都市計画家
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都市計画家とは、都市計画に従事しその作業を行うものの呼称である。日本の都市計画家については、日本の都市計画家を参照。
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[編集] 都市計画家の概要
[編集] 仕事の範囲
世界的に見ても、都市計画家の業務行為自体は、それまで何もなかった未開地に建設された中世までの日本の各都市のような遷都の概念で造られているのと、既に存在する都市再開発・再整備を目的として従事するケース、埋立地にまったく新しく都市を築く案を作成するケースなどがある。このことが都市計画を新市街地のデザインと、地区計画の制定や防災の地区対策計画などに代表される既成市街地の再整備、土地区画整理や宅地造成、都市再開発など概略は分類されるとしていて、既成市街地の整備は、その目的に従って、多数行われている。都市計画業務は業務を遂行するための調査と分析・研究から、大きくは国の施策規模の国土計画や国策産業振興などの計画から、調査結果をもとに自治体レベルの総合計画や都市計画マスタープランの作成をするなどから、広域の地域計画、商店会レベルから観光戦略などまでの地域振興計画、都市の成長の方向性に沿う適切な土地利用計画や規制等の成長の方向性等々は都市計画業務であると考えられ、これらをシンクタンク、エコノミスト、交通工学等の専門家などと共同で策定するなどで、都市計画家は常にこうした業務に従事している。建築と比べ、メディアに派手に取り上げられる機会は少ないが、住民の生活にとって決定的な意味を持つ都市計画は多くの制度や手法で満たされつつある。日本の例を示せば、都市計画は新市街地整備と既成市街地の再整備、都市再開発などに概略は分類される。仕事の上では都市計画家は決して独りではなく、培ったアプローチやノウハウの社会的な意義を広めるべく、チームを組んで働いている。既成市街地の整備は、その目的に従って、多数行われている。
[編集] 都市計画家の名称
石川栄耀など、都市計画地方委員会が設置され、日本に都市計画法制が備わった後の都市計画を職能とする者は公的機関に属する技術者で「技師」という肩書きがすでに用意され、また都市計画が少数の人々だけではなしえないことを理解していたことから、都市計画家といった「肩書き」で名乗らなかったといった指摘はある。日本では、長く都市計画は宅地開発などは除いて直轄で、公務員の手による行政実務として行われてきたため、職能制度は確立していない側面があり、戦後発足した民間の都市計画コンサルタント(建設コンサルタント)は行政官の仕事を陰で支える黒子的な位置に置かれているが、行政実務にもシンクタンクやコンサルタントなど外部人材の協力が不可欠であり、専門家の果たしている役割は現在でも決して小さくない。建築家と比較すれば、たとえば建築業では建築士という資格があるが、都市計画分野では都市計画の項に書いてあるとおりの資格が存在し、日本建築家協会と同様に都市計画家協会、日本建築学会と同様に都市計画学会はあり、学術団体や職能団体ともに存在する。戦後からはしばらくは大学の研究室単位で戦災復興都市計画や地方の地域計画を公共の計画主体は委託していたが、その際でも都市計画を完全に専門とする大学研究人は皆無であり、したがって都市計画家とは名乗らない。その後民間人での都市計画コンサルタントが1960年ごろから出現し始めてから、梅沢忠雄らが指摘指摘する、建築家の中でも丹下健三、黒川紀章、また隈研吾などが自ら主宰する建築設計事務所を「建築都市設計事務所」の名乗りはじめと、建築雑誌2007年1月号での長谷川徳之輔明海大学教授による「最近では都市計画コンサルタントにも都市計画家という新職種も出現」という記載に至り、都市計画を専門とする大学教授が政界と財界に顔が利く大御所が「家」を名乗るなどの指摘がある。
[編集] 都市計画家の経緯
[編集] 近代制度の確立以前
