酸素魚雷

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酸素魚雷(さんそぎょらい)とは魚雷の一種であり、エンジンで推進剤を燃焼させる酸化剤として酸素を用いることで無航跡の高速魚雷とする目的で開発された。副産物として長い航続力をもつ。この名称を用いる場合は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。人間魚雷回天もこの魚雷を改造して作られた。なお魚雷速度が速いため日本海軍の船底爆破用の磁気式の信管が使用できず、全て接触式の信管となる。整備が容易でなく運搬も危険なので現在では電池式の魚雷がほとんどになっているが、ソ連では主力魚雷を電池式と酸素式の二本立てで配備しており、ロシア海軍などでは酸素魚雷の運用が継続されている。

目次

[編集] 概要

魚雷は開発されてから長らく、推進用スクリューを駆動するエンジンの燃料の酸化剤ガスとして、魚雷内のタンクに圧縮搭載した通常空気を用いていた。しかし空気は燃焼時の燃料酸化剤となる酸素ガスと比べ、約4倍の容積の窒素ガスを含んでおり、これが燃焼せずに排気ガスとして水中に大量に放出され、水にも溶けない為に窒素の気泡による航跡ができた。 これに対して酸素魚雷の最大の特徴は雷跡(魚雷の航跡)が目立たないということだった。酸素を酸化剤ガスとして使用する酸素魚雷では、発生する二酸化炭素も比較的水に溶けやすいため、雷跡は試射場でも目視困難だった。

九三式魚雷(ガダルカナル島のクルツ岬で回収され、第二次世界大戦中、ワシントンD.C.アメリカ海軍司令部の外に展示されていた。)

他国でも酸素ガスを燃焼時の酸化剤ガスに用いるメリットは認識していたが、実際に試作品を作ると爆発事故が多発したため実用化を断念した。世界で初めて開発に成功したのは日本の九三式魚雷だった。これは昭和8年(皇紀2593年、西暦1933年)、呉海軍工廠で発射実験に成功した。当時の帝国日本海軍の魚雷の推進技術は、世界を大きくリードしていた。

イギリスが酸素魚雷を試作しているとの情報に基づき、列強の中でも遅ればせながら開発を始めた日本ではあったが、綿密な研究の末に爆発を防ぐために始動時には空気を使用し、徐々に酸素濃度を高くしていくシステムを採用し、安全な酸素魚雷の開発に成功した。ただし整備、調整には配管内部油完全除去のため4、5日間の事前整備作業日数を必要とした。太平洋戦争中に遣独潜水艦作戦によってドイツ海軍は九五式酸素魚雷を入手したが、研究目的での利用にとどめ、実戦においては使い勝手の良い電池式魚雷のみを使用した。

酸素魚雷は始動直後の燃焼には空気を使用していたため、駛走開始から数百m以内は航跡が残った。九三式魚雷の後期型は空気の代わりに四塩化炭素を使用した。

もう1つの特徴は、高純度酸素ガスと石油燃料の混合ガスにより従来より強力なエンジン出力を実現したため、既存の魚雷と比較してその分だけ航続力に優れ、雷速が高く、炸薬の搭載量を増やせたため、打撃破壊威力が大きいことであった。この為、巡洋艦級軍艦でもこの魚雷を1本被雷しただけで大破したケース(⇒参照:ルンガ沖夜戦)もあり、アメリカ軍は「ロング・ランス(長い槍)」と呼び恐れた。従って日本駆逐艦との海戦の際には「敵に柔らかい横腹を見せるな(魚雷発射態勢に持ち込まれるな)」が連合軍の合言葉になったといわれる。大戦末期は帝国日本海軍は制空権を失い、実戦では活躍は少なくなったが、フィリピン・レイテ島のオルモック湾海戦(1944年12月3日)において、日本の駆逐艦「」が、自艦も大破したが、この魚雷により優勢だったアメリカ軍の新鋭艦隊駆逐艦「クーパー」を沈没させる戦果を挙げた。

