那須烏山市

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那須烏山市
なすからすやまし
日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
団体コード 09215-1
面積 174.42km²
総人口 29,842
推計人口、2009年10月1日)
人口密度 171人/km²
隣接自治体 さくら市那珂川町高根沢町
市貝町茂木町
常陸大宮市
市の木 -
市の花 -
市の鳥 カラス
那須烏山市役所
所在地 〒321-0692 栃木県
那須烏山市中央一丁目1番1号
電話番号 0287-83-1111(代表)
外部リンク 那須烏山市
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那須烏山市(なすからすやまし)は、日本の一つ。栃木県の東部にある。人口は約3万人で県東部地域の政治、経済、行政の拠点都市。那珂川県立自然公園に位置し、那珂川荒川の清流、八溝山系に属する緑豊かな里山が織り成す景観に恵まれている。国の重要無形民俗文化財に指定されている「山あげ祭」や龍門の滝、温泉など歴史文化・観光資源が豊富な地域である。 2005年平成17年)10月1日那須郡烏山町と同郡南那須町新設合併により発足した。

目次

[編集] 地理

県庁所在地である宇都宮市より北東へ約32km、JRの列車で約1時間の距離である。塩那丘陵の南端に位置し、八溝山地丘陵地を東にのぞみ、市の中央を清流那珂川が流れる。

  • 山:八溝山地、塩那丘陵
  • 河川:那珂川、小貝川、荒川、江川
  • 湖沼:

[編集] 地名の由来

  • 応永年間、沢村五郎資重が、稲積城(那珂川の東側にあった)から城を移築する際、当初、那珂川の東側の山へ築城しようと用意をしていた。そのとき一羽の烏が飛来し、金の弊束(へいそく)を咥え、那珂川の西側の一番高い山の頂上にその弊束を落としたことから、それを見た資重は「烏は熊野権現の使いというから権現様のお告げではないか」と、那珂川の西側の山に城を築いた。それ以来、その城を烏山城ということになった。この話は昔から伝わる伝説で、そこから「烏山」という名がでてきたといわれている(烏山に伝わる民話「烏山の民話」からの要約)。

[編集] 隣接する自治体

[編集] 歴史

[編集] 鎌倉時代から江戸時代まで

  • 1213年 - 1218年建保年間) 那須十郎が越前国より紙漉き職人を招き、程村紙(ほどむらし=厚手の和紙、程村は現那須烏山市下境地区にあった地名に由来、和紙伝来の起源は諸説ある)を創製。程村紙(烏山和紙ともいう)は国選択の無形文化財であり、今日でも地元学校の卒業証書等には透かし入りの程村紙が使用されている。
  • 1418年応永25年) 沢村五郎資重が稲積城から烏山城址(寿亀山:現在の那須烏山市城山)に烏山城を築いたのがこの町の始まりである。
  • 1560年永禄3年) 領内に疫病が流行、時の烏山城主・那須資胤(すけたね)が八雲神社に病魔退散を祈願。祭礼に際し、奉納余興を行う。今に伝わる山あげ祭が始まる。
  • 1590年天正19年) 成田氏長が、武蔵国忍(現在の埼玉県行田市)から2万石で入封し烏山藩が立藩、以後領主は次々と替わることになる。
  • 1600年慶長5年)大田原氏の一族大田原増清により交代寄合として、現那須烏山市森田地区に森田陣屋が築かれた。
  • 1725年享保10年)10月 大久保常春烏山藩に2万石(1728年(享保13年)に1万石加増し3万石となる)で入封し、その後1869年明治2年)の版籍奉還まで8代続く。本領のほか相模国にも飛地領を配し、相模国厚木村(現在の神奈川県厚木市の一部)は烏山藩(大久保氏)の支配となり、同所にも役所が置かれた(厚木陣屋)。
  • 1836年天保7年) 烏山藩の借財は34,000両余に達し(『相模原市史』)、窮状に陥る。翌1837年(天保8年)、二宮尊徳を招聘、天性寺境内にはお救い小屋が設置され、延べ1万余人が救済されるものの藩の復興はままならなかったという。

