都護府
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都護府(とごふ)は、中国の唐王朝の時代に、辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府は全部で6つ。都護府の長官は都護と呼ばれていた。
[編集] 六都護府の場所と、それぞれの役割
- 安西都護府 - 640年、高昌(吐魯番)に設置。648年、亀茲に移転。天山山脈の南側を通るシルクロードの天山南路(漠北路)の守備及び、突厥・吐蕃などからの防衛。790年に吐蕃に滅ぼされた。
- 安北都護府 - 647年、鬱督軍山に設置。外モンゴル支配。前身は、647年に設置された燕然都護府。663年翰海、669年安北と改称。東突厥が勢力を増すにつれ、陰山方面に移動した。
- 単于都護府 - 650年東突厥平定後、フフホト付近に設置。内モンゴルを支配。663年、雲中都護府に改称されたが、664年に再び単于都護府に戻された。
- 安東都護府 - 668年、高句麗を滅ぼして平壌に設置。朝鮮北部・満州支配。676年に新羅、高句麗遺民との抗争に敗退して遼陽へ後退。697年には大祚栄との抗争の影響で廃止されたが、705年に大祚栄との和解により再び設置された。しかし、安史の乱の際に再び廃された。
- 安南都護府 - 679年、設置。ベトナム・その他の南方諸国の支配。前身は、622年に設置された交州大総管府(交州は、現在のハノイ付近)。阿倍仲麻呂も一時期、長官である都護を務めた。860年、863年に南に占領される。
- 北庭都護府 - 702年、庭州付近のビシュバリクに設置。ジュンガリア方面(シルクロードの天山北路付近)の守備。790年吐蕃に占領された。
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