野沢那智

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のざわ なち
野沢 那智
プロフィール
本名 野沢 那智
のざわ やすとも
愛称 ナッちゃん
配偶者 あり
出生地 日本東京都
血液型 AB型
生年月日 1938年1月13日
現年齢 71歳
所属 オフィスPAC(代表)
活動
活動時期 1963年 -
デビュー作 狼少年ケン
※テレビアニメのデビュー作
声優テンプレート|カテゴリ

野沢 那智(のざわ なち、1938年1月13日 - )は、日本の男性俳優声優ナレーター演出家東京都出身。オフィスPAC代表。

アラン・ドロンブルース・ウィリスなどの吹き替え、『スペースコブラ』のコブラ、『どろろ』の百鬼丸、『悟空の大冒険』の三蔵法師、『ベルサイユのばら』のフェルゼン、『サクラ大戦シリーズ』の真宮寺一馬/鬼王などで知られる。

目次

[編集] 概要

[編集] 人物

日本声優界の大御所の一人として知られ、数多の洋画吹き替え・アニメ作品で声の出演、またラジオDJナレーターなどを手がける。役者、舞台プロデュース、舞台演出でも活躍。

本名は、同表記で「のざわ やすとも」。公私ともに正しい名前を呼ばれたことが無く、誤った呼び方がそのまま芸名として定着した。那智の由来は不明。

身長167cm、体重52kg。血液型AB型星座やぎ座

父は作家の陸直次郎、姪はタレントの野沢直子、長男は俳優の野沢聡

[編集] 略歴

[編集] 舞台美術家から舞台演出家への転向、役者の道へ

中学生の頃、家の近くにあった「明治座」という芝居劇場へ毎日のように通う。ただし、見ていたのは、役者ではなく舞台装置で、明治座から帰ると、みかん箱を舞台に見立てたミニチュアを作って遊んでいた。最初から役者をやりたかったわけではなく、将来は舞台美術家になりたいと思っていた[1]

その後、國學院大學に進む。大学3年生の頃からプロ劇団に出入りするようになり、大道具などの仕事を手伝わせてもらうようになる。ところが、その劇団の舞台美術家から「お前絵が下手だな。思いつきはいいんだけど。向いてないよ。やめろ」と言われてしまう[1]

野沢はそれでも芝居関係の仕事がやりたかったため、今度は舞台演出家を目指すようになる[1]。野沢は「舞台監督をやっていると、横に演出家が付くじゃないですか。よく見てみたら演出家は役者にわぁわぁ言って偉そうなんです。舞台監督って演出家の意図を実現するための下働きですからね、演出家の方が格好いいなーって思って。それで仲間を集めて芝居を始めちゃったんですよ」という事柄が演出家を志望した理由であった[要出典]

大学を中退し、劇団七曜会に演出家研修生として入団。だが、主催の高城淳一に会った途端、「演出家希望?とりあえず役者やれ!」と言われ、いきなり舞台に出ることになる。それから3年程、七曜会で役者を続けることになった[1]。なお、七曜会時代の先輩には肝付兼太青野武らがいる。

また、当時誕生したばかりだった洋画の吹き替えのアルバイトをこなすようになった。俳優間では「俳優として、自分のオリジナリティを捨てている」と見下されていたが、野沢は「当時はテレビドラマも生放送だから、ドラマの仕事が来ると稽古やリハーサルで一週間は拘束される。でも、それじゃ舞台のための稽古ができない。吹き替えは一定期間で終わるから、時間的に効率のいいアルバイトだった。役者を目指しているからには、稽古時間が欲しいじゃないですか。それに、一応セリフを喋る仕事だから、まったく関係ない業種のアルバイトより、吹き替えのほうが勉強になりますからね。僕は演技のデッサンとして面白いなと思ったし、実際に収入もなかった」という理由で積極的にやったという[1]

劇団城の立ち上げと分裂

劇団七曜会を退団後、野沢は役者仲間を集めて「劇団城」を立ち上げた。初めて演出を担当するが、難しい演目ばかりやっていたため、客は入ってこなかった。そのため、金はかかるとたちまち運営に行き詰ってしまい、劇団は分裂。製作の責任者であった野沢は3年間で370万円(現在の価値で2000万円ほど)もの借金を抱え込んでしまった。

