過干渉
過干渉の最新ニュースをまとめて検索!
過干渉(かかんしょう)とはある対象に必要以上の干渉を加えること。語感の似る過保護とよく混同されるが、別のものである。
目次 |
[編集] 概要
現在、この語が主に使用される場面は親子関係の問題に関する場合で、他にも祖父母と孫の関係や、叔父や叔母と甥や姪など、主に「保護者と被保護者」の関係にて用いられる。これとは別に、嫁と姑のような別々の環境に育った者が当人の意思とは別のところで一緒に住むことになって、片方が一方的な干渉をしてくる場合に同語が引用される場合もあるが、これはやや別の話である。
混同されがちな過保護との差は、親が被保護者を一人間として認めようとせず、その子供の意思や思考、自我や自主性等を一切否定して、操り人形の如く何もかも親の意のままにコントロールしようとするのが過干渉であり、子供の意思が尊重され過ぎ過剰に欲求を満たそうとしたり、被保護者自身に責任のある状況下で責任を肩代わりし過ぎてしまうのが過保護である。
過干渉する親は、人間が自己を確立し将来自立する為に必須である自己主張や感情表現、異性や恋愛への興味や渇望、趣味を持つこと、志望校や将来の職業選択など対象者の思考一切を否定、禁止して、己の価値観を無理やり押し付けたり、特に問題行動や不審な点などの理由もないのに対象者のプライバシーを暴いて晒し物にして叱責したりし、対象者を精神的にがんじがらめにする。なおプライバシーは、家族間でもこれをみだりに暴くことに関しては個人の尊厳に基づく人権の侵害とみなされる場合がある。
なお後述するように、思春期や反抗期など自我の発達する段階では、しばしば他者の干渉に不快感をおぼえる傾向もあるが、保護者は対象者に対して監督責任があり、被保護者の行動が社会的にみて不適切な場合は、これを調べて行動を阻むことも家庭教育の範疇では当然の行為である。しかし過干渉という場合には、社会通念上で容認できる範疇を逸脱して、被保護者の行動を全般にわたってコントロールしようとする傾向と解される。
[編集] 構造
過干渉する親達は「対象者を必要以上に心配し、幸せになるのを望んだ愛情からの躾け」であるとしたがるが、実際は対象者を一つの人格を持った人間である事を認めることが出来ず、『子は親の所有物である』といった観点で自らの価値観や好み、思考を一方的に押し付けて支配下に置きたがる親のエゴが見出される。
また夫婦間の不仲等日々の不満の捌け口として、対象者が活き活きと幼児期や思春期、青春時代を過ごし人生を謳歌することに対して、嫉妬や怒りを抱き、抑圧して自分よりも弱い立場の人間を家族内に作り出して置きたい、また、対象者が外の世界や人に興味を持ち親の支配下から離れるのを許せず、永遠に支配下に置いて将来の介護要員として家に縛り付けておきたい、といった非常に屈折した心理も見出される。
過干渉の問題では、子は親から条件付の愛情しか与えられず、保護者によっては「躾の一環」として対象者者の交遊関係にまで強引に介入(干渉)しようとする為、対象者は過干渉の結果、親の逐一の批判や干渉が煩わしく、ストレスや罪悪感を覚え過大なエネルギーを消耗するため、対人関係そのものに背を向ける様にもなる。
又、幼児期から批判、抑圧されるのが常であった為、自己肯定感が低く、他者と接する事や自己主張や感情表現を遠慮する大人しい人間に成長するので、他者からイジメの対象にもされ易くなる。結果、コミュニケーション能力、同世代との対人関係や、自主性が育まれることなく成長せざるを得ず、思春期に差し掛かるあたりから何らかの問題が起きてくる事が多いと考えられている。
日本に於いては『母原病』(1979年)などの言葉も出ているが、少子化の陰で子供一人当たりが親に影響される時間の延長から、より生活の細々したことに対する注文が出易くもなり、当人の自主性よりも親の意向が優先される傾向も見られる。その根となる部分には保護者側が被保護者の存在に依存している部分があり、いわゆる子離れのできない保護者像も同問題に絡んで指摘される。
但し、この問題に関しては二次反抗期にある子供が親の干渉を煩わしく感じる時期があるだけに、これら「親のお小言」に対する反発感情との混同には注意すべきである。過干渉による問題では、干渉による支配には内心で疑問を持ちながらもこれに従ってしまわざるを得ない(始めから『従う事』以外に一切の選択肢は与えられていない)子の葛藤や、親に「欲望や自主性を持つ事は悪い事だ。又は、生意気だ」と幼児期からマインドコントロールされて来た為に、親に指示されないと自身の行動計画が立てられなくなっている場合などがある。その意味では、むしろモラトリアム期間に適度な発憤行動が見られる方が健全と言える。しかしモラトリアム行動も社会的に度が過ぎる場合にはやはり問題であるため、ことは単純ではない。
[編集] 問題点と改善点
被支配が過度に及んで自立心が充分に養われていない被保護者は、まず自身が行動計画を立てられなくなっていたり、批判抑圧ばかりされてきた為に自分が人並みの幸せや快楽(友達や恋人を作ること、趣味を持ったり買い物をしたりするという基本的な欲求)を望む事にすら罪悪感を持ってしまったり、又興味を失ってしまっていたりし、自身の人生設計を立てられなくなり人生を立ち止まらざるをえなくなる。
又、自我が形成されていく段階に於いて、同世代の人間との交友や恋愛といった経験からコミュニケーション能力や対人関係を構築していく術を学ぶ機会が無いまま思春期や青春時代を過ごして大人になってしまう為、成人しても社会に順応する事が出来ず、社会から取り残されてしまったりもする。
この問題に際しては、保護者側に対しては過干渉は心理的な虐待だと一刻も早く自覚させる事が必要と考えられ、同時に被保護者に対しては「自分の人生は自分の物。親の顔色をうかがう必要は無い」といった世間的にはごく当たり前の事に気づかせ、回復のための取り組みが必要と考えられる。
もっとも、過干渉する様な保護者は家庭内教育や躾の方針に関して、絶対的な自信(ポリシー)を持っている場合が殆どであり、被保護者や第三者からの意見を素直に受け入れる様な保護者であれば、始めから過干渉などせずに被保護者を見守っている筈であり、被保護者が過度の抑圧や干渉による精神的ストレスを何十年分も溜め込んだまま(発散する事にまで罪悪感を持ってしまう様、教育されてきた為)成人して、社会に適合出来なくなっている被保護者の姿を見て初めて自らの教育方針の過ちに気付くケースが大半を占める。

