重装歩兵

重装歩兵の最新ニュースをまとめて検索!

紀元前4-3世紀頃の古代ギリシアの重装歩兵の復元図
古代ギリシアの重装歩兵

重装歩兵(じゅうそうほへい, heavy infantry, hoplite)は、兜、胴、脛当て、による重装備の防御を施した歩兵。世界各地に発生したが、特に古代ギリシア古代ローマなど地中海沿岸地方で活躍した。

目次

[編集] 概要

重装備の歩兵を指す。一般的には甲冑に身を固め、刀剣や盾、長槍などで武装する兵種で、集団で密集隊形をとることが多い。世界各地でみられる。古代ギリシア、古代ローマ、日本に限らず、中国やヨーロッパにも存在していた。重装歩兵は攻撃に強く、集団で敵に立ち向かったときの局地的な破壊力、衝撃力はすさまじいものがある。防御面でも頑強に戦い、陣列を簡単には乱さないように訓練されていることが多い。弱点は動きが鈍重であり、襲撃や奇襲にはむかないという点があげられる。また、大量の兵士を陣形法を元に運用することに強みがある一方で、密集隊形を組むまでに時間がかかり、スペインのテルシオなどは、行軍隊形から戦闘隊形に変化するのに半日を要することもあったという。

[編集] 歴史

[編集] 古代ギリシア

古代ギリシア世界の重装歩兵は「ホプロン」と呼ばれる盾を持って戦ったことからホプリタイと呼ばれた。ホプリタイを務めたのはポリスの自由市民たちで、兵役は市民の義務とされていた。ホプロンは木に牛革を重ねて青銅で補強したもので、走る際には著しく邪魔になったが、敗走の際に盾を捨てることは甚だしい不名誉とされた。歴史的にギリシア文化圏においては小型のものが用いられた。

ホプリタイはファランクスと呼ばれる密集隊形を組んで戦った。盾を左肩の力で保持し、露出した右半身は隣の歩兵の盾で保護した。この陣形は正面に対しては大きな防御力と破壊力を持ったが、機動力のある騎兵などによる側面・背面攻撃に弱点があった。そのため、時代が進むと中央に重装歩兵密集陣を展開し、側面を騎兵部隊によって護衛。前方には軽装歩兵などによる散兵線を形作るようになった。

主な攻撃用の武器はマケドニア王国の勃興以前には片手で肩の高さに構える槍、マケドニアのファランクスでは両手で握る槍(サリッサ)であった。

[編集] 古代ローマ

ローマ軍団の重装歩兵は、当初はエトルリア経由で導入されたギリシア式の戦術を用いたが、山岳民族サムニウム人との戦いの中で、戦列が乱れることに弱い密集隊の欠点を克服した散開戦術を取るようになった。攻撃用の武器は投槍(ピルム)と両刃の剣(グラディウス)であった。盾は体の前面を覆うことができる大型のものが採用されるようになった。

[編集] 近代

古代末期、紛争の形態は勢力同士による会戦から、騎乗異民族の奇襲とそれに対する追撃に焦点が移り、機動力を重視した騎馬による軍事編成が重視され重装歩兵は戦場の主役の座を退いた。またウマの品種改良やアブミの開発により重騎兵なども登場するが、騎兵力のみで重装歩兵を撃破することは困難であったため、会戦における重装歩兵の価値は依然として高いものであった(トゥール・ポワティエ間の戦い)。近代に入り火器が発明されると重騎兵の強みは失われ、歩兵が再び主役となった。スペインで発達した密集陣テルシオは、長槍(パイク)を装備した槍兵をマスケットを装備した銃兵が支援するものであった。

装甲兵は要塞防衛など戦局の往々においてはその強みを発揮する事があった(ロードス島攻防戦)が、火器の発達や大砲の破壊力の増大により装甲そのものが役に立たなくなり、また歩兵が陣形を組んで戦う戦術的な意義も低下し、傭兵の逃走を防止するなど運用面での要請以外に密集陣形が採用されることはなくなり、射線形成のために縦隊・横隊列を形成することはあっても、もはや重装歩兵と軽装歩兵による戦列は消滅した。

[編集] 日本

日本では古代(飛鳥時代以前)にはと盾を持つ重装歩兵が存在したが、その後歩兵による密集戦を必要とする戦争形態は国内では失われ、次いで国内の小規模紛争を効率よく鎮圧する精鋭騎馬戦士として武士が台頭した。その後、戦国期になって重装歩兵は戦闘員の大量動員が可能になった大名領国間の紛争において、足軽部隊として再び台頭する。

昭和の時代になり、学園紛争などを鎮圧するため警察の機動隊が投入され、密集隊型で突破力を発揮した。これは現代における重装歩兵の成功した用法と言える。欧米諸国では日本の機動隊に相当する警察隊によるスクラムのほか騎馬警官がしばしば投入される。

[編集] 関連項目

最終更新 2008年12月19日 (金) 05:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【重装歩兵】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!