アパートを引き払い、友達の家を転々としているような生活で、15円のコッペパンで「今日は食べたぞ!」と満足していたほどの赤貧生活だった。当時の生活について野沢は「少しも辛くなかったのは、芝居が好きっていうのもあるけど、日本中が貧乏だったからでしょうね」と振り返っている[1]

[編集] アテレコ(声優業)の本格開始

借金返済の見通しも立たず困り果てたある日、野沢が銀座の街を歩いていると、劇団七曜会にいた頃の先輩である八奈見乗児と道端で偶然出くわした。そこで野沢は「何か仕事がないですか」と聞いたら、「お前、アテレコやれ。事務所は紹介するから」と八奈見に言われるが、野沢は最初、冗談だと思ってまともに取り合わなかった。しかし一週間後また偶然八奈見と出くわすと「もう事務所に連絡入れたぞ」と言われ、四ツ谷にあるプロダクションに連れていかれるが、そこは裏通りにある魚屋の2階で、階段も狭く「俳優の事務所っつったって汚ねぇんだな。何ていうプロダクションなんだろう」と見てみると「東京俳優生活協同組合」だったという。このような経緯から事務所の熱心な売り込みもあって、野沢は声のアテ師の仕事を始めた。

テレビ普及が本格化した高度経済成長時代のテレビドラマ黎明期に、人手不足からテレビの仕事に手伝いで呼ばれ参加したところ、その仕事は演出などのスタッフではなく演じる方=俳優の端役(性犯罪者役)であった。「こんなの親に見せられない」と困惑した野沢が、「人目に触れず出来る仕事はないか」と職を探しながらも「そんなコソドロみたいな仕事はない」と返され、渋々いくつかの映像出演や舞台出演を重ねた後、次に引き込まれていったもう1つの人手不足の現場がアフレコの世界であった。

野沢によれば「アテレコで若い男の役といえば野沢那智」という感じで、次々と仕事が回ってきて、1日3本こなしたこともあったとのこと[1]

1年半アフレコの仕事をこなし、借金が半分になったため、そろそろ役者を辞めようと思い始めた。その時、「最後にこのオーディションに行くだけ行ってきてよ。ほとんどキャストは決まっているので、落ちるから大丈夫」と言われて紹介されたのが『0011ナポレオン・ソロ』であった。気楽にオーディションを受けたが、既にイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)役は愛川欽也に決まっていたのが、何故か配役を野沢に変更された[1]。野沢が知人から聞いたところによれば、ディレクターが野沢の出演している番組を偶然見て「誰だ?この女みたいな芝居する奴は」と注目し、配役を決定したという。また、『0011ナポレオン・ソロ』が視聴率40%くらいを取る大当たりになったため、役者をやめるわけにはいかなくなったとのこと[1]

[編集] その後

このような経緯で劇団の借金を返済するため声優業を開始して、次第に人気を獲得していった野沢だが、最終的には声優の世界から遠ざかり、自分の劇団を復活させ演出家としても活動する。

TBSラジオの深夜ラジオ番組『パックインミュージック』でパーソナリティとして白石冬美とコンビを組み、文化放送など局を移しても2人で「那智チャコ」の愛称でラジオ番組のパーソナリティ・コンビとして好評を博した。

1963年に、劇団薔薇座を設立し、プロデュース演出を担当。ストレートプレイミュージカルの上演に力を注いだ。1988年、劇団薔薇座の第21回公演ミュージカル『スイート・チャリティ』で文化庁芸術祭賞を受賞している。

現在はオフィスPACの代表を務め、声優・ミュージカルタレント・俳優を目指す人材を育成している。この学校は略称、PAC(パック)と呼ばれる。また、アニメに頻繁にゲスト出演したり、バラエティなどでナレーションを担当したりなど、声優としての活動も多い。

