鎌倉市

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鎌倉市
かまくらし
日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
団体コード 14204-2
面積 39.60km²
総人口 174,160
推計人口、2009年8月1日)
人口密度 4,400人/km²
隣接自治体 横浜市栄区戸塚区金沢区
逗子市藤沢市
市の木 ヤマザクラ
市の花 リンドウ
他のシンボル -
鎌倉市役所
所在地 〒248-8686 神奈川県
鎌倉市御成町18番10号
鎌倉市役所本庁舎
電話番号 0467-23-3000
外部リンク 鎌倉市

鎌倉市位置図(神奈川県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
市外局番:0467(市内全域)
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)
市章(昭和27年11月3日 鎌倉市告示第56号「鎌倉市市章」による)

鎌倉市(かまくらし)は神奈川県三浦半島の西に位置する

目次

[編集] 地理

鎌倉大仏(高徳院)

横浜市の南西、藤沢市の東、逗子市の北西に位置し、南は相模湾に面している。三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、古くは幕府が置かれた政治の中心地であった。ただし、旧腰越町や旧大船町など、いわゆる「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。藤沢市から海岸がつながっているため、旅行者には湘南の一部とみなされることが多いが、地元では定義の曖昧な「湘南」という呼称より、歴史的に広く認知され、範囲もより限定される「鎌倉」の呼称を好む人が多い。なお、神奈川県の行政区分上も、鎌倉は藤沢や茅ヶ崎などの湘南地域には含まれず、横須賀や逗子などと同じ三浦半島のブロックに含まれている。

鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ「古都」であるが、後述の通り室町時代中期以降に衰退したため「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。 江戸時代後期には地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期の段階でも鎌倉大仏(高徳院)や長谷寺を擁する長谷(はせ)地区に都市的な集落が分布するのみで、現在の鎌倉市の中心市街地は形成されていなかった。 明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。 明治中期以降、保養・別荘地として、昭和以降に観光地として改めて「都市・鎌倉」の発展を見たのである。 したがって中世都市の遺構は存在しても、中世以来の都市景観というべきものは全く存在しない。

[編集] 歴史

鶴岡八幡宮

地形が天然の要害でもあり、古代、鎌倉郡郡衙が設置された場所であり、また豪族の鎌倉氏の本拠でもあった。

平忠常の乱の際、平直方による鎮圧が失敗、実際に乱を征圧した源頼信の功により、その子源頼義の頃に畿内河内国石川郡壷井(現・大阪府羽曳野市壷井)を本拠地とした河内源氏の所領となる。頼義の子で河内源氏三代目棟梁の八幡太郎義家の4代後の源頼朝が鎌倉幕府を置いて武家政権を成立させ、鎌倉街道も整備される。幕府の要職に就いた有力御家人は鎌倉に居を構え、また海に面した特徴を生かした海上交易も隆盛し、鎌倉五山なども置かれ関東における文化的中心地となる。

1225年には北条泰時執権に就き、連署評定衆を置いて幕府の合議制を確立するとともに、政権を頼朝以来幕府が置かれた大倉から宇都宮辻子に移し、1232年には御成敗式目を制定して幕府の体制を磐石なものとした。1333年後醍醐天皇の討幕に呼応した上野国群馬県)の河内源氏義家流新田義貞は、分倍河原などで鎌倉幕府を専横した桓武平氏北条氏の兵を撃破し、鎌倉へ進撃して泰時以来の菩提寺である東勝寺で北条氏一族を滅亡させた(東勝寺合戦)。1953年鈴木尚の調査では大量の刀創などのある人骨が発掘されている。

京都で後醍醐天皇の建武の新政がはじまると義貞は召還され、京都の六波羅探題を滅亡させるなど討幕に効のあった一族の足利尊氏の弟である足利直義や一門の細川氏などが親王を奉じて下り、鎌倉将軍府が成立。北条氏一族の残党が中先代の乱を起こし鎌倉が陥落すると尊氏は討伐に向かい、そのまま新政から離反して鎌倉で恩賞の授与などを行うが、尊氏は追討に派遣された義貞らを撃破し、京での戦いに負け九州落ちした後に北朝を樹立して武家政権を設立し、鎌倉へは子の足利義詮を派遣する。足利家の内紛が観応の擾乱と呼ばれる内乱に発展すると義詮は京へ呼び戻され、代わりに尊氏の次子の足利基氏が鎌倉へ派遣されて鎌倉府を設置し、以後鎌倉公方として関東統治を行う。