古代日本では、「みやこ」の造成や官庁建築は、主として造営史(造京史)、一方地方では国司の手によって、各地方からの徴用で行われている。日本で計画的に造営された都市は645年(大化元年)の孝徳天皇による首都難波豊碕宮であるとされている。その後何回か遷都を繰り返し、元明天皇の710年(和銅3年)に奈良平城京、桓武天皇の784年(延暦3年)には長岡京、さらに10 年後の794年(延暦13年)、山城国葛野郡に格子状の道路網を骨格とする条坊制都市長安城(現在の西安)を模したグリットパターンの新京平安京へ移す。長岡京の場合は造営史として藤原種継、平安京の場合は造営史として山背国宇太郎から、藤原小黒麻呂、和気清麻呂、技術担当には渡来帰化人秦氏出身の忌寸都岐麻呂などの造営大工・少工が任務にあたる。戦国から近世日本までには、豊臣秀吉の下秀吉の日本改造の計画を推進し、東海・近畿・九州の各地で城郭建築と、運河や城下町建設を手がけていった能史田中吉政など、また江戸の都市計画は当初藤堂高虎の軍事都市プランを徳川家康が加筆修正し決定以降南光坊天海や金地院崇伝などのブレーンのほか、土御門久脩や幸徳井友景など風水や陰陽道に長けた者が計画の任に当たっているなどのように、都市は大工・石工の棟梁が技術に長けた武将や僧侶などの指示等によって、「縄張り」が行なわれていったほか、1597年に多様な形態を内包した「5の字」の計画理念で都市をつくった南部利直が治めた盛岡の藩士で、1855年青森十和田で三本木原を新渡戸稲造の祖父と父に当たる新渡戸傳と十次郎親子が幕末期に開墾に着手、明治までに近代的な都市計画を成し遂げている。また幕末からは、すでにお雇い外国人が台頭し、大陸からわたってきた技術者らが勝手にサーベイヤーなどと名乗って都市建設に従事していく。
明治維新以降になると、政治家や実業家などが出現し、都市計画についても指導的立場になって牽引すべく、すでに活動していたお雇い外国人をそのまま重用する。開国による外国人居留地が横浜についてはリチャード・ブラントンとヘンリー・S・パーマーに、神戸についてはマゼラン商会の技師ジョン・ウィリアム・ハートに、大阪川口は町奉行の顧問A・シールにといった当時のイギリス統治国のようにイギリス人の土木技師設計による近代的都市計画が導入されている。横浜の外国人居留地計画では1866年(慶応2年)に当地で大火災が発生、その後の復興計画として立てられたもので、この復興計画で本格的な並木道になる日本大通を開通させる。
または官庁集中計画の際にドイツから呼び寄せてくるなど、日本人での都市計画家が育つまでは、そうして対応していた。その後基盤整備を含め首都東京の抜本的な都市計画を実施すべく、留学先から帰国した山口半六や原口要などの日本人技術スタッフを都市計画に従事させていく。明治維新以降の急速な近代化を図るため鉄道、港湾、道路、用水のインフラ施設・設備整備の急を要した。そのため、三島通庸のように幹線道路・道路網など都市施設建設による都市整備が進められ産業振興に役立てられた。三島は国策戦略上の問題で全国の道路完成を意図していたといわれる。その計画した道路はすべて帝都に集中し環状線および放射状道路も備えた都市の構想はパリなどの先進国の道路政策と一致している。
北海道などの都市形成においては、1869年(明治2年)に札幌で開拓判官の島義勇による最初の縄張りが行われ、市街地を南北で北の官庁区域と南の人民区域とするゾーニング案を立案する。さらに島の後任としてプランニングに携わった岩村通俊、西村貞陽らは1871年(明治4年)に大火の延焼を防ぐための空地を確保を目的に官地と民地を分けた「火防線」を設定する。これは1878年(明治11年)の箱館大火後の復興計画で分かるとおり繰り返し大火による復興が昭和まで続き、現在の大通公園の位置に、のちに祖庭長岡安平により園地化されることとなる。事実明治時代にこの線が火災の広がりを食い止めたケースが多々あった。その他の地区でも早くに殖民地選定及区画施設規程が設定され、入植をベースにした入植地の選定と土地区画方法について定められた。こうした制度を北海道庁に献策したのが農学者である佐藤昌介で、佐藤がアメリカにおいて研究し持ち込んだものを、その後北海道や後に領有する南樺太などに適用されていく。樺太では南鷹次郎などがこの制度を持ち込んで豊原などの都市形成に利用、市街地設計・区画設定作業には関山良助など札幌農学校を卒業した技師らが中心となった。
