の改名をしようと番組側が提案。実家に行き松村が父に「お父さん、ここでひとつ松村バルセロナという名前に改名しようと思うんです。」と告げたところ、父は「そら、えかろうよ。」「名前はお前のものだから」と何と了承。家庭裁判所に申請し、結果を待ったが家庭裁判所が却下した為、許可は下りなかった。

[編集] 渋谷のチーマーを更生させたい!

番組の名物企画。夜毎、暴力事件を起こすチーマーたちを立ち直らせたいと、松村がチーマーに変装し渋谷センター街へ。更生した若者には更生証明書を渡す準備をしていた。数人のチーマーに注意すべく近づいたところ「なんだこいつ? チーマー? テメエが?」と、あっという間に大勢のチーマーに囲まれ、路地の奥へと引っ張り込まれていく。カツラをはぎ取られ松村であることが判明、また隠しカメラも見つかりチーマーは激昂。松本は無線で「松ちゃん、ものまねでなごませろ!」と指示を出すも、皮ジャンをはぎとられた松村は「やっちゃおうぜ」と、チーマーたちに腕をつかまれどこかへ強引に連れ去られようとする。松村、腕を振り切り、ロケバスへ一目散。辛うじて最悪の事態は免れた。

[編集] その他

エアMAX狩りをやめさせたい!
当時人気のナイキエアMAX95を履いた松村が、(しかも靴が目立つようにとパンツ一枚で)池袋西口公園に一人で突入するも、すぐに人がたかり蹴られるなどの暴行を受ける。さらにエアMAXを履いてることをチーマー達に気づかれ一気に襲われたため、ロケバスに戻ったが靴を盗まれてボロボロになっていた。だが、接着剤でくっつけていた靴底だけは死守したと満足げだった。
青島東京都知事に会いたい!
断られ続けていたが十数回に渡る交渉の末、ようやく実現。都庁サイドから番組スタッフには「いい加減にしろ」と相当な圧力があったらしい。
ユン・ピョウは本当に強いかどうかを検証したい!
日テレ前、仕事を終え車に向かおうとしていたユンピョウを待ち伏せしていた松村がハリセンで「ユンピョウ覚悟~」と襲いかかる。しかしハリセンは届かず、周りの数人の韓国人ボディーガードに捕まった挙句本気で蹴られ、ユン・ピョウからも攻撃を喰らうなど散々な目に遭う。当時の篠木プロデューサーは「これはテロだ」と、オンエアに反対したが、スタッフでもう一度見直したところウケが良かったのでオンエアした。このあとジャッキー・チェン宮沢喜一とシリーズ化する。
地球温暖化を食い止めたい!
温室効果二酸化炭素の20倍もあるとされるメタンが多く含まれたゲップを松村が吸い取る企画。なお、この企画が2008年6月8日放送の日本テレビ開局55年記念特番「Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル」のコーナーとして16年ぶりに復活し、松村と関ジャニ∞横山裕がこのロケに挑んだ。
アポなしサンタ
リースの掛かっている家に、サンタの格好でプレゼントを渡しに行く企画。プレゼントのおもちゃは松村たちがゲームメーカーやオモチャ会社に赴いて直接ゲットしたもの。電波少年にしては珍しく毒気の無い企画だった。1995年12月24日放送ではこの企画の1時間スペシャルが放送されている。「進め」終了後は雷波少年に移行。また「進ぬ」でも小池栄子がプレゼントを持って「アンコールワットへの道の舗装」の応援へ向かう「小池栄子のアポなしサンタ in カンボジア」が行われた。
男を磨く旅
山崎邦正がヘタレキャラを返上するための企画。スペインの牛追い祭りに参加したり、タイで虎と対決したり、南米でコンドルの羽を取ろうとしたりした。牛追い祭りに参加したときは、地元のニュースに取り上げられて、しかも、「韓国人が空手で牛と戦っていました」という内容で放送されていた。(この時のゲストは木村拓哉)虎との対決では、待機&対決用の檻に入れられていて、虎が出たときに、山崎は失禁してしまった。
無敵のセールスマン
ふかわりょうカラオケボックス専用ゲームソフト、『電波少年的ゲーム』(開発はハドソン。後にセガサターンプレイステーションで全国発売)をセールスマンとして売り歩く企画。この企画は「進ぬ」初期でも引き続き放送された。
ハウス加賀谷の助っ人シリーズ
ハウス加賀谷が世界遺産などの修復作業に助っ人として参加する企画。アンコール遺跡マチュ・ピチュなどに赴いた。サグラダ・ファミリアの建築の手伝いをしに行った際、名前を聞かれて「カガヤ!(Caga Ja=スペイン語で大便しろの意)」と答え失笑を買う一幕もあった。このとき勝手に立入禁止の場所に入ったとの理由で、現場監督から追い出され、数時間にわたってサグラダファミリアの前で正座をさせられた。
キャイ〜ンのはじめてのおつかい
キャイ〜ンの天野ひろゆきウド鈴木ドイツオランダへ別々に入国し、何とかして国境へ辿り着き「この帽子ドイツんだ?」「オラんだ〜」というダジャレを言うという「おつかい」をする、という企画。天野は順調に国境へ辿り着くが、ウドをこっそりと付けていたスタッフが途中で見失うというハプニングに見舞われるも、数日後れでウドが到着し、無事おつかいをこなした。後半では本番組初となるヒッチハイクロケを決行。スタッフ・視聴者に好評で、後の猿岩石の企画にも繋がった。
48時間テレビ
1992年の8月に本家の「24時間テレビ」に対抗して、電波少年独自で「48時間テレビ」と題したイベントを行った。この功績が本家に認められたのか、1993年の『24時間テレビ16「愛の歌声は地球を救う」』に松本・松村がチャリティーパーソナリティとして参加した(正式には「お手伝い」という名目)。
電波少年刑事
ビビるが出演。ある事件の取材中に被害者女性宅をカメラで撮影し110番通報されるトラブルが発生。取材は打ち切りとなり、警視庁からの抗議を受けた日本テレビから土屋が厳重注意処分を受けた。無敵のセールスマン同様、「進ぬ」初期に1回のみ放送された。後に雷波少年で「雷波少年刑事」という企画も放送された。