更にそれまでの空気使用魚雷との相違点として、ウエットヒーター式燃焼用に必要だった真水タンクを搭載していない。従来の魚雷はウエットヒーター式エンジン機関として加水燃焼ガスを使う方式であった。これは加熱燃焼している加熱ガスに、魚雷内のタンクに積んだ真水を噴霧し、水蒸気爆発を利用することにより完全な石油燃料の拡散を実現、エンジン燃焼における燃焼効率と馬力を大きく向上させていたが、九三式魚雷では高純度酸素と石油燃料(灯油)の高圧混合ガスを燃焼する方式をとったため、出力馬力が非常に強力になったとともに、燃焼用の真水タンクは不要となった。この魚雷から、機関室区画には海水が入るようにして、小型のポンプを搭載して海水でエンジンの冷却を助けていた。

大和ミュージアムに展示されている九五式魚雷

1942年に行なわれた日本軍の水雷戦隊の奇襲で、英米軍は酸素魚雷の隠密性と航続力に驚嘆することがあった。酸素魚雷の長距離駆走を示すものが、ガダルカナル戦での米戦艦ノースカロライナ」撃破である。これは伊号第一九潜水艦が発射した九五式酸素魚雷6本のうち3本が航空母艦ワスプ」に命中し撃沈、外れた魚雷が5海里(約9.3km)の長距離を走って偶然射線上に居合わせた戦艦「ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」に命中した。これにより「ノースカロライナ」は左舷艦首部水線下に幅10メートル、高さ7メートルにも及ぶ大破口が開き中破、「オブライエン」は大破・曳航中に艦体が折れ沈没。この時米軍はもう一隻別の潜水艦がいたと考え、一隻だけの攻撃だと知ったのは戦後の事であった。潜水艦搭載用の九五式魚雷は直径が53センチメートルで、帝国日本海軍水上艦艇が搭載する九三式に比較すれば小型で威力は小さいが、実質的には列強の水上艦艇搭載用魚雷と同等以上の性能を有していた。

また、皮肉にもこの長射程のため同士討ちを呼んでしまった事例もある。太平洋戦争緒戦において1942年3月1日ジャワ島沖で起きたバタビア沖海戦にて、重巡洋艦最上」が米重巡「ヒューストン」を狙って午前1時27分に九三式酸素魚雷6本を発射したが、これが目標を捕らえられずそのまま射線延長線上にいた陸軍第16軍主力を載せた味方輸送船団に到達してしまったのである。その結果、午前1時35分に右舷缶室に直撃を受けた第2号掃海艇が轟沈、ほぼ同時刻に第16軍司令官今村均中将座乗の「佐倉丸」が沈没、「竜城丸」、「蓬莱丸」、「竜野丸」が大破横転という被害を出してしまった。今村中将は無事であり、謝罪に来た海軍幹部に対し笑って許したが陸軍の軍司令官を深夜の油まみれの海に叩き込んでしまったことは海軍としては大失態であり、この戦いに参加した部隊の指揮官であった第5水雷戦隊司令原顕三郎少将は戦訓所見として「輸送船団泊地至近ノ海面ニ於ケル戦闘ニシテ、シカモ多数ノ夜戦隊挟撃ノ態勢ニ於ケル魚雷戦ニ於イテハ、射線方向ニ対シテ特ニ深甚ノ注意ヲ要ス」と海戦自体は日本軍の大勝利に終わったにも拘わらず注意を促した。尚、この同士討ちについては、事故当時、現場近くでは九三式魚雷の尾部が直後に引き上げられており証拠は歴然としていた。今村中将の好意もあり、日本海軍の名誉を護るためと大勝利に終わった海戦結果に泥を塗らないために、戦後"幻の敵襲"という事実が明らかになるまでは、米魚雷艇部隊の攻撃による損害、とされていた。

