野崎詣り

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野崎詣り(のざきまいり)は上方落語の演目の一つ。原話は、享保5年(1720年)に出版された笑話本・『軽口福ゑくぼ』の一遍である「喧嘩はどうじゃ」。

桂春團治代々のお家芸である。


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[編集] あらすじ

五月一日から八日までの野崎詣り(野崎観音のある慈眼寺へ参詣する行事)は、大勢の参詣客で賑わう。よく晴れた晩春の日、おなじみの喜六と清八も参詣に行く。

途中で船に乗ることになったが、喜六はカナヅチであるため船が苦手。
その恐怖感も相まって、船頭に「(船を出すために)きばってくれ」と頼まれ、あべこべに船をもやるための杭に掴まり、船が動かぬよう気張ってしまうなど大失敗をやらかしてしまった。

ようよう船が出発。今度は喜六が「忘れ物した。」と言い出す。

「ドンなやっちゃなあ。この前も我孫子の観音さん行った時、笠忘れたンやないかい。今なら船でたとこや。間に合うがな。一体、何忘れたン。」

「ションベンや。」

「アホか!ここいら船のハタでやったらええがな。」

「せやけど、わい、船ンハタ立ったら怖ウてしゃあないねん。」

「ホンマにどやしたろか。」・・・

止む無く乗り合いの客の弁当の包みにしている竹の皮を借りて済ますなど、どうも先行き不安である。 それでも一段落ついたところで、このお詣では、船に乗った者と堤を行く者の喧嘩が名物となっているからやってみようということになる。何せ、喧嘩に勝てばその年の運がいい。喜六は、「ええか。運定めの喧嘩や。終わったら、仲直りしてどっかで酒飲むねん。」と清八に教えられ、喧嘩が始まる。

「おーい。向こう行く奴~。」

「あほか。向こう行く奴て。みな向こういくがな。誰なら誰ていわんかい。」

「あ。そうか。おーい。誰なら誰~。」

「何言うてんねん。みなこっち見て笑ろてるがな。あこに女に傘さしかけて歩いているのおるやろが・・・」と、喜六は清八に喧嘩相手と喧嘩の言い方まで細かく教えてもらうことになる。

「おーい、そこの女に傘をさしかけている奴~!」
「へえへえ。後先に見えまへんけど。わたいですかー?」

「へえへえ。あんたでやっせ~。」「どアホ、喧嘩にそないな丁寧な言い方いうてどうするねん。『おのれじゃ~。』というたらんかい。」

「あ、そうか。おのれじゃ~い。」「それがどないぞしましたんか~い。」

「へえ。それがその・・・あのね。まあ早い話が。」

「どアホ。喧嘩に早いも遅いもあるかい。」と喜六側が頼りない。

「そいつはオノレのかみさんではあるまい。どこかの手習いの師匠をたらしこんで、お詣ついでに住道あたりで酒塩で胴がら痛めるちゅう魂胆やろが、おけおけ。稲荷さんの太鼓でドヨドン(雑用損=無駄金)じゃ。」
…と言いたいのだが、喜六はシドロモドロ。相手から「これはうちの女房でおます。」と逆にやりこめられ、「へえ。そらお楽しみ。」とこっちが兜を脱いでしまった。

このままでは負けてしまうと思った清八は、喜六を黙らして岸辺の男に声をかける。

「おーい、変なところでノロケを言うな! 何か踏んでるぞ!?」
「何処にー!?」

相手を俯かせた―という事でこちらが勝ち。これでコツをつかんだ…ように思った喜六は、今度は大男が歩いているのに声をかける。

「おーい、そこのドでかい奴! お前も何か踏んでるぞ!?」
「踏んだのは馬のくそじゃ! こいつを踏むと背が大きくなるぞー」

体つきに違わず大きな声。おまけにやけに威勢がいい。

「あかんやっちゃなぁ。こう言うてやれ!『大男、総身に知恵が回りかね。入日の影法師、半鐘盗人、大きなものにロクな物などあれへんやろうが!』-とな」
「わし、脈が早くなってきたわ…」

喜六はもうダウン寸前。それでも何とか喧嘩をふっかけてみるが、基がガタガタな上に疲れているため目茶苦茶になってしまった。

「おい、あの野郎がえらいこと言っとるぞ? 『片仮名の「ト」の時のチョボがへたった』ってな」

清八が長身で喜六がチビ。たしかに、二人が並ぶと「ト」の字に見えるような…。

「感心している暇はあれへんで? こう言うてやれ、『小さい小さいと軽蔑すな! 大きいのが何の役に立つかい、江戸は浅草の観音様、お身たけは一寸八分でも十八間のお堂に入ってござる。山椒は小粒でもヒリリと辛いわい!』とな」
「え。おい、わい、汗出てきた。」と喜六疲労困憊。

