鈴木輝一郎
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鈴木輝一郎(すずき きいちろう、1960年7月24日 - )は、日本の兼業小説家、コラムニスト。岐阜県大垣市出身。現在も岐阜県大垣市在住。岐阜県立大垣東高等学校卒業。日本大学経済学部卒業。
父親は、株式会社鈴木コテ製作所社長で、彼が10歳のときから30年間にわたって大垣市の市会議員をつとめた。
大学卒業後、東京でタイトーに入社。営業開発・営業企画・店舗開発などに従事。だが、どこに行っても上司との折り合いが悪く、本人いわく「無能なサラリーマンだった」という。
1988年、実家に帰り、株式会社鈴木コテ製作所に入社。左官コテおよび左官工具の製造・販売に従事。父親の死後、2002年代表取締役に就任。現在も「兼業作家」である。
なお、25歳の時、初めて短編小説を一篇書き上げ、ある小説雑誌の新人賞に応募してみると、二次選考を通過していたため、「才能があるのでは?」と考え、サラリーマンをしながら小説を書き、賞に応募する日々を続ける。
28歳でタイトーを退社して帰省した際、先に応募しておいた「オール讀物推理小説新人賞」の最終選考に鈴木の名前が残っていたため、「もしかしたら、いけるか」と期待を抱いたが、受賞はならなかった。ちなみに、この時の受賞者は、宮部みゆきであった。
「我流で書いていてもこれ以上は伸びないかもしれない」と思いはじめ、1989年から山村正夫の小説講座に新幹線通学。篠田節子などと知り合う。
1990年、小説現代ショートショート・コンテストに「金太郎侍」が入選。星新一から、「面白さも、たっぷり」と絶賛を受ける。 1991年「情断!」(講談社)でデビュー。1994年、短編小説集「めんどうみてあげるね」で、日本推理作家協会賞・短篇および連作短篇集部門を受賞。
「仕事と女性は来るもの拒まず」がモットー。推理小説、現代小説、エッセイ、時代小説、歴史小説などで活躍。
なお、自身の体験をリアルにユーモラスに小説化したものとして、『ご立派すぎて』は「見合い体験」を赤裸々に描いたもの。『ほどよく長生き死ぬまで元気』は身内が倒れ、介護する身内がまたその無理でまた、次々に倒れていくという「介護の連鎖地獄」を描いたものである。
雑誌『本の雑誌』の読書投稿欄にも、プロ作家でありながら常連投稿者である。同誌2005年8月号では第1回「三角窓口王」の称号を授与(?)された。
また、インターネットにも創世記から関わっていて、HP保有、現在も続くウェブ日記なども、作家の中では最初期の部類である。
[編集] 主な作品
- 推理小説
- 新宿職安前託老所 (出版芸術社・「めんどうみてあげるね」収録)
- 首都誘拐 (祥伝社)
- 罪と罠のアドレス (実業之日本社)
- 他人の不幸は銭の味 (小学館)
- 幻術絵師、夢応のまぼろし (河出書房新社)
- 現代小説
- ご立派すぎて (講談社)
- ほどよく長生き死ぬまで元気 (小学館)
- エッセイ
- 吠えず芸せず噛みつかず (河出書房新社)
- 家族同時多発介護 (河出書房新社)
- 教養書
- 戦国武将に学ぶ「風格」の研究 (祥伝社)
- 何がなんでも作家になりたい! (河出書房新社)
- 時代小説が書きたい! (河出書房新社)
- もしも義経にケータイがあったなら (新潮社)
- 時代小説
- はぐれ五右衛門 (双葉社)
- 中年宮本武蔵 (双葉社)
- 燃ゆる想ひを (河出書房新社)
- 真田密伝(角川春樹事務所)
- 歴史小説
- 片桐且元 (小学館)
- 巴御前 (角川書店)
- 信長が宿敵 本願寺顕如 (毎日新聞社)
- 戦国の凰 お市の方 (河出書房新社)
- 国書偽造 (出版芸術社)
- 戦国の鬼 森武蔵 (出版芸術社)
[編集] 外部リンク
- 小説家鈴木輝一郎は今日もパコパコ(本人運営ホームページ)
- 今日はぷちぷち・小説家鈴木輝一郎支店サイト(本人運営ホームページ)
最終更新 2009年8月9日 (日) 19:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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