九三式魚雷は直径61センチメートルの水上用魚雷で、40ノットの高速でも30キロメートル以上の射程を持つ優秀な魚雷であった。主に駆逐艦に搭載され、搭載する駆逐艦には空気から酸素を抽出するための酸素生成用の空気圧縮機が搭載されていた。魚雷に酸素が使用されていることは極秘事項であったため、防諜上の理由から酸素は『特用空気』『第二空気』と呼ばれた。(九三式魚雷を含む)日本製魚雷は実施部隊での信管の調整が可能とされており、現場では「不発にしたくない」という意識から衝撃尖を過敏に設定してしまったことが多く、それはしばしば目標に命中する前に自爆する早爆となった。第三次ソロモン海戦においては重巡「愛宕」、「高雄」が最良の射点から発射した九三式魚雷が戦艦「ワシントン」に命中直前の位置まで達したが、ワシントンの航跡波(縦波、P波のこと)による衝撃で駆走中に早爆をおこした、という例があった。もし命中していればワシントンに甚大な損害を与えたことは想像に難くなかったので、設計部門の担当者はこの信管の調整機能をつけたことを最大の痛恨事と回想した。

靖国神社遊就館に展示されている回天

太平洋戦争末期には、九三式魚雷は人が乗って操縦できるように改造され、後半のエンジン部基本構造はそのままに、前部弾頭、全体サイズともに約2~3倍のサイズに巨大化され、特攻兵器である人間魚雷回天となった。

[編集] 問題点

スラバヤ沖海戦で妙高と足柄の二隻の重巡洋艦からそれぞれ8本、合計で16本が発射されたが、水面から飛び出したり迷走したりして一本もまともに進まず、まったく命中しないという事態が発生している。これは34ノットの最大戦速での発射を一度も行ったことが無かったため、魚雷のジャイロコンパスが高速度から発射した衝撃に耐えられず針路を調整できずに迷走したためといわれている。

厳しい訓練を課しながら、実戦を想定した訓練と実験を一度も行っていなかったことが実戦で露見するという事態になったが、戦争初期であったため詳細な調査が行われ原因が究明された。

ジャイロコンパスの欠陥の原因は回転数が毎分8千回転と遅く、衝撃が加わると容易に設定方位がずれてしまうためであった、この欠点はかなり後まで改良されず、回天になって初めて毎分2万回転の電動ジャイロコンパスに変更された。静止状態や静かに運用している分には問題が出ないが、乱暴な取扱いをするとすぐに動作不良を起こすのはこの当時の日本軍の兵器全般に言えることであり、かならずしも酸素魚雷だけが欠陥を抱えていたわけではなかった。用兵側からは武人の蛮用に耐えることを要求はされていたが、工業的に耐える物は作れなかったのが実情であった。

非常に長い馳走距離を持っているが、逆に用兵側がその馳走距離を頼りにして遠距離射撃を行った場合は高速という利点を超えて命中率の低下をまねいた。音響など誘導装置を持たないため長距離での命中率が低下するのである。実際、スラバヤ沖海戦では日本軍艦隊は長射程を過信した戦術により1万メートル以上での魚雷発射を多用、日本軍の魚雷発射総数188本のうち命中したのは僅か4本と惨憺たる命中率となった。4万メートルの射程を誇るとはいえ、36ktで4万メートルを馳走するのに40分近くかかることを考えれば、無誘導魚雷であるが故に戦闘中に敵艦が変針も変速もせずに航行しなければ当たるわけが無いのである。ましてや海戦中に相手が戦闘運動している中で長時間変針も変速も一切しないことは考えられないことであるから、実際の戦闘で最大射程での発射は行われなかった。また、その長射程を犠牲にして5000メートルまで接近して最大雷速の48ktで発射しても到達までに3分以上かかり、相手が変針、変速した場合に備えて扇状に発射しているとはいえ、到達までの間に相手が大きく変針してしまえば当たらないのであるから、長射程の利点は実際は余り活きなかった。