2008年第2回声優アワード功労賞を受賞。

2008年5月頃に長年所属していた賢プロダクションを退所。

2008年、『コブラ』がOVAとして復活。TVアニメ『スペースコブラ』でコブラを演じた野沢が再びコブラ役に起用された。これに関して原作者の寺沢武一は「コブラは野沢でなければ作らせない=作らない、意味が無い」とまでコメントする。野沢本人も声優アワードにまつわるインタビューなどにおいて「今年はコブラだ!」と気合と意気込みをアピールしている。

[編集] 特色

声質からアニメやゲーム作品においては、『キングダムハーツ Re:チェインオブメモリーズ』(ヴィクセン)や『ルパン三世 ルパン暗殺指令』(ジョン・クローズ)のような悪役を演じるイメージが強いが、『チキチキマシン猛レース』(ナレーター(実況))のような熱血漢、洋画吹替ではアラン・ドロンなどの二枚目役が有名、また雰囲気を変えた三枚目もこなす。本人によれば「狂人が得意分野」とのこと(キレるのは簡単、と語ったインタヴューもある/『とり・みきの映画吹替王』より)。『悟空の大冒険』で担当した三蔵法師がいわゆる「おかま」になったのはアドリブからである。また、ブルース・ウィリスの吹替を務めた『ダイ・ハード』においては、そのほとんどがアドリブである。細身な野沢がマッチョアクションを吹き替えていたところ、酸欠を起こし、酸素ボンベ常用で演技したという。『ダイ・ハード』は野沢にとって印象的な仕事になり、野沢はいまだに台本を保存しているという。

クリストファー・ウォーケンやデニス・ホッパーといった狂気がかった役の吹替えが多いが、本人はジェラール・フィリップトム・ハンクス全出演作を吹替えるという夢を持っている。前者はナレーションを担当した『星の王子さま(CD-ROM版)』で一部実現したが後者は一本も無い。笑いの要素が好きで演技にも感動させられると語っていた。

[編集] アラン・ドロンの吹き替えについて

アラン・ドロンの吹き替えで有名なため、演劇・映画の関係者や評論家、役者達のコラムや寄稿において「アラン・ドロンから連絡を貰った」「稽古場でアラン・ドロンがソバを食べていた」等、冗談でアラン・ドロン扱いされていることが多い。また、アラン・ドロンがダリダとデュエットし、ヒットしたシングル『あまい囁き(Parole Parole)』の日本語版にも参加している。

幼い頃父を亡くしたという経験がアラン・ドロンと似通っており、野沢が生い立ちに言及した際、その点もあってドロンに共感できるのかも、と述べていた[要出典]

アラン・ドロンの声は、野沢が演じているものより実際には低い声である。一度、ディレクターも交えて冗談で声を同じくらい低くして演じてみたことがあったが、まったく外見のイメージと合わなかった。「それなら、アラン・ドロンの顔つきや体つきからイメージされる、甘さのある柔らかい雰囲気に合わせよう」ということになった。野沢は「二枚目という端正な魅力を生かすには、汚い日本語では絶対に成立しない。正確にいうと、アラン・ドロンを演じているわけじゃない。彼が映画の中で役を通して表現したかったことを、日本語で表現している」とインタビューで話している[2]

ドロン出演作品の魅力について、不利だとわかっていながら戦いに赴くなど「泣かせ方が日本的」と語っていた。ドロン全盛期はその物語が支持されたが、観客層の変化で人気の維持が困難になり、やがてはドロン出演作が製作されても、日本未公開となったりし、観客の嗜好と「ずれてきちゃった」と分析して、やや野沢自身の寂しさを感じさせるコメントで、長くつきあったドロンへの野沢の愛着も感じられる回答を残している(『映画はブラウン管の指定席で』より)。

[編集] 仕事に対する姿勢

野沢は声の基礎トレーニングを受けたことがない。困ると思って考えたのが、クラシック音楽を口で歌うことであった。トランペットならトランペットの音、チェロが鳴ったらチェロの音など、全部を口真似して一曲丸ごと歌うという。発音だけでなく、発声のトレーニングもでき、音を真似するために、口はどう開け、舌はどう使うかを考えるという。喉が苦しくなったら、それは発声が悪いとのこと[3]
雑誌『レコード芸術』でのインタヴューで、トレーニングに用いたクラシック音楽のレコードコレクションを披露し、これだけレコード買ってなかったら、今頃はプールつきの家に住んでる、と茶目っ気あるコメントを残したこともある(また同じインタヴューで本業が舞台演出家として紹介されており、彼の舞台への愛着も垣間見られる)。

