野田市

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野田市
のだし
日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12208-4
面積 103.54km²
総人口 154,695
推計人口、2009年10月1日)
人口密度 1,490人/km²
隣接自治体 千葉県:柏市流山市
埼玉県:春日部市吉川市幸手市杉戸町松伏町
茨城県坂東市守谷市常総市五霞町境町
市の木 ケヤキ
市の花 ツツジ
市の鳥 ひばり
野田市役所
所在地 〒278-8550 千葉県
野田市鶴奉7番地の1
野田市役所
電話番号 04-7125-1111
外部リンク 野田市

野田市位置図(千葉県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
野田市 市章(1950年11月3日制定)
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)

野田市(のだし)は、千葉県の北西部に位置するである。人口約15.5万人で、千葉県内では流山市に次いで12位。

2003年6月6日東葛飾郡関宿町(せきやどまち)を編入、平成の大合併千葉県第1号となった。これにより、千葉県の最北端の自治体となった。

目次

[編集] 地理

野田市役所

千葉県の最北端の市である。関東平野のほぼ中央に位置しており、市の東を利根川、西を江戸川、南を利根運河によって、三方を河川に囲まれている。利根川を挟んで対岸が茨城県、江戸川をはさんで対岸が埼玉県である。

野田という地名の由来は諸説あり定まっていない。有力な説に「野田右馬助という武将が館を構えたことに由来する」というものがあるが、逆に「野田の地名を取って野田右馬助を名乗った」とする説も存在し、はっきりしない。

東武鉄道野田線野田市駅」周辺はキッコーマンの創業地であり、ここから毎日、全国に醤油が輸送されている。

[編集] 河川等

[編集] 隣接している自治体

[編集] 歴史

野田市と旧関宿町は合併したが、互いに異なった歴史を持ち、違った発展を遂げている。そのため、ここでは野田市と旧関宿町を別々に分けて説明する。

[編集] 野田市

江戸時代以前

野田は江戸時代以前の記録に乏しいが、小規模な遺跡が点在しており、古くから開かれていた土地であることがわかる。古代の遺跡としては野田貝塚山崎貝塚などが残っており、中規模の集落があったとみられている。

中世の遺跡としては、後三年の役で活躍した鎌倉権五郎の居城や、古河公方の重臣・野田右馬助の居城があったと伝えられている。ただし遺構は発見されていない。

また尾崎には、鎌倉幕府の有力な御家人だった野本家定の城館と伝えられる、比較的規模の大きい城館跡も残っている。木野崎には、国人一色数馬の城館跡が残っており、豊臣秀吉の派遣した軍との戦いがあったと伝えられている。

徳川家康江戸入府後には、岡部長盛の居城が山崎に築かれ、のちに堤台に移ったと伝えられている。

下総山崎藩」を参照

これらの遺構や伝承はある程度残っているものの、記録が少ないため中世の情報はわからないことが多い。

江戸時代

野田は江戸時代に入るとやや記録が増える。これは、大消費地となった江戸に出荷する醤油産業が興り、恵まれた水運を利用して、醤油の一大ブランド地として栄えていったためとされる。陸上交通として、日光東往還が通されたため、山崎宿・中里宿などの宿場も興った。