長射程での発射が多かったスラバヤ沖海戦においても2万メートル近くから発射して命中したのはオランダ駆逐艦「コルテノール」を轟沈させた「羽黒」の1本だけである。他の3本の命中魚雷はスラバヤ沖海戦終盤でオランダ軽巡「デ・ロイテル」と同「ジャバ」に対して重巡「羽黒」「那智」が1万2千メートルから発射した計12本のうち1本ずつが命中したのと、航行不能に陥ったイギリス重巡「エクゼター」に対して命中した1本のみである。結局この後、日本軍が戦った各海戦において1万メートル以上からの魚雷発射は殆ど行われなくなった。これを象徴するかのように、九三式魚雷は射程を減らして炸薬量を増やした三型が主流となっていくこととなった。

炸薬量そのものは非常に多いが搭載されていた九七式爆薬は威力があまり高くなく、英米のようにHBX爆薬などの水中破壊力に優れた爆薬が開発されなかった。水中破壊力ではHBX爆薬トリニトロトルエンの160%の威力を持つため、爆薬の品質の低さを大型化させることで補っていた一面もあるので必ずしも一撃の威力が飛びぬけていたとは言えない(米Mk.14魚雷:トーペックス292kg=TNT467kg相当、日93式魚雷:97式爆薬490kg=TNT588kg相当)。

これを補うために、戦争末期には水車式と呼ばれる艦底起爆補助装置(魚雷が水中を馳走し始めると水車の原理で水中凧が出て来てワイヤーで魚雷に曳航される、この水中凧が目標に当ってつぶれるとフックが外れ、ワイヤーが戻り信管が作動する。沖縄特攻で水雷部隊に配備された。)を搭載して、磁気信管を使用できないデメリットの解消につとめた。当時の日本ではバブルパルスなど水中爆発の研究は非常に遅れており、質の向上による威力の上昇を期待することは困難でもあった。

[編集] 九三式魚雷の構造と技術

大和ミュージアムに展示されている九三式魚雷推進部

九三式魚雷は燃料酸素混合ガスで駆動する魚雷で、酸素魚雷として知られる。1933年、または皇紀2593年、に制式兵器採用された。93式という名称はこの年の末尾2桁数字による。 この魚雷は、高圧高純度酸素と石油燃料の混合ガスのエンジン燃焼を実現しエンジン機関の出力馬力を強力にできたため、炸裂火薬重量の重い弾頭を、高速で、長射程距離、運ぶことができた。また、動作中は排気ガスをほとんど発生させず、排気ガスの気泡による航跡を消し去ったため、日中は発見することは困難だった。しかしながら、全ての魚雷に共通するように、熱帯海洋で夜間に使用された場合には、魚雷の高速水中走行により夜光虫が発する仄かな光の航跡が発生することは不可避だった。


九三式魚雷の射程距離と速度の設定例:

  • 22,000メートル / 52ノット
  • 33,000メートル / 41ノット
  • 40,400メートル / 36ノット


帝国日本海軍は九三式魚雷の最大性能仕様を、公的には速度42ノットで射程距離11,000メートルと発表していた。これは速度で実際より10ノット遅く、射程距離は実際の半分である。

戦歴では、九三式魚雷の10,000メートル(52ノット、時速96km/hで6分15秒)を超える射程距離は、魚雷が接近する数分間を目標艦船が真っ直ぐ航行するときに有効だった。重巡洋艦隊が戦場を高速で離脱してゆく駆逐艦隊を全速で追いかけてゆくとき、あるいは水面下の潜水艦に照準されたまま艦隊型の航空母艦が予定進路どおり航行するときなど、1942年の南太平洋の戦場で有効性が実証された。

この魚雷は重量が2.8トンから3トン近くあり、弾頭の炸裂火薬は480kgを積む。エンジン推力は64kg、言い換えれば全体重量3トン近い魚雷を速度52ノットで22km(水中を時速96km/h、13分45秒間で射程距離22kmまで)走行させることができる。