室町時代には鎌倉公方は幕府と対立し、鎌倉公方を補佐する関東管領とも対立した事などにより上杉禅秀の乱永享の乱結城合戦などの騒乱が起る。1455年には享徳の乱足利成氏が下総国古河へ移り古河公方を成立させた事により鎌倉は衰退する。

戦国時代には小田原の北条早雲が進出、玉縄城を築いて東相模の拠点とした。安房の里見氏上杉謙信武田信玄らにより度々侵攻を受けたが、そのたびに撃退している。北条氏滅亡後は徳川家康の支配下に入った。

近世には江戸が東国の中心となり、江戸時代には寺社の復興がはじまる。江戸の庶民によって、大山阿夫利神社江の島江島神社などへの参拝を目的としたが結成されるようになると、代参者の立ち寄り先として観光ルートに含まれるようになった。

1889年明治22年)に東京と軍港のある横須賀を結ぶ目的で横須賀線が開通したが、その経由地となったことによって、観光地としての性格が急激に濃くなっていった。また、東京から至近の別荘地として、皇族・華族や政財界の有力者などの一部が別荘を構えるようになり、これらを相手とした観光産業が発展していった。なお、この横須賀線建設工事のため段葛は寸断された。

その少し前1883年(明治16年)に、「衛生(えいせい)」という言葉を日本で初めて医学に使用した長与専斎が、神奈川県・鎌倉の海を、地形的な特徴から「海水浴場として最適」と紹介した。当時は海水浴が医療効果を持つと信じられていたため、長与の紹介も行楽的な観点からではなく医療的な観点によるものであったが、今日では海水浴と医療効果との因果関係は科学的根拠に欠けるとされ、由比ヶ浜、材木座海岸といった海水浴場は行楽客を対象に設営され、湘南の一部として一般に認識されている。

1923年大正12年)9月1日におきた関東大震災では鎌倉も大きな被害がもたらされた。

昭和に入ると、久米正雄など、作家や文人の一部が鎌倉へ移り住むようになり「鎌倉文士」という言葉が生みだされた。1936年昭和11年)、松竹が撮影所を蒲田から大船に移し大船撮影所が開設されるようになると、映画関係者で鎌倉に移り住む者が増えていった。

1928年(昭和3年)の鎌倉山の分譲を嚆矢に、戦前・戦後を通じて大規模な住宅開発が行われるようになり、東京近郊のベッドタウンとしての性格が強くなっていった。とりわけ、高度経済成長期の大規模開発の波は「昭和の鎌倉攻め」とも形容される。この時期に起こった鶴岡八幡宮裏の「御谷」開発中止を求める、作家大佛次郎を中心とした市民運動は、古都保存法制定の契機となり、異論はあるが日本におけるナショナル・トラスト運動の嚆矢ともいわれている。

[編集] 自治体としての鎌倉市の歴史

  • 1889年(明治22年) - それまで30あまりあった村が、東鎌倉村・西鎌倉村・腰越津村・深沢村・小坂村・玉縄村にまとまる[1]
  • 1894年(明治27年) - 東鎌倉村と西鎌倉村が合併し、鎌倉町になる[1]
  • 1931年(昭和6年) - 腰越津村が腰越町になる[1]
  • 1933年(昭和8年)2月11日 - 小坂村が大船町になる[1]
  • 1939年(昭和14年)11月3日 - 鎌倉町と腰越町が合併し、鎌倉市となる[2]

[編集] 地域

鎌倉地域
扇ガ谷・大町・御成町・極楽寺・小町・材木座・坂ノ下・笹目町・佐助・十二所・浄明寺・二階堂・西御門・長谷・由比ガ浜・雪ノ下・稲村ガ崎
腰越地域
腰越七里ヶ浜・七里ガ浜東・津・津西・西鎌倉
深沢地域
梶原・鎌倉山・上町屋・手広・寺分・常盤・笛田・山崎
大船地域
今泉今泉台岩瀬大船小袋谷(1丁目を除く)・高野山ノ内
玉縄地域
植木・岡本・城廻・台1丁目・玉縄・関谷

