郷挙里選

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郷挙里選(きょうきょりせん)とは中国代に行われていた官吏任用法である。地方官や地方の有力者が管内の優秀な人物を推薦すると云う形式を持って行われる。

[編集] 概要

前漢の初期にその政権を担当していたのは劉邦に付き従って楚漢戦争に功績を挙げた元勲たちとその子孫たちであった。この時期の官吏任用法は任子制と呼ばれ、一定以上の官僚の子弟を新規の官僚に任命するものである。

その一方で地方の有力者による推薦制も行われており、紀元前134年董仲舒の建言により、これを全国に適用し、郡守(郡の長官)に対して毎年一人を推薦することを義務付けた。漢代の地方行政区分はとなっており、郷挙里選の名はここからである。単に選挙とも呼ぶ。近代以降の「選挙」とは、人物を選ぶという点こそ同じだが、その選び方は全く異なる。

人物評定の枠として最初に設けられたのが孝廉である。その他には賢良・方正・直言・文学・計吏(上計吏、計掾、上計掾)[1]秀才後漢では劉秀避諱して茂才と改められる)などがある。

推薦に当たっては郡守と相、そして郷里の有力者の合議によって選ばれる。そのためこれらの人物との繋がりこそが推薦されるために必要となる。その主な出身母体となったのが、文景の治の頃から経済力を積み上げてきた豪族と呼ばれる存在である。豪族自身が地方の有力者であり、更にそこから選ばれた郡守や相も豪族出身であるのだからこの制度の元での人材任用は豪族の影響力が非常に強くなった。

後漢になると光武帝は王莽のような簒奪者を二度と出さないために儒教を重視する政策を取り、選挙の科目の中でも特に孝廉を重視した。

後漢では豪族の勢力は更に強まり、官に推薦されるか否かは豪族たちの間での評判が全てとなる。後漢では人材評論が流行ったが、これも推薦を受けるためには郷里での評判が必要であったからである。この評判のことを郷論と呼ぶ。この評判を勝ち取るために後漢の人士の中では少々大げさに自らの行動を飾り立てることがあったようである。

小説『三国志演義』のモデルとなった『三国志』の登場人物では、郷挙里選により曹操曹丕孫権袁術公孫瓚劉焉袁譚士燮司馬懿荀彧荀攸賈詡董昭鍾繇華歆王朗陳羣蒋済王凌鄧艾郭淮王基張既華佗張昭張紘黄蓋朱治賀斉闞沢許靖姜維劉巴沮授田豊郭図らが推挙されている。

郷挙里選の豪族・権力者の子弟が優遇される状態を改めるためなどの理由から、220年の曹丕は陳羣の建言により九品官人法を施行し、郷挙里選は廃れていった。基本的に九品官人法では推挙された時点で出世できる最高到達点が決められており、「上品に寒門(低い家格)無く、下品に勢族無し」と言われるように、豪族・権力者の子弟が非常に優遇された。

[編集] 脚註

  1. ^ 222年の魏の勅令によれば、「上計吏と孝廉は古代における貢士(地方から推挙される人物)である。」

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月17日 (土) 16:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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