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(ちん、簡体字漢語ピンインzhèn)は中国の郷級行政区である。中国語では町の事を指す普通名詞でもあるため「行政建制鎮」あるいは「建制鎮」とも呼ばれる。この鎮とは都市よりも人口の少ない人口集中区域で、給水、電力供給、下水などの公共インフラや教育、飲食、娯楽、市場などがまとまってが集中し、周辺の地域に経済作用を齎す地域をいい、住民の多くは農業以外に従事する。鎮の定義は中華人民共和国中華民国で異なっている。英語ではtownあるいはsmall cityと訳される。

目次

[編集] 歴史

」とは、本来軍事的経済的要地に派遣された軍団の事を指し、その長を鎮将(ちんしょう)と呼んだ。古く遡れば南北朝時代には辺境部を中心に存在していたが、国内が群雄割拠状態に陥った晩唐から五代十国にかけて中国国内の至る所に鎮が設置されるようになった。

鎮の置かれた土地には戦乱を避けた人々が移り住み、やがて鎮市(ちんし)と呼ばれる市場を形成するようになり、中には小規模な都市を形成するものもあった。代以降、都市化した鎮は各の支配下に編入されるようになった。

清朝において県の下の行政区画中、城と鎮が伝統的な政治・経済の中心であり、周辺の郷村の商業が集中していた。1909年1月、清政府は『城鎮郷地方自治章程』を頒布し、人口50,000以上の村落に鎮を建て、自治組織を設けた。これが鎮を規定した最初の法規だった。

[編集] 中華人民共和国の鎮

中華人民共和国の行政区分
省級行政区
直轄市
自治区
特別行政区
地級行政区
地級市
地区
自治州
県級行政区
市轄区
県級市
自治県
自治旗
特区
林区
郷級行政区
ソム
民族郷
民族ソム
県轄区
街道
村級自治組織
社区
村級以下
村民小組
その他
省会
首府
副省級市
副省級自治州
計画単列市

1949年中華人民共和国成立以後、鎮の設置には統一された規定がなく、鎮の誕生に制限はなかった。1954年末の時点で全国に5400個の鎮があり、うち人口2000以下が920個、人口2000~5000が2302個、人口5000~10000が1373、人口10000~50000が784個、人口50000以上が21個だった。1955年6月に国務院が《関於設置市、鎮建制的決定》を発布し、鎮を設ける基準を明確にした。1975年1978年憲法で郷を設けることを廃止したが、鎮を設けることは保留した。1978年末には、全国に2173個の鎮しかなくなった。人民公社制の廃止後、鎮的建設は重視されるようになった。

1984年11月29日に国務院は新たに鎮を設置する基準を定めた:

  1. すべての県級の地方国家機関の所在地
  2. 総人口2万以下の郷で郷政府の所在地が非農業人口二千を超えるもの
  3. 総人口2万以上の郷で郷政府の所在地の非農業人口が人口の10%以上を占めるもの
  4. 少数民族の居住地、人口の疎らな辺境地域、山岳地域と小型工業地区、小さな港、景勝観光地、国境の口港地区などで非農業人口が2千足らずでも必要に応じて

[編集] 年毎の鎮の数

中国大陸の年毎の鎮数
年度

1961年 4429
1978年 2173
1986年 10717
1988年 11481
1990年 12084
1991年 12455
1992年 14539
1993年 15806
1994年 16702
1995年 17532
1996年 18171
2000年 20312
2001年 20358
2002年 20600
2003年 20226
2004年 19892

[編集] 台湾の鎮

中華民国において鎮は県轄市と共に台湾の最下層の行政区画である。1999年1月25日の地方制度法の公布後、その第三条の規定により(一級行政区であるの下)の下に位置づけられている。

中華民国の地方制度法には鎮を設けるはっきりとした基準はなく、一般的に1999年の古い基準を全て踏襲するが、合併による設置については違いがある。鎮は通常郷より繁栄しているが、早くに成立した鎮は産業の没落で郷よりも少なくなっている場合がある、例えば台北県瑞芳鎮は鉱業で栄えていたが、採掘の終了した現在、人口が流出してしまい、当初人口の少なかった郷(土城中和など)の方が市(県轄市)へ昇格している。一方、屏東県林辺郷は鎮への変更を要求したが、未だ実現していない。

最終更新 2009年10月5日 (月) 10:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【鎮】変更履歴

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