近代以後
  • 1889年(明治22年)4月1日
    • 野田町・清水村・上花輪村・中野台村・堤台村・桜台村の飛地・今上村の飛地が合併して野田町が置かれる。
    • 大殿井村・目吹村・鶴奉村(明治7年、鶴嶋新田と奉目新田が合併)・柳沢新田・宮崎新田・中根新田・横内村・花井新田の飛地が合併して旭村が置かれる。
    • 山崎村(明治初期、亀山新田を編入)・今上村・桜台村・花井新田・堤根新田・宮崎新田の飛地・清水村の飛地・上花輪村の飛び地が合併して梅郷村が置かれる。
    • 谷津村・吉春村・蕃昌新田・五木村・五木新田・岩名村・座生新田・尾崎村の飛地が合併して七福村が置かれる。
    • 東金野井村・中里村・船形村・尾崎村が合併して川間村が置かれる
    • 木野崎村・三ツ堀村・瀬戸村・二ツ塚村・上三ケ尾村・西三ケ尾村・下三ケ尾村・大青田村の一部(運河の北側)が合併して福田村が置かれる。
野田市の年表
  • 明治28年(1895年)
    • 梅郷村のうち江戸川右岸(今上の一部)を埼玉県北葛飾郡旭村に編入。
    • 旭村が埼玉県中葛飾郡金杉村大字金杉の飛地を編入し大字金杉を設置。
  • 1899年(明治32年)川間村が茨城県猿島郡中川村の一部(利根川以南)を編入し大字小山・筵内・長谷を設置。
ウィキソース
ウィキソース野田市を置く件の総理府告示文があります。
  • 1950年(昭和25年)5月3日 - 野田町・旭村・梅郷村・七福村が合併し、野田市となる。
  • 1951年(昭和26年)1月1日 - 川間村の一部を野田市に編入する[1]
  • 1951年(昭和26年)七福地区に大字七光台を設置
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 川間村・福田村を合併。
  • 1961年(昭和36年)9月1日 - 関宿町との境界を変更する[2]
  • 1965年(昭和40年)川間地区に日の出町を設置
  • 1971年(昭和46年)野田地区に中野台鹿島町を設置
  • 1973年(昭和48年)野田地区に上花輪新町を設置
  • 1978年(昭和53年)七福地区に春日町・五木新町を設置
  • 1980年(昭和55年)七福地区に岩名一丁目・岩名二丁目を設置
  • 1983年(昭和58年)南部地区に山崎貝塚町を設置
  • 1988年(昭和63年)七福地区に大字谷吉を設置
  • 1989年(平成元年)南部地区に大字山崎梅の台を設置
  • 1995年(平成7年)
    • 川間地区に大字尾崎台を設置
    • 梅郷地区に花井一丁目を設置
  • 1999年(平成11年)10月1日 - 関宿町との境界を変更する[3]
  • 2002年(平成14年)南部地区にみずき一丁目・みずき二丁目・みずき三丁目・みずき四丁目を設置
ウィキソース
ウィキソース関宿町を野田市に編入する件の総務省告示文があります。
  • 2003年(平成15年)6月6日 野田市と関宿町が合併し、現在の野田市となる。
  • 2006年(平成18年)
    • 9月 野田地区に清水公園東一丁目・清水公園東二丁目を設置
    • 10月 野田地区に桜の里一丁目・桜の里二丁目・桜の里三丁目を設置
醤油醸造に関しては以下のようなことがあった。
  • 1917年(大正6年)高梨家・茂木家など在郷醤油醸造家が合同して設立されていた野田醤油醸造組合が株式会社となる。

上記のように醤油醸造で久しく名を知られてきたが、市域南部に一戸建住宅地が増加するなど戦後は一貫して東京のベッドタウン化の道をたどりつつあった。

しかし近年都心回帰現象の影響を受け、青年男子層が進学・就職を機会に市外に流出、高齢化の進展を見ている。

[編集] 旧関宿町

関宿町」を参照

江戸時代以前

室町時代より関宿城が築かれ簗田氏が支配する。戦国時代には、簗田氏はたびたび後北条氏と争った。関宿合戦と呼ばれる。

江戸時代

江戸時代には関宿藩がおかれ、徳川譜代大名が城主を務めた。以後、関宿城の城下町として栄える一方、現在の江戸川と利根川の分流点に位置したため河岸ができ、また水上交通の要衝として関所が置かれた。また日光東往還の宿場として、陸上交通の要衝でもあった。下総有数の繁華の土地であり向河岸・境町も含め人口数万の繁栄を誇った。

近代以後

廃藩および舟運の衰退により以前の繁栄は失われ往時の繁栄を見出すことは難しい。一方において、橋幸夫の「潮来笠」に登場する実在地名だったので、中高年者には利根川岸の一小邑として広く知られた。大映映画「潮来笠」の舞台にもなった。橋は地名消失の報に接しすこぶる残念に思い、合併後の2005年に当地を訪れている(TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド」による)。

バブル崩壊以降東京通勤圏の域外と見なされ、県内地価下落率の上位地点となったうえ人口が毎年減少を続けてきた。特に最大集落、大字木間ヶ瀬は年間100人を超える人口減が起こっている(野田市役所ウェブサイト上の大字別人口統計に基づく)。南部地区は逆に毎年、人口が増えている。

旧関宿町の年表
ウィキソース
ウィキソース関宿町を置く件の総理府告示文があります。
  • 1955年(昭和30年)7月20日 - (旧)関宿町・二川村・木間ヶ瀬村が合併し、関宿町となる。
  • 2003年(平成15年)6月6日 - 関宿町は野田市に編入される。
関連事項