吹替録音の際には、マイクへの立ち方も演技のひとつとして捉えており、アラン・ドロンの吹替では、人間関係に関し不器用な役が多いため、あまりマイクの正面に立たずに心情を表現していたという。一方男性的で、またリーダーシップを発揮する役も多いアル・パチーノの吹替ではマイクの正面に立ち、堂々たる雰囲気を心がけながら演技したと語っていた(『とり・みきの映画吹替王』などより)。

体の大きなマッチョ体形の男を初めて演じる際、「どうやってこの声を出したらいいんだ」と真剣に悩んだことがあった。そこで考えたのが、収録の前日にウィスキーを飲むことであった。すると声がしゃがれて野太くなるが、3時間も喋っていると、嗄れすぎてカサカサになるという[2]

吹替を長く牽引してきた多くの名優たちと同様に「声優の前に俳優であれ」との考えから、声優という言葉はあまり使わないようにしている。声優を目指す若人には「自分の体で表現できる心をとらえられる役者になれ」と言っており、その結果、声の仕事が主になってもいいとのこと[2]。インタビューなどにおいて、声優になれない声優志望者に対して「そういう人たちには俳優になろうという気がない(声優とは俳優の仕事の一部だという事を理解していない)からだ」と苦言を呈したことがある。

[編集] プライベート

シンジュサンゴという名前の元競走馬を所有している。このシンジュサンゴという名前は、姪の野沢直子の2人の娘の名前に由来する。しかし野沢直子のデビュー当時の破天荒振りには、終始はらはらさせられっぱなしだったという[4]

[編集] 逸話

[編集] 待遇面について

かつては声優業のギャランティが法外に安く、デヴィッド・マッカラムの来日に合わせたイベントに際してテレビ局のハイヤーで移動中、追っかけのファンがタクシーで後を追ってくる様子を見て「俺はギャラ3700円のスターだ」と腹立たしくなったという。あまりにも安いギャランティに腹を立て、収録が終わったページを次々に破り捨てたこともあると語っている。だが、野沢いわく大先輩の俳優もやっていた行為で単に真似していただけという。今思うと台本を破ってしまったのはちょっと勿体ないとも語った[要出典]

賢プロや劇団関係のゲスト等のイベントや舞台で、よく「ギャラの安さに怒りを覚え、日本一高い役者になってやると決意し、見事なった結果、仕事がなくなりました」と自らのギャランティのトップ水準を自虐的に語り笑いを誘うことがある。

山寺宏一の豪邸を見た野沢は「俺もギャラを片っ端から飲んでなければ山寺くらいの家が持てた」と発言している。

[編集] 出演作品との関わり

スター・ウォーズ』シリーズのC-3PO役は、英米の声優らは,野沢が適任と語るほど特徴あるはまり役だった。日本語版製作にあたって、TV版とビデオ版とではキャストが代わることが多いが、このキャラクターはいずれも野沢が吹き替えている。関連イベントのプロモーションの音声も彼が手がけている。日本における『スターウォーズ』のイベントで野沢はダニエルズと対面したが、ダニエルズは通訳を無視して延々と自分の話を続けたため、野沢は「変な奴だった」と語っている。なお,野沢は作中のキャラクターではベン・ケノービが好きという[要出典]

新『スター・ウォーズ』三部作が製作された際は担当声優が変更され、旧日本語吹替版C-3POファンの間では落胆の声や困惑が生じた。本国側のFOX・ルーカスフィルム担当者は旧作製作当時を知らない若手社員に交代しており、吹替版製作を役者の実力や芝居のフィットよりも、声質の近さを最優先事項とした。日本FOX及び音声製作会社側は当初配役変更に猛反対し、日本における旧作公開の歴史や「野沢C-3PO」の知名度を説明したが、これが逆に本国側を硬化させることになったとされる。野沢本人も本件はショックであったらしくインタビュー等において、外国映画日本語吹替版の質の低下を憂いている[5]