[編集] 明治時代以降那須烏山市誕生まで

  • 1871年8月29日(明治4年7月14日廃藩置県烏山藩は廃藩となり、一時烏山県となったが、同年12月25日11月14日)に宇都宮県に編入。
  • 1874年(明治6年)5月1日 維新学校(現・烏山小学校)開校。
  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、那須郡烏山町・向田村(むかだむら)・境村(さかいむら)・七合村(ななごうむら)が発足。
  • 1907年(明治40年) 私立烏山学館(現・烏山高等学校)開校。
  • 1921年大正10年) 烏山町立実践女学校(現・烏山女子高等学校)開校。
  • 1923年大正12年) 国鉄烏山線(現在のJR烏山線)が開通する。
  • 1947年昭和22年) 荒川村立荒川中学校(現・荒川中学校)学制改革により新設。
  • 1986年(昭和61年)8月 那珂川洪水により、市内の宮原地区、向田地区など大被害。
  • 旧烏山町
1954年(昭和29年)3月31日 烏山町と境村、向田村、七合村が合併し、新・烏山町となる。
1954年(昭和29年)6月1日 下江川村と荒川村が合併し、南那須村となる。
1971年(昭和46年)9月1日 町制施行。
  • 南那須地区広域合併構想の経緯
南那須地区(旧烏山町、旧南那須町、旧小川町、旧馬頭町の4町)では、古来から経済的・地域的なつながりが深いことから、平成の大合併にあわせて地区合併協議会を設置した。一度は合併で合意し、公募により「那須南市」の新市名も決定された。しかしながら、市役所庁舎の建設計画などで対立が顕在化し、2004年(平成16年)10月30日に4町合併協議会は解散、広域合併構想は頓挫した。旧小川町と旧馬頭町は那珂川町となり、旧烏山町と旧南那須町が合併し那須烏山市が発足した。
※4町合併後の新市名称として、「なかがわ市」「なか川市」「那珂川市」「那須那珂市」「那須みなみ市」「那須南市」「那南市」「みどり市」「八溝市」「やみぞ市」「那須烏山市」「那須みどり市」「みどり野市」「鮎川市」「那須やみぞ市」の15点が候補としてあがった。

[編集] 那須烏山市発足以降

[編集] 行政

[編集] 歴代市(町)長

  • 旧烏山町
沢村一郎(さわむら いちろう)
岩﨑義一(いわさき ぎいち)
福田弘平(ふくだ こうへい)
  • 旧南那須町
神野紘宇(かんの ひろいえ)
大谷範雄(おおや のりお)
  • 那須烏山市
大谷範雄(おおや のりお)

[編集] 人口

那須烏山市と全国の年齢別人口分布 那須烏山市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 那須烏山市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 33,562人
1985年 33,854人
1990年 33,699人
1995年 33,535人
2000年 32,790人
2005年 31,152人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 経済

歴史的にみて、栃木県東部の経済的な拠点であった。近年は交通網の整備が進み宇都宮市さくら市などに進出している郊外型店舗、市内の事業活動低迷により斜陽の傾向にある。那珂川中流域の要衝としての観光資源に重きをなしている。第1次産業が盛んである。

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

[編集] 小学校

  • 市立小学校
    • 荒川小学校
    • 江川小学校
    • 烏山小学校
    • 興野小学校
    • 境小学校
    • 七合小学校

[編集] 幼稚園・保育園

  • 幼稚園
    • 烏山みどり幼稚園
    • 聖マリア幼稚園
  • 保育園・保育所
    • 烏山保育園
    • 宮原保育園
    • 七合保育園
    • 境保育園
    • すくすく保育園(旧 向田保育園)
    • 小木須保育園
    • にこにこ保育園
    • 学童保育げんきっ子クラブ荒川
    • 学童保育げんきっ子クラブ江川

[編集] 交通

[編集] 鉄道

中心となる駅 烏山駅

[編集] バス路線

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 出身有名人


最終更新 2009年11月24日 (火) 10:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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