金性洙

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金性洙
各種表記
ハングル 김성수
漢字 金性洙
片仮名
(現地語読み仮名)
キム・ソンス
ラテン文字転写 Kim Sung-soo
  

金 性洙 (キム・ソンス、1891年10月11日 - 1955年2月18日)は、大韓民国政治家教育者、言論人。東亜日報高麗大学校韓国民主党の設立者としても知られる。は判錫(パンソク、판석)、は「仁村」(インチョン、인촌)。

[編集] 来歴

全羅北道高敞郡に生まれる。早稲田大学を卒業し、帰国して教職を務める等した後、1919年に近代資本主義的会社である京城紡織を創設した。

1920年には、東亜日報を設立し、1932年には財政難となった普成専門学校を引き受け、今日の高麗大学校を設立した。

終戦後の1945年9月8日に、朝鮮人民共和国の内閣が発表され、文教部長に任命された。1947年アメリカトルーマン大統領が、 トルーマン・ドクトリンを発表すると、当時韓民党主席総務だった金性洙は、トルーマンに対し賛辞を示す無線電報を送った。

金性洙は「金性洙系列」と呼称される集団を形成し、日本留学中より懇意にしていた宋鎮禹を伴い、以降も白寛洙、張徳秀等とも近い関係を維持した。一方では、周囲の有能な若い知識人たちに財政支援をする等の活動も行っていた。結局、彼はこのような力を土台にして、人心を掌握し、独立以後代表的な右翼政党だった韓民党を創党する事に成功した。これに伴い、宋鎮禹や白寛洙、張徳秀等は、韓民党の重要な役職に就く事となった。

金性洙の特徴は、この時期の他の大物政治家と違い、自ら表舞台に出る事がなかった、という点にある。宋鎮禹が暗殺された後、1948年に韓民党主席総務を務めた事と、1951年5月から1年間、李承晩大統領の引きにより、副大統領職を引き受けた事を除き、決して表舞台に出る事はなかった。

また、独立後の韓国において、政治家の殆どがキリスト教(主にカトリック)、もしくは仏教などに関連する宗教団体と提携して政治活動を展開していた、という時代だったにも関わらず、金九(金九自身はクリスチャンだった)と並んで、いずれの宗教団体からも援助を受けていなかった数少ない政治家の一人だったことでも知られている。

日本統治時代に、企業を運営して富を蓄積し、この過程で親日行為をしたという嫌疑で、2002年に発表された親日派708人名簿と、2005年に民族問題研究所が整理した親日派リストに含まれている。

[編集] 関連項目

先代:
李始栄
大韓民国の副統領
第2代: 1951年5月 - 1952年8月
次代:
咸台永

最終更新 2009年10月20日 (火) 11:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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