ルパン三世の声優で知られる山田康雄が1995年に逝去して以降、山田が吹替を担当していたクリント・イーストウッドを引き継いでいる。
イーストウッド作品で最初に吹き替えたのは「ザ・シークレット・サービス」(1996年「日曜洋画劇場で放映)。この作品の依頼の際、山田に似せて演技してほしいとスタッフから促され引き受けたものの、自分の芝居ができないことに悩み、結局録音は、山田に似せた演技と、“野沢イーストウッド”がそれぞれ含まれる仕上がりになった模様で、野沢は「中途半端」と仕上がりを評し、この作品に関してやや後悔も感じられる回答を述べた(『とり・みきの映画吹替王』より)。また、他にも「結局演出の希望通りにすると、ヤスベエ(山田)の芝居を姑息に真似する結果になっちゃうし、意識しないように心がけてもやはり当人の芸を見てきてしまっただけに苦しい。それにイーストウッドの芝居はその感覚がつかみ難い」と難色を示している。ただ、その後も現在までイーストウッドの吹替を手がけている。
なお、1969年頃に製作された『ルパン三世 パイロットフィルム』においては、野沢がルパン三世を演じている。これは後に山田がルパン三世の声優を担当する一連のTVシリーズ開始以前のことであった。野沢は後に、「おれがルパンやっていたらこんなロングランにならなかったと思う。潰れただろうね。ヤスベエでホント良かったよね」と語っている。なお、後に野沢と山田は『ルパン三世 ルパン暗殺指令』で対決している。また、フランス映画の「ボルサリーノ」の吹き替えでは野沢がアラン・ドロン、山田がジャン・ポール・ベルモンドを当てている。

ベルサイユのばら』では,フェルゼン役に決まった直後に病気で倒れて入院し、初登場から数話だけ堀勝之祐が代役を務めた。初登場が代役というのは,きわめて異例である。また『Dr.スランプ アラレちゃん』のDr.マシリト役や『ガラスの仮面』の速水真澄役など、途中で変更になる場合もあった(代役はそれぞれマシリト:野田圭一、速水真澄:森功至)。『HELLSING』のアンデルセン神父役も、OVAで作り直された際には若本規夫に変更された。

[編集] パックインミュージック

白石冬美とともにパーソナリティを務めた「パックインミュージック」は、「ナチチャコ(ナッチャコ)パック」「金パ(金曜パックインミュージック)」などの愛称で親しまれ、1967年の放送開始以来15年間続いた人気番組であったが、放送開始当初の契約は「3ヶ月」であった[6][3]

野沢の第一回放送での第一声は、コールランプを非常サインと勘違いした「故障ですか、故障ですか」の大騒ぎ。NGを以てのスタートとなった。その酷過ぎる放送内容で自己嫌悪に陥った野沢は、とても3ヶ月も続かないと思いながらTBSの前に来るラーメン屋台で泥酔して帰宅したという話がある。

その頃の野沢は、吹き替えも収録スタジオでもみんなの雑談に入れなかったくらいの恥ずかしがり屋で、自分でも何をしゃべったのか覚えてない、気がついたらCMになっていて、自分が無口だということを初めて知ったという[3]。。

DJに不馴れな最初期はCM中もサインに気付かず話し続ける等NGを連発したが、番組自体は野沢の独特の言い回しなどから徐々に人気となる。初期は野沢が迷走的に話し続ける内容で作り手も苦しい状況だったが、リスナーに対して話題を求めるという当時としては画期的なシステムを編み出し、これによって番組は爆発的な人気を得る。また、番組に投書されるハガキの内容も独特なものが寄せられ話題を呼んだ。猥談から食事、趣味、思想と話題が多岐にわたり、「手紙に手紙が繋がっていく」(白石談)という状況も生み、15年間という異例のロングランとなった。

番組内で白石とのデュエット曲『テレホン・ラブ』と『青山レイニーナイト』をリリースした。

野沢は徹底した平和主義者として知られ、戦争・紛争、武力、暴力またはそれに関わる組織を嫌う。反戦活動をする作家や芸術家、芸能人らとも交流があり、それが番組の話題にもなった。そうした野沢の姿勢・発言から、一部からは「若者に有害な左翼放送である」とクレームが来たこともあるらしいが、武力・暴力を否定しながらも自虐史観でも反体制でもない野沢の感覚は右でも左でもなかったとする意見もある[要出典]。しかし投稿の内容にはあまり深くは立ち入りしない方針。過去に自殺をほのめかす投稿があり、それに対して行動を起こしたことで幻滅する結果を経験したからとのこと。