上記以外にも、番組から電波子(現・滝島梓)というアイドルタレントを生み出し、それの妹分・電波子2〜28号を登場させるという企画や、女性タレントの広告ポスターに対し「小便を漏らしているようだ」と抗議していた(地方)議員に、「それはお漏らしとは言わない」と松村が自らオムツ姿で出向き、実際にお漏らししているポスターを持っていった企画も放送された。

[編集] ヒッチハイク横断

1996年4月、Tプロデューサーにアイマスクをつけさせられ香港に連れて行かれた無名のお笑いコンビ芸人猿岩石は、そこで「ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断、ロンドンがゴール」という壮大な目的を果たすよう告げられる。猿岩石が選ばれた理由は、むこう半年間のスケジュールが全く白紙だから、という理由だった。

企画の推移

軽い気持ちで引き受けた2人だったが所持金の10万はすぐに底をつき、その後は日雇いアルバイトをしながら食費、交通費を稼ぎ心身ボロボロになりながらヒッチハイクを繰り返し西へと向かった。インドを過ぎた辺りから高い人気が出始め、視聴率は急上昇。他の企画が押されるはめとなり、松村降板にもつながった。爆風スランプによる応援歌「旅人よ」も発売されたり、ヒッチハイク時代を書いた「猿岩石日記」もシリーズ累計で250万部のベストセラーになったりと反響は大きかった。

一方で、猿岩石は全行程をヒッチハイクだけでゴールしたとされていたが、道中で数回ヒッチハイクでない飛行機を使っていたことが判明した。ルートの途中には内戦などのため治安が悪いところがあり、大事をとって飛行機に乗ったものとしているが、番組では判明するまで全く触れていなかった。日本テレビの氏家齊一郎社長(当時)は「(バラエティーという)番組の性質上、倫理とか道義的な責任はないと考える」とコメントし物議を醸した。