本州地域では、鉄道の普及とともに郊外住宅地が発展し、1910年(明治43年)郊外住宅の先駆けとなる池田室町を手がけ、戦災復興院総裁にもなった小林一三、1916年(大正5年)に渡辺町を生み出した渡辺治右衛門、1920年(大正9年)駒込の大和村を生み出す岩崎久弥、渋沢栄一の意を受けて洋行し、1923(大正12)年田園調布を手がけた渋沢秀雄、田園都市株式会社の経営に携わる東急五島慶太、「林間都市」という開発計画を企てた小田急の利光鶴松、箱根土地の堤康次郎、鉄道沿線にある海浜リゾートを開発しようと考えた阪神電鉄の技術部長三橋省三ら日本を代表する実業家連中が自身の経営する会社に設計者たる都市計画家を召し抱えて、また外部の住宅地に関する建築の専門家などに設計委託する形で、住宅都市を形成していった。また成城学園や玉川学園といった学園都市を生み出し経営した小原國芳、南沢学園町(ひばりが丘)を分譲開発した自由学園創始者の羽仁吉一・羽仁もと子夫妻等の教育者などや、函館「みどり町通り」は地元名士渡邊熊四郎、四国新居浜の鉱山地を山田団地にした住友の鷲尾勘解治、東海中部地域は石川栄耀の指導のなるみ荘や長浦海園文化住宅地、新舞子文化村を手がける愛知電気鉄道の藍川清成、翠松園、松ヶ丘、小幡ヶ原、月が丘の各文化住宅地を生み出す瀬戸電気鉄道、東海田園都市の森新一、昭和花壇、大府桃山、有松山王台の松本繁、鈴木町の鈴木ヴァイオリン、熊崎住宅の熊崎惣次郎などが知られる。これらの人物や法人等が不動産経営に乗り出し、実際の分譲プランは、たとえば渡辺町はかつて東京府土木部に勤務し、羽村の計画に従事した大野直利や石井粕亭、大船田園都市ならば御料地関連の設計や富士山麓における住宅地開発なども手がけた山田馨、田園調布は神宮外苑なども手がけた矢部金太郎(田園調布駅の駅舎の設計も手がける)、箱根土地ならば中島陟、関西土地なら大林組から来た下村喜三郎や川上佐一、建石辰二、山田団地は当時別子鉱業所土木課にいて後に別子不動産に移り、鎌倉の宅地造成を手がける町田実、京都北白川界隈は高木百人といった技術者・プランナーが彼らの許にいて実施設計の任にあたるなどのほか、1922年(大正11年)から開始される甲子園の土地開発のように、初期には建築家の設楽貞雄に、運動場完成後の1924年(大正13年)には造園家の大屋霊城に、1926年(大正15年)には武田五一に(「甲子園大遊園計画」)それぞれがプランニングを外部委託、住宅地のうち5万数千坪を大林組に宅地開発委託、1929年(昭和4年)から住宅部長の松本儀八が「浜甲子園健康住宅地」と銘打って開発分譲、昭和6年の春には約60戸が入居、昭和12年までに500戸の住宅が建設された。また京阪電気鉄道が遊園地や住宅地から飛行場まで出現する枚方楽園の構想案を造園家橋本八重三(橋本庭園工務所)に委託している。ほかに建築家蔵田周忠が等々力ジードルンク計画を、ブルーノ・タウト指導によって手がけ、タウト自身も1933年に生駒山嶺小都市計画を手がける。 また箱根強羅と向山、御殿場を手がける神山国際社や富士山麓(株)の富士山麓開発や別府観海寺土地(株)多田次平による花園都市観海寺や荘園文化村などのケースや、大正期は藤沢、大磯、鵠沼界隈や箱根土地の千が流と南軽井沢、野沢源次郎の離山、軽井沢の法政大学村、京都は南禅寺下河原界隈を塚本與三次や角星合資会社が手がけるなど、別荘地の開発も進み、軍人建築家・田村鎮なども隠居後に山本庄太郎・信次朗親子の片瀬(江ノ島)の別荘地プランなどを手がけている。このとき住宅開発に従事した面々から、都市計画家として発展していくこととなる。 また東京の郊外では農業生産中心の村から住宅地へと移行する事を予想し、都市近郊化に対応する土地整備の必要性を痛感して、地主などとして土地区画整理事業に着手した。村長、地主として玉川村の村長豊田正治や井荻村の内田秀五郎などの人物らが実施していった土地区画整理事業を、野に下った当時の耕地整理技術者らや場合によっては自らが測量機器をそろえて整理事業を成し遂げて、都市計画家に発展していった。「玉川全円耕地整理大事業」の耕地整理技術責任者の高屋直弘は玉川神社の境内に組合長だった豊田正治と並んで石碑が立てられている。