熱狂的なファンも多く、番組終了決定の際にはファンがTBSへ抗議のデモをかけるほどだったという。「人気は未だ上り坂で決して低迷はしておらず、局内の人事の都合で打ち切られた」と主張するファンも居たとされる。こういった声がある一方で、番組の初代ディレクターで番組終了決定時にはラジオ編成部で番組編成を担当していた熊沢敦は「(パックインミュージック終了に至ったのは)比較的年齢の高いヤング層のラジオ離れがあり、他局と同じことをしていたのでは今後ジリ貧になる恐れがあったため、あえて終了という決断をした」[7]と、番組終了の経緯を説明している。

[編集] 劇団薔薇座

劇団薔薇座には数多くの声優が在籍した。その後のメンバーの活躍分野は多岐に渡り、安崎求の様にミュージカル分野で活躍する者から、岸野幸正の様に自らの劇団を持ち舞台で活躍する者、玄田哲章高島雅羅の様に洋画・アニメーションで売れていった者、菅谷勇のようにナレーションを得意分野とする者、戸田恵子の様なマルチタレントに位置する者など、多様な人材が育った。他には、有本欽隆石塚運昇江森浩子椎橋重志賀克也鈴置洋孝鈴木清信竹村拓津久井教生鉄炮塚葉子富本牧子、豊田真治、中村秀利難波圭一筈見純など。

当時、野沢の指導の厳しさは「演劇界の修羅」とまで評され、ダメ出しの際の「馬鹿、死ね」等の罵詈雑言、しまいには灰皿やパイプ椅子を投げつけられる等の凄まじさから「ナチ収容所」等様々なあだ名が付けられた。玄田哲章によれば、稽古中サングラスを掛けサーベルを振り回していたこともあったという。公演中やリハーサル中に、劇場ロビーで玄田が倒れていた等の逸話もある。鈴置洋孝は「ここを経験していたから頑張れた」と語り、石塚運昇も当時の感想を「ハードすぎて生活できなかった」とコメントしている。野沢がパーソナリティを務めるラジオ番組では薔薇座の紹介もされており、それを参考に入団した者は「パーソナリティ・ナッちゃん」と「演出家・野沢那智」のギャップに圧倒され、「こりゃ詐欺だ」と嘆いていたらしい。現在でも演技指導に対する厳しさは健在で、パフォーミング・アート・センターにおいて講義の際、竹刀を持って指導しているという。