[編集] 人口

野田市と全国の年齢別人口分布 野田市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 野田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 112,753人
1985年 130,873人
1990年 145,206人
1995年 152,245人
2000年 151,197人
2005年 151,240人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

  • 野田市市民憲章(1980年5月3日制定)
    • 1 郷土の自然を愛し、平和で安全な環境を守ります
    • 2 たがいに助け合い、すべての市民の幸福を願います
    • 3 からだをきたえ、仕事に励み、楽しい家庭をつくります
    • 4 きまりを守り、信頼と愛情を深め、心豊かな社会を築きます
    • 5 教養と文化を高め、自由と希望に満ちた郷土をめざします
市長

根本崇(1992年7月4日 就任)

  • 1期 1992年 - 1996年
  • 2期 1996年 - 2000年
  • 3期 2000年 - 2004年
  • 4期 2004年 - 2008年
  • 5期 2008年 -

[編集] 議会

市議会

定数は32人。

[編集] 構成

会派 議席数
清風会 8
公明党 5
民主連合 5
市政クラブ 4
民政クラブ 3
日本共産党 3
市民ネットワーク・のだ 2
新社会党 1
無所属 1

[編集] 公共施設

[編集] 経済

[編集] 農業

  • 全国有数の枝豆の生産地:枝豆のお酒の名前を公募し、2006年に「まめなのだ」と命名。

[編集] 工業

  • 醤油業界最大手のキッコーマン株式会社と白醤油部門では業界最大手のキノエネ醤油株式会社があるため

醤油生産量国内3分の1を生産する日本最大の醤油生産地。

  • 工業団地

[編集] 商業施設


他に市内には、野田地域(中心市街地)があるほか、旧日光街道沿い、川間駅周辺に商店が集中する。

また、愛宕駅前西口において、イトーヨーカドーがショッピングセンターの建設を予定している。

その他、船形土地区画整理事業区域内にイオンモール野田が2009年春に開業の予定であったが、業績悪化により出店が凍結された。同事業区域内においては、2010年6月に(仮称)ケーズデンキ野田本店の出店が決定した。

[編集] 温浴施設

近年スーパー銭湯などの温浴施設が増えている。近隣市町村の温浴施設とも激しい競合が行われている。 これらの温浴施設は半径5km以内に集中している。

  • 野天風呂湯の郷
  • 東武スパ・リゾート野田 潮の湯
  • 七光台温泉
  • 野田の湯 湯食館

[編集] 宿泊施設

  • 野田東武ホテル
  • クリアビューゴルフクラブ&ホテル

[編集] ゴルフ場

  • 野田市パブリックゴルフ場(ひばりコース・けやきコース)
  • 千葉カントリークラブ(野田コース・川間コース・梅郷コース)
  • 紫カントリークラブ(すみれコース・あやめコース)
  • クリアビューゴルフクラブ

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 言語

  • 金田一春彦の回想録によると東京方言との間に特筆すべき差がないとされているが、茨城県南西部や埼玉県南東部とともに下総国葛飾郡を構成していたためか、中・高年齢者には西関東方言(千葉県・埼玉県の他地域など)と東関東方言(茨城県など)が混合したような方言の話者が多い。この場合、アクセントも茨城弁ほどでないにせよ曖昧化・崩壊が見られ、東京式アクセントとはほど遠い。同様の方言は、隣接する流山市や埼玉県吉川市・三郷市などでも聞かれ、北へ行くほど東京式アクセントとの乖離が大きい傾向がある。

[編集] 地域

[編集] 教育

[編集] 小学校

野田地区
関宿地区

[編集] 中学校

[編集] 高等学校

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[編集] 専門学校など

  • 専門学校野田鎌田学園
  • 野田准看護高等専修学校
  • 正心実業専門学校
  • 千葉県立野田看護専門学校
  • 千葉県立野田特別支援学校

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

中心となる駅:野田市駅

[編集] 廃線となった路線

[編集] 計画中の路線

2000年1月の運輸政策審議会答申第18号において、地下鉄8号線(有楽町線)の亀有から先の延伸区間が野田市とされ、目標年次(2015年)までに整備着手することが適当である路線に位置付けられた。経路は豊洲 - 東陽町 - 住吉 - 押上 - 四ツ木 - 亀有 - 野田市を計画している。しかし、延伸構想は具体化されておらず、他の関係各市の自治体からは市民に対しての公式発表はされていない。 市は早期事業化のために、八潮-野田市間を先行的に整備し、八潮でつくばエクスプレスと相互乗り入れすることを目指している。この場合、八潮から草加市を通り、武蔵野線の越谷レイクタウン駅、吉川市、松伏町を経由して野田市駅に至るルート(9駅設定:延長18.2km)を計画している。