[編集] 人口

鎌倉市と全国の年齢別人口分布図(比較) 鎌倉市の年齢・男女別人口分布図
紫色は鎌倉市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 172,629人
1985年 175,495人
1990年 174,307人
1995年 170,329人
2000年 167,583人
2005年 171,158人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

観光は鎌倉における資源の一つでもあるので、古い景観を保存するのに努力しているが、関東大震災での被害などもあって建築文化財は少ない(国宝建造物は円覚寺舎利殿1棟のみ)。周辺地域に比べて自然が保存されており、例えば個人の土地の大きな樹を保存するのに市から助成金がでる。オムニバスタウンのひとつでもある。 市章は、源氏の家紋だったといわれる「笹りんどう」。

[編集] 市長

  • 石渡徳一

[編集] 市議会

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

[編集] 海外

[編集] 教育

[編集] 小学校

[編集] 公立

[編集] 国立

[編集] 私立

  • 清泉小学校
  • 鎌倉女子大学初等部

[編集] 中学校

[編集] 公立

  • 鎌倉市立第一中学校
  • 鎌倉市立第二中学校
  • 鎌倉市立大船中学校
  • 鎌倉市立岩瀬中学校
  • 鎌倉市立玉縄中学校
  • 鎌倉市立御成中学校
  • 鎌倉市立腰越中学校
  • 鎌倉市立手広中学校
  • 鎌倉市立深沢中学校

[編集] 国立

[編集] 私立

[編集] 高等学校

[編集] 公立

[編集] 私立

[編集] 特別支援学校

[編集] 公立

[編集] 大学・短期大学

  • 鎌倉市では、「鎌倉市奨学金制度」という奨学金制度がある。

[編集] 隣接している自治体

横浜市戸塚区金沢区栄区)、逗子市藤沢市

[編集] マスコミ

[編集] 放送事業者

[編集] ケーブルテレビ

[編集] ラジオ放送

[編集] コミュニティ放送

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] バス

オムニバスタウン政策をとっていることもあり、コミュニティバスの普及も見られる。

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] レジャー

[編集] 祭り・イベント

鶴岡八幡宮で催される祭事については、当該項目も参照のこと。

  • 鎌倉祭り(4月)
  • 夏越(なごし)祭り(8月)
  • ぼんぼり祭り(8月)
  • 海上花火大会(8月)
  • 鶴岡八幡宮秋期例大祭(9月)
  • 面掛行列(9月)
  • 御鎮座記念祭(12月)

鎌倉祭りと鶴岡八幡宮秋期例大祭では、流鏑馬が奉納される。

2007年7月21日 - 8月19日週刊少年ジャンプで連載中の「ONE PIECE」連載10周年記念イベントの一環として、鎌倉駅、由比ヶ浜、小町通り等がジャックされた。市内でスタンプラリー等色々なイベントが行われた。

[編集]

[編集] 鎌倉市出身の有名人

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や - わ行

[編集] ゆかりのある有名人

[編集] 居住者

[編集] その他

[編集] 鎌倉市が舞台となっている作品

[編集] 映画

[編集] 漫画

注記のないものは連載終了した作品

[編集] ドラマ

[編集] アニメ

[編集] ゲーム

江ノ電(ゲーム中ではシカ電)沿線を中心に、鎌倉・藤沢一帯が舞台となっている

[編集] 音楽

[編集] その他

最寄りの空港羽田空港。大船駅から直通バスがある。

成田空港への直通の列車がある。(253系成田エクスプレス,E217系快速エアポート成田)

最寄りの新幹線駅は、新横浜駅

鎌倉フリー環境手形は、地域の交通を自由に使える共通の切符。

[編集] 不祥事

1997年度から2008年度の12年間に亘り、課税ミスにより、市内の木造家屋計1万3,496棟について、固定資産税都市計画税計1億7,000万円を過徴収していたことが判明した。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d e 鎌倉市教育委員会『かまくら34』第2版、1995年3月31日、98頁
  2. ^ 同日、内務省告示第515号
  3. ^ 昭和22年12月26日、神奈川県告示第458号
  4. ^ 同年5月29日、神奈川県告示第233号
  5. ^ 同日、自治省告示第322号
  6. ^ 同年4月20日、自治省告示第111号

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

公式

観光

最終更新 2009年9月12日 (土) 11:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【鎌倉市】変更履歴

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