企画終了とその後

幾度のリタイヤの危機を乗り越え、1996年の10月にゴール。この時は船越雅史(日本テレビアナウンサー、当時)が実況レポートを担当し生放送が予定されていたが、当日に読売ジャイアンツの優勝決定試合が入ったため、急遽録画に切り替わった。ゴールに際しTプロデューサーからチケットが渡され「今度はアメリカ南北大陸」と言われたが、猿岩石がこれを断ったことによりこの企画はドロンズに受け継がれ、猿岩石ほどではないが高い人気を博した。ヒッチハイクは番組の顔となり、『進ぬ!電波少年』でも「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断」「80日間世界一周」などとシリーズ化された。なお、猿岩石は後年、この事について「帰りの飛行機の中、スタッフは般若の如く怒り狂っていた」と語っていた。

また本番組とは関係ないものの、2007年11月には有吉弘行が「ブレイクした頃の輝きをもう一度取り戻すキッカケにしたい」という自らの希望で東北横断ヒッチハイクを行い、DVDも発売された。

また2009年8月30日の24時間テレビ愛は地球を救うでヒッチハイクの模様が紹介された。

[編集] 松村降板騒動

1997年4月13日朝日放送制作・テレビ朝日系で放送された「ゴールデンナイター阪神×巨人戦(甲子園)の中継に松村邦洋がゲスト出演した際、当時土曜日の『サタデージャングル』レギュラーであったことから「この後の『サンデージャングル』を見てください」と発言。

「サンデージャングル」は11時からで電波少年は10時半からの放送だが、その日は「おしゃれカンケイ」が60分スペシャルのため、30分遅れで11時からの開始になった。このため電波少年の裏番組を応援する発言をしたという理由で強制的に番組出演自粛させられる。しかし、視聴者から「松ちゃんを許してあげて」などの要望が多数寄せられたため、松村はすぐに復帰を果たす。ところが今度は逆に「松村を許してんじゃねーよ!」などの苦情が殺到したとして、再度降板となる。すると、態度をはっきりしない日テレに対して「ふざけているんですか」という苦情が寄せられるようなったとして、番組内で(木村匡也が軽薄な口調で)「ふざけてます♥」と回答。これが新たに批判を生み出すことになり、結局テレゴングによる視聴者投票によって再び復帰するが、「進め! 電波少年」終了に伴い"卒業"という形で勇退となった。また、「進め-」末期では一時期松村のロケしてきたVTRがほとんど放送されず、松村が「僕のロケ映像が全然放送されない」と言い、深夜のフィラーの時間に「松村邦洋のひとり電波」という5分程度のミニ番組が放送されたが、2回で打ち切りとなった。

後になって土屋は自分の著書の中で、「番組改編であり、最初から決まっていた」と証言している。すなわち、これはプロレスでいうアングルで、松村はただひっかけられていただけであり、「サンデージャングル発言」は全くの無関係であった。

また、土屋は著書の中で、電波少年が有名になったことで、アポなしをしても相手が歓迎してしまうという、今までのケースが成立しないロケも出てくる一方、猿岩石の大成功から「これからはヒッチハイクが主になる」と考えていた。アポなしの顔である松村も同時期に「豪邸でウンコ」シリーズなどで奮闘したが、松村は「自分の出番が無い!」という事自体が一番ウケており、司会進行役の松本は残すにしても、その後の番組の構成上、外さざるをえなかった、としている。簡単に言えば「アポなしをやめるから松村に降板してもらう」というのが一番の理由である。ただし、「進め! 電波少年といったら松村。」とその功績を認めている。

