野坂康夫
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のざか やすお
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| 生年月日 | 1945年(昭和20年)6月22日 |
| 出生地 | 鳥取県米子市 |
| 出身校 | 広島大学附属高校 東京大学(中退) |
| 前職 | 国家公務員(外務省) |
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| 当選回数 | 1回 |
野坂 康夫(のざか やすお、昭和20年(1945年)6月22日 - )は、日本の外務官僚、政治家。米子市長。戦後、米子市長をつとめた野坂寛治は祖母のいとこにあたる。
目次 |
[編集] 経歴
米子市立就将小学校、米子市立第二中学校、広島大学附属高校を経て東京大学経済学部に入学。大学3年次に世界41ヶ国(当時、現在の国数では48)をヒッチハイクなどで放浪。外交官を志すきっかけとなる。
1969年、東京大学を中退し外務省入省。同期に谷内正太郎、重家俊範、天木直人などがいる。外務省では在中国大使館参事、在英国大使館公使、在バンクーバー総領事、大臣官房国内広報課長、国連局経済課長などを歴任。また、文部省に出向し大臣官房審議官、日本ユネスコ国内委員会事務次長を歴任する。
1998年に米子市長選挙立候補のために退官。2期務めた森田隆朝市長の後継候補の予定であったが、森田市長が引退を撤回し3期目の立候補を表明したために一騎打ちの大激戦となり、僅差で落選。その後は次期米子市長選挙立候補のために米子で活動をすることになり、鳥取県国際交流財団顧問、米子ユネスコ協会常任顧問、広島大学教育開発国際協力研究センター客員研究員などを務める。
2003年に米子市長選挙に2度目の立候補をし当選。2005年には淀江町との合併(新設合併)に伴う米子市長選挙に立候補し当選。
[編集] 人物像
趣味は散歩と読書。
愛読書は中国故事・歴史。
中学時代は陸上競技部に所属。「100メートル11秒9」は当時の県新記録だった。
東大では、アメリカン・フットボール部に入った。
[編集] 系譜
- 野坂家
- 祖父野坂康久は、酒造りをしていた稲田家[1]から野坂家へ養子に来た。康久は米子市東倉吉町でレストラン「十字屋」を経営、市会議員もつとめていた。伯父野坂一郎、父陞三はそろって無線技師で、山陰放送(ラジオ山陰)に入社し、父陞三は常務取締役を経てBSS企画社長をつとめた[2]
(稲田) 稲田喜十郎━━野坂康久 ┏野坂一郎 ┃ ┃ ┣━━━━┃ ┃ ┃ 野坂吉五郎━━幹代 ┗野坂陞三 ┃ ┣━━━━━━野坂康夫 ┃ 千年
[編集] 関連人物
[編集] 脚注
- ^ 蔵元 稲田本店【歴史】
- ^ 『勝田ヶ丘の人物誌』165頁、鳥取県郷土人物文献データベース--野坂陞三
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年9月28日 (月) 12:35 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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