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

市内の清水公園は花見の名所として知られ、「日本さくら名所100選」(財団法人日本さくらの会/1990年)に選定されている。また富士山の良く見えるところ100選で野田市で数ヶ所選ばれ1つとなっている。

  • 津久舞

夏祭りに演じられる雨乞の神事で、白装束に蛙面の演者が、高さ5メートルの柱の上、綱の上で軽業を演じる。

  • バッパカ獅子舞

清水村八幡神社の祭礼で、疫病の厄除けとして棒術と居合術、獅子舞が奉納される。

[編集] 出身・関連有名人

[編集] その他

  • 住民の自治会加入率が非常に高く、市が発行する広報誌の配布やごみの収集などは自治会を通じて行われる。そのため自治会に加入していない住民は不便を強いられることもある。
  • 1997年10月20日関東運輸局千葉運輸支局野田自動車検査登録事務所が業務を開始し、野田ナンバーが生まれた。
  • 小渕内閣時代に緊急経済対策とした実施された地域振興券の交付開始が、他4市町村と共に全国2番目であった。(1999年1月29日:島根県浜田市、2月1日:北海道新冠町福島県北塩原村、千葉県野田市、和歌山県清水町愛媛県八幡浜市
  • 合併によって誕生したまめバスいちいのホールなどが合併のモデルケースとして総務省によって全国に紹介された。
  • 学校教育先進都市としても呼ばれていて、全国に先駆け「土曜日対策」としてサタデースクール、オープンサタデークラブなどを開始した。また、マイステップ(算数、数学)など独自の副教本の作成や少人数授業、二学期制導入などさまざまな政策を行っている。これ以外にも多くの政策を行っている。
  • 上記以外にキャリア教育に力をいれ、中学2年生には野田市統一で5日間の職場体験学習を行っている。受け入れ先は野田市全体で300を越え、学校別に見ても大規模なところでは100近くにもなる。中学1年生にも職場見学を行っているところも多い。予定として小学6年生にもキャリア教育をすることが決まった。
  • 南部工業団地内にある、東京電力新野田変電所は、総出力794万kVA(2006年4月現在)であり世界最大級の変電所として1999年10月ギネスブックに認定された。
  • 童謡「かごめかごめ」は野田市が発祥地といわれており、東武野田線の清水公園駅の前に「かごめ唄の碑」が建立されている。
  • 関東運輸局千葉運輸支局野田自動車検査登録事務所が建設される以前に、当該用地が1991年度のNHK連続テレビ小説君の名は」のロケ撮影地として利用された。
  • 2007年7月15日付けで、野田市報の発行が1000号になった。特集として今までの市報や市報の移り変わりなどを掲載している。
  • 2009年9月29日、野田市議会において公契約条例案が可決された。これは、市発注の公共事業を受注した業者に対して、市が定めた最低賃金以上を労働者に支払うよう義務づけるものであり、全国初の条例となる。低価格競争による賃金低下が指摘される中、一定額の賃金を確保することで労働者の質の低下を防ぎ、業務の質を確保するのが狙いである。

[編集] 電話番号市外局番

野田市の市外局番は全域で「04」である。元は我孫子市、柏市、流山市、野田市を対象とした市外局番は0471であったが、市内局番の不足に伴い、2002年2月よりこれまでの「0471」の市外局番のうち、「71」を市内局番にまわし、市外局番を「04」に変更した。

桁を2つずらした理由には、市内局番の初めを「1」から始めてはいけない決まりによるもので、桁ずれによる市外局番2桁化はこれが初例となった。埼玉県の「042-9」(その前は「0429」)、千葉県鴨川市などの「0470」のうち市内局番の先頭が9の地域の市外局番も「04」に変更されており、これらの市外局番04地域に電話をかける場合は04を最初に回すことになる。ただし、天気予報は従来と同じく「0471-177」である。 また、現在も電話番号の部分が「0471-」のままの看板等も多く残っている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月5日 (木) 11:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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