[編集] エピソード

  • 松本は「電波少年は『オシャレ30・30』と『ガキの使い』のつなぎですから」と発言したことがある。
  • 土屋は女優・高橋ひとみが番組の熱烈なファンと聞き、ゲストに呼んだ回で「おっぱい見せて欲しい」と番組でお願いしたが、当然通じる訳も無く、言われた高橋はショックで泣いて帰ってしまったという。その模様は放送されなかった。
  • 一方で番組スタッフはロケ後、謝罪を繰り返し、オンエアーにつなげた。長濱プロデューサーは「ディレクターや作家の力量もありますが、この番組成功のおおもとは人柄だと思います。僕らは何度も何度も広報の人に頭を下げてオンエアーできるようにがんばってきたんです。」と語っている。
  • 「松村が貴女のストーカー問題を解決します」として視聴者からの依頼を募集したことがあったが、結局その企画が放送されることはなかった。
  • 松本が日本テレビの連続ドラマに出演している時期、そのドラマに出演している俳優がゲストの回では必ずと言っていいほど最後に「先週の電波少年見た?」もしくは、「先週の猿岩石見た?」というセリフを言って欲しいというアポ無し企画があった。

[編集] 各地方の放送時間

放映枠がローカルセールス扱いとなっている関係上、ローカル番組の放送や他番組の遅れネットなどにより同時ネットされない地方も存在した。

中京テレビ(『P.S.愛してる!』)
テレビ信州(『信州2230TV』)
よみうりテレビ(『大阪ほんわかテレビ』)
広島テレビ(『進め!スポーツ元気丸』)
FBS福岡放送(『ナイトシャッフル』)
上記ローカル番組を同じ時間帯で放送している都合上、同時ネット化はされておらず、日本テレビでの放送から6日遅れの土曜17時から放送されており、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」も続いて放送されていた。
福井放送
秋田放送
四国放送
いずれもナショナル劇場の遅れネットのため、特番を除いて同時ネット化はされていない。(四国放送は末期までは特番をのぞき未ネットだった。)
山口放送
山口朝日放送開局以前は、テレビ朝日時代劇のうち、本来は木曜20時台に放送される作品(「名奉行 遠山の金さん」ほか)の時差ネットのため、やはり特番を除いて同時ネットされなかった。
高知放送
高知さんさんテレビ開局以前はフジテレビの連続ドラマ(木曜劇場などの月9以外の枠)を番販ネット、その後も「THE夜もヒッパレ」を遅れネットしていたため、特番を除いて日曜日の昼に時差放送していた。
札幌テレビ放送
日高晤郎のスーパーサンデー』(一時期青森放送でも同時ネットされていた)の放送を優先したため、開始当初は日曜昼の時差放送だったが同番組の終了後同時ネットになった。
山梨放送
初期の数年間は関西テレビの『ねるとん紅鯨団』や『ハンマープライス』を放送していたため、同時ネットされなかった。「ハンマープライス」が土曜昼に移動してからは同時ネットとなった。
青森放送
1997年3月までは1週遅れで日曜正午→水曜深夜に時差ネットしていたが、1997年4月以降日本テレビ同時ネットとなった(お祭り特番などの場合は時差ネットであった)。
テレビ岩手
当初より遅れネットとなっており(同時ネットされていた時期もあり)、後番組である『進ぬ!~』がスタートしてからも、2000年4月に日本テレビ同時ネットとなるまで遅れネット状態が続いていた。
西日本放送
番組スタートから同時ネットしていたものの、初期ではローカルの特番で潰れることがちょくちょくあった。
ミヤギテレビ
笑撃的電影箱』時代にはこの時間は『モット!モット!TV』を放送していたため、木曜深夜に3ヵ月半遅れで放送していたが、後に同時ネットになった。
大分放送テレビ大分
当初3ヶ月程は大分放送でネットされ、その後テレビ大分での遅れネットとなった。

[編集] テーマ曲

オープニングテーマ曲
  • BEYOND 「The Wall 〜長城〜」
エンディングテーマ曲
  • ただ抱きしめるだけの愛で悲しませないつもりなんて/パーコパコ
  • たとえば、ずっと・・・/松本明子
  • シンネコしましょう/MASAHARU&NAMIKO
  • レミレミ/神森徹也
  • I LOVE FIFA WORLD CUP/李博士
  • Ivory trees/La'cryma Christi
  • FOOL/PARADISE LOST
  • とまらない鼓動/VINYL

[編集] スタッフ

[編集] 参考文献

  • 土屋敏男「電波少年最終回」 日本テレビ放送網 2001年 ISBN 4-8203-9790-7

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月2日 (月) 20:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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