東京府農業技手を辞した後耕地整理のコンサルタント会社を設立していた高屋はこの事業にかかわったことでその半生を捧げ尽くすこととなった。当時全国各地で活躍していた耕地整理技術者らは、当時のドイツ留学から帰国した農業技術者の酒匂常明らが耕地整理事業を着手すべく土地の利害調整にあたらせる専門技術者を要請するため、上野英三郎らの指導と1905年から農商務省の農業土木技術員養成制度を東京農業大学の前身の東京高等農学校さらには帝国大学農科大学などに農業土木教育を外部委託で要請し始めていた。1930年から大戦前まで続く不景気では農作物の生産者価格が下落し、都市近郊に実施される住宅地開発をみるにつけて、農地を持つ地主の間で小作人が手放す農地などを宅地化したりする傾向が増えるが、もともと名主等は伊能忠敬の例でもわかるとおり測量技術に長け、そのため測量業者がない時代に自ら測量機械を購入して開発を行ってきた地主も増えていき、全国的にも組合施行による土地区画整理事業が盛んになったという。このとき役所側も財政難で都市計画事業が進捗しない状態で、このときは技術者を前述の民間区画整理の助成指導に当てていたようである。大規模な都市計画事業であった帝都復興事業も1930年(昭和5年)には完了して、従事していた区画整理の技術者は、今度は全国各地の地方庁に採用され、当該地で実務指導にあたっていたとされる。 さらに東京蒲田の黒沢商店店主黒沢貞次郎は自身の経営する会社の工場町を計画設計し、札幌の北海道大学の場合医学部教授陣中心の医学部文化村や農学部教授陣中心桑園博士村をうみだし、福岡の野間文化村も福岡県職員有志が発起から設計まで手がけた。さらに蓑面櫻ヶ丘のように片岡安率いる日本建築協会が住宅博覧会会場として設計を手がけ、のちに田村地所、そして阪急へといったケースも出現、こうした都市形成の過程で、だんだんと都市計画の従事者らが形成されていった。
[編集] 都市計画制度の確立期
明治中期に山縣有朋、井上馨、芳川顕正ら政府有力者や官僚が示した首都東京の市区改正では外国人に依頼して策定された官庁集中計画とは異なり、新たな都市交通体系を造るべく留学から帰国した前述の日本人技術陣のみで実行される。また、日清戦争の結果として台湾領有に伴って1898年に総督に続く総督府民生長官に就任した後藤新平は、植民地経営という名目で台北をはじめとする台湾各地の都市計画に辣腕をふるう。当時台湾総督府技師には堀見末子(まっす 男)などが多くの土木施設建設に携わっていた。その後1906年に就任した南満州鉄道総裁時代も、1907年(明治40年)には満鉄の付属地長春の都市建設を新潟県土木課長の職にあった技師加藤与之吉を重用し、長春を駅前広場から放射線状に道路が伸びていくバロック的な都市改造と、通行制限などの交通計画などの都市基盤整備の実践を積んでいた。
[編集] 参考文献
- ドイツ流街づくり読本 -ドイツの都市計画から日本の街づくりへ- 水島信・著 鹿島出版会
- よみがえるダウンタウン -アメリカ都市再生の歩み- B.J.フリーデン・著・北原理雄 監訳 鹿島出版会
- ニューヨーク 都市居住の社会史 リチャード・プランツ・著・酒井詠子 訳 鹿島出版会
- インテンシブ・シティ -都市の集約と民営化- 若山 滋・著 鹿島出版会
- デザイン・アウト・クライム -「まもる」都市空間- イアン・カフーン・著、小畑清治・大場 悟・吉田拓生 訳 鹿島出版会
- 新世紀末都市 The 100 Mile City D.スジック・著 鹿島出版会
- 世界都市の論理 P.ノックス、P.テイラー 共編・藤田直晴 訳編 鹿島出版会
- 都市 この小さな惑星の リチャード・ロジャース、フィリップ・グムチジャン・著・野城智也、和田淳、手塚貴晴 訳 鹿島出版会
- 文化資源とガバナンス(日仏年会議1) 三宅理一、アンドレ・シガノス、澤井安勇 編 鹿島出版会
- 近代建築遺産の継承(日仏都市会議2) 三宅理一、アンドレ・シガノス、澤井安勇 編 鹿島出版会
- パタン・ランゲージ -環境設計の手引き- C.アレクザンダー 他・著・平田翰那 訳 鹿島出版会