頼淳吾 技術少将は戦後しばらく経過したころ、この九三式魚雷について執筆説明した。[1]

九三式魚雷の最大の課題は2気筒水平マウントエンジンの加熱着火始動部である。燃焼室での燃焼に酸素混合石油燃料ガスをそのまま使えば、高エネルギーの暴発事故が発生する。純粋酸素を使用して燃焼爆発を制御する装置が酸素魚雷の秘密である。

この課題をのりこえるため、九三式魚雷では、始動初期モードでは比較的低い気圧の空気と石油燃料混合ガスが使われる。遷移モードでは、混合器の純粋酸素は次第に増加される。点火爆発は激しくなるがエンジンシリンダー内部の爆発は制御状態にあり、制御不能状態な暴発は発生しない。定常状態では、圧縮空気は完全に圧縮酸素ガスにおきかわり、エンジン機関は純粋酸素と石油燃料の混合ガスを激しく燃焼して最高出力状態になる。

九三式魚雷には、純粋高圧酸素に満たされた主気室、結合バルブ、小さな13リットルの圧縮空気タンクがあり、この結合バルブは逆流を防止している(不帰弁)。そして圧縮空気タンクは一定圧力に保つ圧力調整器(調和器)をとおして、加熱着火装置に導入される。点火は、通常空気混合石油燃料ガスで穏やかにスタートしエンジンで安定して燃焼する。高圧圧縮空気が消費されて圧縮空気タンクの圧力が低下するにつれ、高圧酸素ガスが主気室から結合バルブを通して圧縮空気タンクに供給される。圧縮空気タンクはすぐに全て高圧純粋酸素でみたされるので、その後は最後までエンジンは酸素混合石油燃料ガスで猛烈な燃焼が継続する。

この魚雷は慎重な取り扱いを必要とする。九三式魚雷を装備する軍艦はこの型の魚雷を使うために酸素発生器を装備する必要があった。

帝国日本海軍、呉海軍工廠の水雷設計技手だった赤城良三(海軍技手養成所16期、1943年当時は魚雷実験部および第二水雷部兼務)はノンフィクション作家のインタビューに答え、彼の戦時中のノートブックを使って実際の九三式魚雷の構造・仕様動作を詳細説明した。[2]

九三式魚雷の内部構造は次の各区画に区分される;魚雷先端から、弾頭、気室、前部浮室、エンジン室、後部浮室、尾部舵、スクリュープロペラに分けられる。

九三式改1魚雷は、石油燃料を燃焼する2気筒レシプロエンジンを装備している。このエンジン機関には、機密名「第2空気」と呼ばれ実際には純度98%の高圧酸素ガスを使う。空気の代りに酸素を使うので馬力があり、高速、長射程距離で重い弾頭を搭載できる。しかし空気配管内部にオイルの痕がわずかに残っていると簡単に爆発事故をおこしてしまう。この配管のクリーニングメンテナンスは九三式魚雷を運用する際には最重要だが厄介な業務である。事前の整備でバルブと空気配管からオイルを完全除去するには4、5日を必要とする。酸素石油燃料混合ガス機関を実際に使用中、という事は帝国日本海軍では最高機密だった。酸素という言葉は禁止用語とされた。

機密名「第1空気」はエンジンを始動するために使用される。このガスは実際には初期圧力230気圧の高圧に圧縮された普通の通常圧搾空気のことで、13.5リットルの圧縮空気タンクに満たされている。

機密名「第2空気」または高圧純粋酸素ガスは強力な駆動力を生み出すために使用される。このガスは初期圧力は225気圧で、ニッケルクロームモリブデン鋼(戦艦の防御装甲用に開発された粘り強い特殊鋼)の合金ブロックを機械切削、くり抜きのマシニング加工して製作された980リットルの主気室に満たされている。