それでも、言われたとおりにやってみるが、「お~い。お前・・・小さい小さいとな。センベツすな。」「何、いうとんねん。軽蔑やがな。」「あ、・・・そや。しっかりせえ。」「お前がしっかりせえ。」「江戸はなあ。コラ・・・江戸はドサクサの観音さん。」「ドサクサやない。浅草じゃ。」「あ・・・そのクサ。」「あほか。しっかり行け。」「・・・し、しっかり行ってるがな。・・・お~い。聞いてくれ。お身たけは十八間でも一寸八分のお堂に入ってござる。」「そら、さかさまじゃ。」「・・・あ、さかさまじゃ。アホンダラ。」と散々の体たらく。

ようよう「山椒は…山椒はヒリリと辛いわい!!」にさしかかるが、
「…それを言うなら『山椒は小粒でもヒリリと辛い』じゃ、お前のは【小粒】が落ちとるぞ!?」
「何処にー!?」

大男に言われ、今度は喜六が俯いてしまった。

「おい、チビ! 何を下向いておるんじゃい!?」
「ヘイ、落ちた小粒を、探しております」


以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] 概要

サゲは言いそびれた「小粒」の文字を探すという滑稽…だけではなく、一分銀貨の通称が『小粒』であるため、お金を落としたと勘違いして下を向いてしまうという、二重のオチとなっている。
原話は、橋の上で田舎侍に因縁をつけられ、「山椒は―」と見得を切ろうとして言葉に詰まってしまった男に対し、往来の人が「小粒だ!」と助け船を入れると、田舎侍が刀を投げ捨て【小粒】を探し始めてしまう‐という物だ。

三部形式で、冒頭部は「その道中の陽気なこと」で下座「扇蝶」が入り、男女の短いやりとりがある。ほんの1分足らずであるが春の雰囲気が漂う序曲の効果がある。中間部は喜六清八の掛け合いで、船の乗るまでのおかしみ。そして船が動き出す。
ここでは演者の目線や体の形、声の違いで、視覚的な演出を上手に使わねばならない。展開部は、堤を行く者との喧嘩であるが、喜六と清八の漫才顔負けのやり取りと喧嘩相手の人物の使い分けが見どころである。

[編集] 春団冶と『野崎詣り』

この話を手掛けた落語家は多いが、やはり特筆すべきは三代目の桂春団冶の口演だろう。

春団冶はこの『野崎詣』を十八番としており、とくに噺の冒頭、お詣に行く男女(中盤で喜六と喧嘩をする二人だろうか?)の道行きを身振りだけで表現するくだりは踊りの素養も相まって一言も喋っていないのに拍手が起こるほど流麗なものに仕上がっている。

同師はこの話に愛着があるのか、出囃子も浄瑠璃『新版歌祭文・野崎村の段』の最後に演奏される華麗な旋律を応用した【野崎】を使用。

もちろん、道行のジェスチャーだけが秀逸なのではなく、冒頭近くの、竹の皮に小便をするくだりや後半部の船中と岸辺の滑稽な喧嘩など大爆笑の連続である。

初代は口喧嘩の件で「虎は死んで皮残す。」「ほおら、船の中のン、よう物知っとんな。おい!ほたら、ライオン死んだら名に残すんじゃい。」「大方、歯磨き残すじゃろ。」と下げていた。なお、五代目六代目の笑福亭松鶴は喧嘩の前に屋形船を登場させ、喜六清八から屋形船の人物へ主人公が変わる演出を取っていた。筋に無理を生じる欠点はあるが、春團治のよりもさらに派手である。もともと、笑福亭の方が本来の演出であったが、初代春團治がレコード吹き込みの時間制限のため、変えたものである。なお、春團治の出囃子が「野崎」(浄瑠璃「新版歌祭文」の野崎村の段より)であり、さまざまな意味で春團治にかかわりのある演目となっている。

なお、1934年(昭和9年)年発売の流行歌「野崎小唄」(大村能章作詞・藤田まさと作曲・東海林太郎唄)では「呼んでみようか土手の人」という歌詞があり、この喧嘩の風景を読み込み、間奏部では「野崎」の旋律が導入されている。

最終更新 2009年8月28日 (金) 02:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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