[編集] 出演作品

[編集] テレビアニメ

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

[編集] OVA

[編集] 劇場版アニメ

[編集] ゲーム

[編集] 吹き替え

[編集] 洋画

  • アラン・ドロン
    • 悪魔のようなあなた(テレビ朝日)
    • アラン・ドロン/私刑警察(テレビ東京)
    • アラン・ドロンの刑事物語 *テレビシリーズ(NHK)
    • 暗黒街のふたり(テレビ朝日)
    • 暗殺者のメロディ
    • エアポート'80(テレビ朝日)
    • カサノヴァ最後の恋(ビデオ)
    • 危険がいっぱい
    • 黒いチューリップ
    • 高校教師(テレビ朝日)
    • 殺人ゲーム・・・ビデオタイトル「ポーカー・フェイス」(テレビ東京)
    • サムライ
    • さらば友よ(フジテレビ)チャールズ・ブロンソン:大塚周夫
    • シシリアン(フジテレビ=DVD)ジャン・ギャバン:森山周一郎 リノ・バンチュラ:田口計
    • ジェフ(テレビ朝日)
    • ショック療法(テレビ朝日)
    • スコルピオ(TBS)
    • 素晴らしき恋人たち(TBS)
    • ゾロ(テレビ朝日 2種類)
    • 太陽がいっぱい(フジテレビ、テレビ朝日)フジ版DVDに収録
    • 太陽が知っている
    • 地下室のメロディー(テレビ朝日)ジャン・ギャバン:森山周一郎
    • テキサス(テレビ朝日)ディーン・マーティン:羽佐間道夫
    • 友よ静かに死ね(テレビ朝日)
    • 泥棒を消せ(テレビ朝日)
    • ハーフ・ア・チャンス(ビデオ)
    • ビッグ・ガン(テレビ朝日)
    • 必殺ビッグ・ガン/最後の標的・・・ビデオタイトル「最後の標的」(テレビ朝日)
    • ブーメランのように(テレビ朝日)
    • 復讐のビッグ・ガン・・・ビデオタイトル「凶悪の街/刑事の勲章」(テレビ朝日)
    • フリック・ストーリー(テレビ朝日)
    • 冒険者たち(フジテレビ、テレビ東京)リノ・バンチュラ(フジ/テレ東):森山周一郎/吉水慶 テレ東版DVDに収録
    • ボルサリーノ(フジテレビ、テレビ朝日)ジャン・ポールベルモンドは両版ともに山田康雄
    • ボルサリーノ2
    • 山猫(テレビ朝日)
    • リスボン特急(フジテレビ)
    • レッド・サン(機内上映、TBS、テレビ東京=DVD)チャールズ・ブロンソン:大塚周夫/森山周一郎/大塚周夫
  • ロバート・レッドフォード
    • 愛と哀しみの果て(日本テレビ)
    • アンカー・ウーマン(ビデオ)
    • 幸福の条件(ビデオ=DVD、日本テレビ)
    • 候補者ビル・マッケイ
    • 追憶
    • コンドル(テレビ朝日 2種類)
    • スパイ・ゲーム(DVD)
    • スニーカーズ(DVD)
    • 出逢い(テレビ朝日)
    • ナチュラル(テレビ朝日)
    • 裸足で散歩
    • ハバナ(DVD)
    • ブルベイカー(日本テレビ)
    • ホット・ロック(フジテレビ)
    • 夕日に向かって走れ(テレビ朝日)
    • ラストキャッスル(DVD)
  • ジュリアーノ・ジェンマ
    • 暁のガンマン
    • 怒りの荒野
    • 怒りの用心棒
    • 荒野の1ドル銀貨
    • さいはての用心棒
    • タイタンの逆襲
    • 特攻大戦線
    • 南から来た用心棒
    • バスタード
    • 星空の用心棒
    • ミラノの恋人
    • 夕陽の用心棒

[編集] その他洋画吹き替え

[編集] TVドラマ

[編集] アニメ

[編集] 人形劇

[編集] ラジオ番組

出演中

過去の出演

[編集] CD

  • 最終神話戦争イデアオペラ オリジナルドラマCD 第1章 罅割れたミュトス(ハデス)
  • 最終神話戦争イデアオペラ オリジナルドラマCD 第3章 輝ける悠遠の女神(ハデス)
  • モスラドラマCD (中条信一博士)
  • あまい囁き
  • 岸和田博士の科学的愛情 ザ・ドラマCD(岸和田博士)

[編集] レコード

  • 六月の薔薇
  • 甘い囁き (金井克子とデュエット)
  • 青山レイニィ・ナイト (白石冬美とデュエット)

[編集] CM

[編集] その他

[編集] 演出作品

  • アップル・ツリー

[編集] 脚注

  1. ^ 野沢那智の声優道 第1回 人生何がどうなるかなんてわからない
  2. ^ 野沢那智の声優道 第2回 声優になるには①〜声優の前に、俳優であれ!〜
  3. ^ 野沢那智の声優道 第3回 声優になるには②~技術と感性を兼ね備えた演技者を目指そう~
  4. ^ ラジオ番組・TBSラジオ「昭和歌謡史」内での、野沢那智の発言。
  5. ^ 書籍『吹替洋画劇場』や『ライオンのごきげんよう』での野沢の発言。
  6. ^ TBSテレビ・テレポート6「7月で終了するパックインミュージック」野沢那智インタビューより。
  7. ^ TBSテレビ・テレポート6「7月で終了するパックインミュージック」熊沢敦インタビュー。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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