那須野巧

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那須野 巧
千葉ロッテマリーンズ #47
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都豊島区
生年月日 1982年10月4日(27歳)
身長
体重
192cm
84kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年5月15日
年俸 2,300万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

子どものころは近鉄のファンで、大石大二郎ラルフ・ブライアントがいた頃のスタメンは今でも言えるほどである。駒場学園では伊藤秀範と同期であった。

日大では東都大学リーグで4年生春に5勝0敗、防御率0.39(1位)の活躍でチーム6季ぶりの優勝に貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。第53回全日本大学野球選手権大会で準優勝して敢闘賞に選ばれた。世界大学野球選手権日米大学野球両日本代表に選ばれる。東都大学リーグ通算50試合登板22勝10敗、防御率1.97、219奪三振。日大では佐藤義則以来8人目の20勝投手になる。

2004年、大学No.1左腕の評価を受け、ドラフト自由獲得枠で横浜に入団。

[編集] プロ入り後

2005年

5月15日にプロ初登板・初先発。5月22日の対西武戦で先発し5回を4失点(自責点は2)でプロ初勝利を上げた。しかし即戦力と期待されながら1勝しか挙げられなかった。シーズン最終登板のヤクルト戦でその日引退試合だった佐藤真一に流し打ちであわやホームランという大飛球(フェンス直撃の二塁打)を浴びた。

2006年

主に鶴岡一成とのバッテリーで、交流戦を中心に前年とは別人のような投球を見せる。開幕から好調で、8月18日を終えた時点で83回を投げて防御率2.71と横浜投手陣上位の成績だったが、この後の3試合合計で12.1回自責点18と打ち込まれ、結果として防御率4.05となってしまった。これは、好投していながら突然「四球病」を起こし、その後打ち込まれるなど精神面の弱さが表れており、今後の課題といえる。

現に8月11日の東京ヤクルト戦では8回まで5安打の好投を見せ、点差も5点差と安全圏内な状況から突然の「四球病」により、9回無死満塁のピンチを招き降板。プロ初完投を逃している(試合は交代したマーク・クルーンが後続3人を抑え勝利)。

2007年

5月くまきりあさ美との熱愛が報じられたが、年末に破局。大矢明彦監督の下で手薄な左のリリーフとして1年間起用され、木塚敦志に次ぐチーム2位の63試合に登板し、防御率3.79の成績を残した。4月にはプロ初セーブも記録。オフに左肩甲骨下角滑液包炎(かかくかつえきほうえん)治療のため手術を行った。

6月24日に行われたオリックス戦で中継ぎとして登板。しかし四球とエラーでピンチを招き、実況の椎野茂は、変化球ばかりを投げる那須野に対し「なぜあそこでインコースのストレートを使わない。使えないのか。使いたくないのか。使う度胸も無いのか」と実況。その後変化球を打たれてタイムリーを浴びた際、「またスライダーを投げた! なぜストレートを使わない!! なぜそんなに変化球ばかりにたよるのか那須野!!ベイスターズの一塁側ライトスタンドのファンは怒っています!」というかなり痛烈な実況を見せた。この実況動画が高宮和也の実況動画同様、ネットで話題になった。

2008年

先発ローテーションに復帰。しかしシーズンを通して安定度を欠き、5回前後で交代する試合が目立った。最終的に22試合80.2回投げながらわずか5勝に終わり、12敗(リーグ2位)、防御率6.47という成績。首脳陣の期待を大きく裏切ってしまった。

2009年

主に左の中継ぎとして起用されたが、最終的に怪我もあり12試合の登板に終わった。防御率も11.57と前年の倍近くに悪化。シーズン終了後の11月9日、清水直行との1対2の交換トレードで斉藤俊雄と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍した[1]。11月15日に入団発表が行なわれ、背番号は「47」に決定した。

[編集] プレースタイル・人物

192cmの長身から繰り出す角度のある直球は威力十分だが、制球難から自滅するケースも多い。

2007年は速球も平均140km/hを下回るようになり、角度のある遅い速球はアッパースイングの餌食となってしまい、各球団のクリーンナップから長打を浴びることも多くなった。

長身・細身で、チーム内では俳優速水もこみちに似ているとして、ニックネームは「もこ」であることを、TBSの『アッコにおまかせ!』で明かしている。

横浜時代の同僚の桑原義行日本大学時代の同期。

[編集] 契約金問題

2007年4月11日、球団側より入団時の契約金が最高標準額を大幅に超える5億3000万円、1年目の年俸も申し合わせ[2]の2倍となる3000万円だったことが明らかにされた。那須野は球団を通じ「これから自分ができることは、プロ野球選手としてグラウンド上で精いっぱいのプレーで結果を出すことです」とコメントした。以後この問題についての説明を求められると「自分が矢面に立ったため、自分の責任は果たしたはず」と発言している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績








































W
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2005 横浜 8 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 109 22.0 32 5 12 0 0 16 1 0 22 20 8.18 2.00
2006 16 16 0 0 0 3 8 0 0 .273 417 95.1 92 11 49 1 1 66 8 0 49 43 4.05 1.48
2007 63 1 0 0 0 4 5 1 12 .444 276 61.2 68 6 26 1 1 43 5 0 29 26 3.79 1.52
2008 22 17 0 0 0 5 12 0 0 .294 369 80.2 98 16 33 0 4 55 5 0 61 58 6.47 1.62
2009 12 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 34 7.0 9 1 5 0 0 5 1 0 9 9 11.57 2.00
通算:4年 121 38 0 0 0 13 27 1 14 .325 1205 266.2 299 39 125 2 6 185 20 0 170 156 5.27 1.59
  • 2009年度シーズン終了時

[編集] 背番号

  • 13 (2005年 - 2009年)
  • 47 (2010年 - )

[編集] 記録

[編集] 脚注

  1. ^ [[1]]. nikkansports.com. (2009-11-09). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091109-564340.html 2009-11-10 閲覧。 
  2. ^ 新人選手の契約金は1億円+出来高5000万円を最高とし、年俸も1500万円に抑えると申し合わせされている。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月27日 (金) 12:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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