金本明博
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大東市 |
| 生年月日 | 1987年12月5日(21歳) |
| 身長 体重 |
175cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト5巡目 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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金本 明博(かねもと あきひろ、1987年12月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。大阪府大東市出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
- プロ入り当初は投手だったが、酒田南高校時代は、甲子園で先発全員複数安打も記録したほどの強打の打線で3番を打つ(高校通算では打率4割を記録)など、打者としての能力も高く評価されていた。また、マウンドを別の投手に譲った場合の守備位置はセカンドであり、フィールディングの良さには定評があった。
- 同期の平田良介とは、中学時代のボーイズリーグで試合をしたことがある。
- 遠投110mの強肩と、50mは6秒2の俊足を持つ。
- 中日入団時、野手転向も勧められたが本人のまずはピッチャーでやっていきたいという意向から投手登録のスタートとなった。その1年目は、本来の力を発揮できず2軍で1試合の登板のみに終わり、わずか0回1/3を投げて防御率81.00という散々な数字だった。この悔しさをバネに将来の飛躍に期待がかかっていた。
- 2007年のキャンプ終了後、球団首脳陣からの野手転向の勧告を受諾し、野手として再スタートを切ることとなった。
同年シーズン途中、球団がウェーバー公示のうえ育成選手として再契約することを発表したが、後に撤回される(後述)。 - 同年6月28日、正式に登録を投手から内野手へと変更。
- 同年10月29日、球団から戦力外通告を受ける。球団側は育成選手として再契約することを打診したが[1]、本人がこれを固辞したため現役引退となった。なお、後述の問題にも絡んだ居心地の悪さからか、シーズン終了後に長野県の昼神温泉で行われたドラゴンズ選手会納会には出席しなかった(蛇足ながら、金本同様に退団する三澤興一も欠席した)。退団選手に思い出を尋ねる「惜別球人」では「いい思い出はなかった」と語り、完全燃焼できなかった現役生活を偲ばせる。なお、11月30日付で自由契約公示された。今後は一般企業に就職するという。
[編集] 育成選手契約の撤回
- 2007年4月26日、球団は金本の野手転向に伴い今年中の一軍昇格は無理だと判断した事と、もしもの時に備えて70人枠ギリギリの選手枠に空きを作りたいという理由から金本をウェーバー公示にかけ、公示期限の5月3日までに他球団が獲得の意思を示さない場合、育成選手として契約を結び直すことを決めた。しかし、このような育成選手としての再契約を前提としたウェーバー公示や、支配下選手登録枠に空きを作るためという育成選手枠の利用の仕方に選手会から反発を受け、議論が紛糾した。
- 同年5月1日、セ・リーグは中日球団に対し、ウェーバー公示を取り消す事を通告した。野球協約にはリーグにウェーバー公示を取り消す権利は規定されていないが、セ・リーグの豊蔵一会長は「承知の上」としている。
- 同年5月7日、中日球団はウェーバー公示の再申請を行ったが、セ・リーグはこれを却下。中日球団はこの決定を不服とし、コミッショナーに提訴する方針である事を発表した。
- 同年5月11日、中日球団はコミッショナーへの提訴を断念。西川球団社長は「他球団との仲が険悪になり、こちらに不利益になると判断した」とコメントした。これで金本は少なくとも2007年度までは、支配下選手としてプレーする事になった。なお、一部で報じられていた金本への戦力外通告の可能性に関しては「長い目で見ている」とこの時点では否定した。
- 同年10月29日、自由契約となり、現役を引退した。
[編集] 通算成績(2007年シーズン終了時)
- 一軍出場なし
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月28日 (土) 02:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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