- 時を超えた建設の道 C.アレクザンダー 他・著・平田翰那 訳 鹿島出版会
- ミクスト・ユース開発ハンドブック アーバン・ランド・インスティテュート 編著・荒川豊彦、高瀬 裕、稲葉 仁 共訳 鹿島出版会
- コンベンション施設の開発 -コンベンションセンター、スタジアム、アリーナの計画と運営- D.C.ピーターセン・著・日本開発銀行地域開発研究グループ
訳 鹿島出版会
- 英国の建築保存と都市再生 -歴史を活かしたまちづくりの歩み- 大橋竜太・著 鹿島出版会
- Big Bang Beijing 白井宏昌、アンドレ・シュミット・著 鹿島出版会
- グラウンド・ゼロから -災害都市創造のケーススタディ- ジョアン・オックマン 編、鈴木博之 監訳 鹿島出版会
- 都市の文化 ルイス.マンフォード・著・生田 勉 訳 鹿島出版会
- アメリカの都市と自然 アルバート・ファイン 著 黒川 直樹 訳 1983 井上書院
- 近代都市 ショエ,F. 著 彦坂 裕 訳 1983 井上書院
- 水の神ナーガ スメート・ジュムサイ著 鹿島出版会 1992年
- 現代都市計画事典 山田 学・川瀬光一・梶 秀樹・星野芳久 著ISBN4-395-10012-0 彰国社
- サンフランシスコ都市計画局長の闘い アラン・ジェイコブス著 ・学芸出版社1998年
- 都市の記憶 ヒス,T. 著 谷村 秀彦 監訳 樋口 明彦 他訳 1996 井上書院
- 工業都市の誕生 ウィーベンソン,D. 著 松本 篤 訳 1983 井上書院
- SD選書 都市デザイン 野望と誤算. J.バーネット. 兼田敏之. 鹿島出版会. 2000.
- 都市計画の挑戦 新しい公共性を求めて. 蓑原 敬. 学芸出版社
- 都市計画教科書 第3版 都市計画教育研究会 編 lSBN4-395-00612-4 彰国社
- システムとしての都市 ファーガソン,F.(フランス) 著 堀池 秀人 訳1985 井上書院
- ヴィジュアル版建築入門 10 建築と都市 ヴィジュアル版建築入門編集委員会編 (担当編集委員:西村幸夫)ISBN4-395-22120-3 彰国社創業70周年記念出版
- 都市史図集 都市史図集編集委員会 編 ISBN4-395-00489-X
- 古代オリエント都市 ランプル,P. 著 北原 理雄 訳 1983 井上書院
- 新建築学大系 16 都市計画〈第二版〉 土井幸平・川上秀光・森村道美・松本敏行 著 ISBN4-395-15116-7 彰国社
- 新建築学大系 17 都市設計 渡辺定夫・曽根幸一・岩崎駿介・若林時郎・北原理雄 著 ISBN4-395-15017-9 彰国社
- 「明日の田園都市」への誘い ハワードの構想に発したその歴史と未来 東 秀紀・風見正三・橘 裕子・村上暁信 著 ISBN4-395-00594-2
- 「アーバン・アーキテクチュア」の時代へ フランスの再開発事例検証を通して描く建築・都市の未来像 ジョセフ・ベルモン 著 菊竹清訓 監訳
ISBN4-395-00424-5 彰国社
- Urban Structure 都市構造の論理 ダヴィッド・ルウィス 編 吉原慎一郎・高橋志保彦 訳 ISBN4-395-05029-8 彰国社
- アーキテクチュア ドラマチック イタリア中世の山岳都市 造形デザインの宝庫 竹内裕二 著 ISBN4-395-00328-1 彰国社
- アーキテクチュア ドラマチック ドイツ中世の都市造形 現代に生きる都市空間探訪 永松 栄 著 ISBN4-395-00438-5 彰国社
- 都市計画の世界史 (講談社現代新書) 日端 康雄 (著) 講談社 2008 ISBN-10: 4062879328 ISBN-13: 978-4062879323 * 都市選書>近隣住区論 C.A.ペ
リー・著・倉田和四生 訳 鹿島出版会
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月25日 (日) 15:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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