この主気室の殻の厚さは12ミリ厚である。九三式魚雷は9メートルの長さで直径61センチメートルだが、この第2空気または高圧酸素ガスの主気室は3メートル48センチの長さがあり、魚雷全長の三分の一以上を占める。この主気室は魚雷の弾頭部と後部を接続している。

そして圧縮空気タンクは、走行時間に応じて変動し下がる高圧酸素ガスを比較的低い10気圧程度の一定圧力に保つ圧力調整器(調和器)をとおして混合室に接続されている。混合室では、圧縮ガスと石油燃料との混合ガスが生成され、そして加熱着火装置に導入される。

酸素混合石油燃料ガスはエンジンヘッドの燃焼室に注入され、爆発がピストンを押し下げて1本のメイン・ドライブシャフトを回転駆動する。シャフトには傘型ベベルギアが付いていて、メイン・ドライブシャフトは内側と外側で2重のドライブシャフトで構成されていて、同軸2重反転式の4枚羽根スクリューを一方は時計回り、もう一方は反時計回りに回転駆動し、トルクを打ち消して水面下を走行する魚雷の方向を安定させている。

魚雷の外部殻は3.2ミリ厚の鋼板で、後部のみは1.8ミリ厚であり、防水溶接されている。エンジン機関部の鋼板は、走行している間にエンジン機関への冷却機能を助けるため、意図的にエンジン機関部区画に水が浸入するように工作されている。

この他に通常圧縮空気または制御空気タンクがあり、容量40.5リットルで、魚雷の縦舵(垂直方向舵)や横舵(昇降舵)を制御する。これらの舵は横舵用深度計と縦舵用ジャイロスコープで制御され高圧空気ガスで操舵される。操縦用の制御空気タンク(操縦用高圧気畜器)は230気圧の圧縮空気で満たされている。

深度計メーターは水面下の走行深度を制御する。魚雷は、深度メーターにある水圧板の目盛り5メートルに手動で設定されて水面下5メートルの深さで走る。水平走行用深度計は水面下の走行を一定深度に保つよう横舵を制御する。

尾部の縦舵計は、縦舵機用ジャイロコンパス(ジャイロスコープ)を目標設定することにより縦舵を自動操舵して魚雷の進行方向を目標方向に制御する。ジャイロは魚雷を目標に導き、後部発射管から逆方向に発射された魚雷でも回頭させて前方の目標に命中させる。これらの尾部縦舵と横舵は制御空気圧で制御される。

ジャイロは魚雷を発射するときに回転スタートさせる。九三式魚雷のジャイロは直径15センチ、7~8センチ厚の分厚い円盤型で、毎分8,000回転している。九三式魚雷は、軍艦が35ノット以上の最高速度で疾走する状態から発射する極限状況場面に対応するには、このジャイロの回転速度仕様に問題があった。

帝国日本海軍は初期の時代は、日本の瀬戸内海、広島県・呉市の阿賀南・大入で魚雷実験をしていた。しかし1933年に長射程距離の九三式魚雷が登場したため、生産された魚雷の海軍領収時の発射テストのためにさらに大きな場所が必要となった。その後、1937年ごろはすでに、発射試験場は同じ瀬戸内海、広島県の隣の山口県・徳山市の大津島が使われていた。ここからは四国に向けて十分な直線走行距離がとれた。この基地は後に回天の母港として有名になった。


[編集] 回天での技術的改善

回天では、ジャイロスコープの回転は圧縮空気駆動式から電気駆動式になりその回転速度は20,000回転に改善された。九三式魚雷の炸裂火薬量は480kgで帝国日本海軍の戦艦の16インチ主砲の1トン砲弾に匹敵する炸裂火薬量だったが、回天では炸裂火薬量は3倍以上の1.6トンに増加された。すでに九三式魚雷の1発の命中はアメリカ艦隊型軍艦を沈没あるいは大破させるに十分な威力を戦歴で示していた。しかしながらアメリカ海軍は、大戦終盤の1945年6月、あるアメリカ駆逐艦(艦名不詳)が洋上攻撃を受けてイ367潜から発進した振武隊の回天1基の命中を認めたが、九三式魚雷の3倍以上の炸裂火薬量をもつ回天の確実な命中を受けたにもかかわらず沈まなかったと主張した。

