達増拓也
達増拓也の最新ニュースをまとめて検索!
|
たっそ たくや
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1964年6月10日(45歳) |
| 出生地 | 岩手県盛岡市 |
| 出身校 | ジョンズ・ホプキンス大学大学院修了 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 国家公務員(外交官) |
| 所属政党 | 無所属(2007 - ) 民主党(2003 - 2007) 自由党(1998 - 2003) 新進党(1996 - 1997) |
| 称号 | 修士 法学士 |
| 世襲の有無 | 無 |
| 公式サイト | インターネット知事室 |
|
|
|
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2007年4月30日 - |
|
|
|
| 選挙区 | 岩手県第1区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1996年10月 - 2007年3月 |
| 退任理由 | 岩手県知事選挙出馬のため |
達増 拓也(たっそ たくや、1964年(昭和39年)6月10日 - )は、日本の政治家。岩手県知事(第7代)。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
[編集] 外交官から「小沢学校の優等生」へ
岩手県立盛岡第一高等学校、東京大学法学部を経て、外務省入省。在米大使館書記官、大臣官房総務課課長補佐などを経て、1996年(平成8年)の第41回総選挙に新進党から出馬して初当選。当時「小沢チルドレン」と呼ばれていた同党初当選議員のなかでも小沢の最側近の一人として活動。中選挙区時代に小沢の地盤ではなかった県北部の岩手県第1区で4回連続当選を飾るなど、「小沢学校の優等生」と呼ばれていた。 田中真紀子外務大臣に対し「精神病患者。」と発言し物議を醸した事もある。
[編集] 岩手県知事
[編集] 政治的基盤
2006年(平成18年)、小沢と距離を置いていた岩手県知事・増田寛也の4選を阻止するため候補者選びに奔走していたが、達増本人以外に増田に勝てる候補者が見当たらず8月、知事選への出馬を表明した。当初は民主党公認での出馬を検討していたが、他の国政野党との協調や、自民党支持者を取り込むために無所属で出馬した(民主党は推薦)。 陣営は「圧倒的勝利」を目標とし、後援会・党組織をフル回転。「小沢の地元入り=負け」という程ハードルを高くし、結果的には45万票(得票率59.7%)超を獲得、次点の自民推薦候補(得票率20.9%)に3倍の差をつけ、ザ・グレート・サスケを供託金没収に追い込み大勝した。なお、選挙に当たってはマニフェストを掲げた。
知事選と併せて執行された岩手県議会議員選挙でも民主党単独過半数の獲得を目指したが、結果は過半数にわずかに及ばなかった(ただし、県議会第一党の座は確保)。詳細な議席配分数は「岩手県議会」を参照。
[編集] 知事としての施策
岩手県知事としては8年ぶりに政務秘書を起用。知事就任して直ちに、増田県政下で常態化したコンサルタント業者への政策立案の外注を全面的に見直すことを宣言し、停滞した県庁の立案能力の復活を促した。
マニフェストで公約した県北・沿岸振興に取り組むため、関係町村長と意見交換を行う。また、自ら高校で英語の授業を行うなどの行動に出ている。
[編集] 地域圏の見直し
広大な面積を有する岩手県は、地域によって異なる生活実態に応じて9の「広域生活圏」を設定し、圏ごとに設置した地域振興局を通じて行政運営を行ってきたが、平成の大合併の成果を踏まえて、その見直しを表明。4つの「広域振興圏」を設定した。
[編集] 財政政策
[編集] 就任直後の予算
当選直後、補正予算を編成。マニフェストとして掲げた県北・沿岸振興、芸術・文化事業、教育事業などへ配分が中心で、平泉の世界遺産登録を見越した準備費、岩手医科大学の入学定員増に対する補助、県産の農産物の中国向け輸出拡大を図るための調査費用などが盛り込まれた。原案通り議会で可決され、平成19年度の岩手県の一般会計予算規模は、7300億円余りとなった。基礎的財政収支は5億円の黒字となり、県債残高は縮減した。
[編集] 平成20年度当初予算
全国的に財政格差が問題になり、福田康夫内閣は5年ぶりに地方交付税を増額する措置をとったが、格差是正策への決め手とはならず、一般会計予算規模は6500億円台(前年度予算は7300億円)となった。予算規模が大きく減ったのは、県債残高を分かりやすく表示するために公債費を一般会計から分離したためで、実質的な減額幅は40億円程度である。
歳入は、地方交付税や国庫支出金(△200億円)、地方消費税減収の影響で、300億円程度減。このため、職員給与の減額を実施し、人件費を60億円(△3%)縮減。公共事業費も30億円(△3%)縮減するなど、苦しい財政運営となった。基礎的財政収支は、2年度続いた黒字を維持することができず、77億円の赤字となった。
予算編成にあたって達増は、防災・企業誘致・農林水産業の振興・地域医療の確保などに、限られた財源を「選択・集中」する考えを強調した。
[編集] エピソード
衆議院議員鈴木宗男の証人喚問で尋問を行うなど、与党追及の急先鋒とみられていた。また、インターネットが一般化する前からパソコン通信を用いた情報発信を行うなど、先駆的な広報活動で知られ、当時マスコミから"サイバー議員"と呼ばれたことがある。
プロフィールには好きな言葉として「『浩然の気』(『孟子』より。義を行うとき感じられる)」をあげているが、これは出身校である岩手県立盛岡第一高等学校の校歌の一節でもある。
石原慎太郎東京都知事を会長とする「北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会」に、47都道府県のうち、唯一不参加を表明した。上田清司埼玉県知事が「達増知事は外交は国の専管事項だと狭義に捉えている」と批判した[1]ことに対して、達増は「活動の応援や呼び掛けはしている。しかし岩手の外で責任を持って奔走するのは困難と判断した」と説明した[2]。その後一転参加を表明した[3]。
フジテレビ系バラエティ番組『笑っていいとも!』にて、司会の森田一義(タモリ)が描いた南部鉄器のイラストが放映されたのを機に、それに対する感謝の手紙を番組宛に送付していた。手紙は達増本人の顔写真とともに番組内で紹介され、その内容は番組レギュラーの千原ジュニアによって代読された。[4]
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 1983年(昭和58年)
- 3月 - 岩手県立盛岡第一高等学校卒業。
- 1988年(昭和63年)
- 1991年(平成3年)
- ジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院修了。
[編集] 政歴
- 1996年(平成8年)
- 10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙(岩手1区・新進党公認)当選、67,420票。
- 2000年(平成12年)
- 6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙(岩手1区・自由党公認)2期目当選、74,835票。
- 2003年(平成15年)
- 11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙(岩手1区・民主党公認)3期目当選、91,025票。
- 2005年(平成17年)
- 9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙(岩手1区・民主党公認)4期目当選、95,109票。
- 2007年(平成19年)
[編集] 脚注
- ^ 埼玉県知事記者会見・平成21年1月13日(火)
- ^ 岩手県知事記者会見・平成21年1月19日知事会見記録
- ^ asahi.com:マイタウン岩手 「拉致救出知事の会」達増氏一転し入会
- ^ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』「発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会」のコーナー。2009年11月18日放送
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- インターネット知事室 - 岩手県サイト
- 民主党岩手県連
|
|
|
|
||||||||||
|
|||||||||||
最終更新 2009年11月20日 (金) 14:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【達増拓也】変更履歴





