郁文館中学校・高等学校
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| 国公私立の別 | 私立学校 |
|---|---|
| 設置者 | 学校法人郁文館夢学園 |
| 設立年月日 | 1889年11月13日 |
| 創立者 | 棚橋一郎 |
| 共学・別学 | 男女別学(男子校) |
| 中高一貫教育 | 併設型 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 13563B |
| 所在地 | 〒113-0023 |
|
東京都文京区向丘2-19-1
北緯35度43分17.1秒東経139度45分28.3秒 |
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| 電話番号 | 03-3828-2206 |
| 外部リンク | 公式サイト |
郁文館中学校・高等学校(いくぶんかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区向丘に所在する私立中学校・高等学校。
目次 |
[編集] 概要
1889年開校。旧制郁文館中学を前身とする私立学校。明治期に於いては第一高等学校合格者数では常に上位に位置していた。姉妹校(同じ校舎内)に郁文館グローバル高等学校が所在する。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する「落雲館中学校」は、当時漱石の家の裏にあったこの郁文館がモデルだと言われている。
[編集] 沿革
- 1889年11月13日 東京府本郷区駒込蓬莱町28番地に設立、私立郁文館と称する。初代校長は棚橋一郎で、井上円了が創設した哲学館(東洋大学の前身)の館主代理をしており、哲学館の敷地を同じくしていた。
- 1951年1月 学校教育法改正により、新制の中学校・高等学校へ改組
- 1956年11月 南館落成。
- 1958年11月 東館落成。
- 1964年11月 奈良原山荘落成。
- 1980年7月 第1回海外研修実施(カリフォルニア大学バークレー校)。
- 1988年11月 創立100周年記念式典を日本武道館にて挙行。
- 2006年4月 法人名が「郁文館夢学園」となる。郁文館国際高等学校が郁文館グローバル高等学校と改称。生徒が運営する校内放送機関として「IBS」、生徒議会として「ISA」が創設される。
- 2008年9月 新校舎で授業開始(2学期開始)
- 2009年2月 英検対策講座での不正が発覚し、校長が辞任。[1]
- 2009年9月 渡辺理事長による教師へのパワハラが発覚し、これを認める。
- 2010年 校則廃止を予定していたが、結局実現ならず。男女共学化予定。
[編集] 交通
[編集] 文化祭
- 郁秋祭と呼称。10月の第2土・日曜日に開催。
[編集] 姉妹校
- 郁文館グローバル高等学校 - 同一敷地内。
[編集] 共学化について
2010年の春より共学化する予定である。学校名・校章・男子の制服などはそのままであるが、その他詳細はまだ明らかになっていない。
[編集] 英検における不正
同中学校で、2002年まで少なくとも12回、英語教諭3人が、同中学校を会場に行われた「実用英語技能検定(英検)」で、問題を検定日前に開封し、中学生に対して、問題を指南していたことが、2009年2月26日に発覚した。検定問題は、検定日の2日前までに会場に送付されることになっており、堀切一徳校長も含めた英語教諭は、この検定問題を事前に開封し、「対策講座」と称して、解答となる英単語をプリントに書かせて、覚えさせるなどしていた。堀切校長は、「生徒に達成感を与えたかった」などと、行為を認めており、27日の全校集会で生徒に謝罪の上、校長を休職、同時に、これまで理事長を務めていた渡邉美樹が校長に就任した。[1]
[編集] 著名な出身者
- 今西龍(東洋史学者)
- 潮惠之助(内務次官、内務大臣、文部大臣)
- 押川清(東京六大学野球・早大投手、野球殿堂)
- 河合栄治郎(東大自由主義知識人。府立三中へ転校)
- 栗田貫一(お笑いタレント)
- 杉浦茂(漫画家)
- 副島千八(農林大臣、商工省商務局長 / 佐賀中学から転校)
- 辻本満丸(応用化学者)
- 松岡映丘(日本画家)
- 宮城長五郎(司法大臣、長崎・札幌控訴院長 / 塩野季彦閥として小原直に代わり司法相就任)
- 物集高量(国文学者)
- 泉二新熊(法学者)
- 柳田國男(民俗学者。共立学校から転校)
- 大久保雅史(プロボクサー。日比谷高校定時制に転校)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月15日 (火) 08:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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