九三式魚雷は長さ9.61メートルだが、回天では14メートル75センチに延長された。93式魚雷は重さ約3トンだが、回天では8.3トンに増加された。九三式魚雷は水深20メートルの耐圧があれば十分だったが、回天は潜水艦の外部に搭載されるため、潜水艦の深度限界の100メートルに近い水深80メートルまで耐えるよう補強された。九三式の走行距離は最大速度52ノットで射程距離22,000メートルだが、回天は速度30ノット(55.6km/h)で航続距離23キロメートル、速度10ノット(18.5km/h)で航続距離78キロメートルにされた。回天は水面直下で低速で安定した走行性能をもつよう改善された。

[編集] 要目

九三式酸素魚雷1型(艦艇用)

  • 全長:900 cm
  • 直径:61 cm
  • 重量:2,700 kg
  • 射程:36 kt で 40,000 m、48 kt で 20,000 m
  • 弾頭重量: 490 kg

九三式酸素魚雷3型(艦艇用、炸薬量を 780 kg に増加したタイプ)

  • 全長:900 cm
  • 直径:61 cm
  • 重量:2,800 kg
  • 射程:36 kt で 30,000 m、48 kt で 15,000 m
  • 弾頭重量: 780 kg

九五式酸素魚雷1型(潜水艦用)

  • 全長:715 cm
  • 直径:53.3 cm
  • 重量:1,665 kg
  • 射程:45 kt で 12,000 m、49 kt で 9,000 m
  • 弾頭重量: 400 kg

九四式酸素魚雷1型(航空魚雷:短期間で量産中止)

  • 全長:670 cm
  • 直径:53 cm
  • 重量:1,500 kg
  • 射程:45 kt で 4,000 m
  • 弾頭重量: 350 kg

九四式酸素魚雷2型(航空魚雷:短期間で量産中止)

  • 全長:527 cm
  • 直径:45 cm
  • 重量:810 kg
  • 射程:45 kt で 2,000 m
  • 弾頭重量: 200 kg

(参考)九〇式空気式魚雷(艦艇用 睦月型駆逐艦から初春型駆逐艦までの駆逐艦以下の艦艇に搭載)

  • 全長:850 cm
  • 直径:61 cm
  • 重量:2,500 kg
  • 射程:42 kt で 10,000 m、46 kt で 7,000 m
  • 弾頭重量: 400 kg

(参考)Mk.15魚雷(艦艇用 太平洋戦争におけるアメリカの主力魚雷)

  • 全長: 288 in (731.52cm)
  • 直径: 21 in (53.34cm)
  • 重量: 2841 lb (1289kg)
  • 射程: 33.5 kt で 9,100m、45 kt で 4,500m
  • 弾頭重量:375 kg

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 「魚雷」の章(頼淳吾担当)、「機密兵器の全貌」興洋社、1952年
  2. ^ p.327-p.333、第五章:「回天」と「桜花」の狭間、特攻 恩田重宝、講談社、1988年

[編集] 参考文献

[編集] Bibliography

  • 恩田, 重宝 「第五章:「回天」と「桜花」の狭間」『「特攻」』 講談社、東京、日本、1988年11月。ISBN 4-06-204181-2
  • 伊藤, 庸二・千藤三千造、志賀富士男編集 「魚雷(頼淳吾)」『「機密兵器の全貌」(興洋社 1952年刊の復刻版)』 原書房、東京、日本、1976年2月。ISBN。

[編集] Notes

  1. ^ 「魚雷」の章(頼淳吾担当)、「機密兵器の全貌」興洋社、1952年
  2. ^ p.327-p.333、第五章:「回天」と「桜花」の狭間、特攻 恩田重宝、講談社、1988年


[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月7日 (月) 17:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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