鐘の鳴る丘

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鐘の鳴る丘(かねのなるおか)は昭和22年(1947年)7月から昭和25年(1950年)12月までNHKラジオで放送されたラジオドラマ、およびそれを原作とした映画菊田一夫作。ラジオドラマの放送回数は790回に及ぶ。昭和23年(1948年)から昭和24年(1949年)には松竹で映画化もされている。

目次

[編集] 解説

「鐘の鳴る丘」とは、その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。

主題歌「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌:川田正子)も広く歌われ、昭和23年(1948年)の選抜高校野球入場行進曲にもなった。歌の題名は「とんがり帽子」だが、ドラマの名前から「鐘の鳴る丘」と呼ばれることも多い。

[編集] ラジオドラマ

1947年7月から1950年12月までNHKラジオで放送。初年は毎週土曜日と日曜日の午後5時15分から15分間の放送だったが、翌年からは月曜日から金曜日の連日放送へと変更した。

[編集] 制作の背景

放送開始のきっかけは、昭和22年(1947年)4月のエドワード・ジョゼフ・フラナガンの来日である。6月にフラナガンが離日した後に、CIEはNHKに対し、フラナガンの精神を踏まえた戦争孤児救済のためのキャンペーンドラマを制作するように指示した。

脚本担当の菊田、音楽担当の古関、巖金四郎をはじめとするNHK東京放送劇団の面々の出演が決定したが、当時はプロの児童劇団もないため、主役となる子役を決めるのに苦労した。ところが、当時練馬区に在住していた巖が、東京都の演劇大会で優勝するくらいに演劇活動が盛んであった練馬区立豊玉第二小学校を紹介したことで、その小学校に在籍する10人前後の児童が出演することになった。当初は土日の週2回の放送だったので、出演者である小学校の児童たちが、教師の引率によって毎週練馬からNHK東京放送会館へ通い、生放送を行っていた。

[編集] 放送開始後の反響

「もっと回数を増やして」という聴取者からの投書がNHKに殺到したため、昭和23年(1948年)の4月からは週2回から週5回へと放送回数を増やし、児童たちが放送のたびに放送会館へ通うのも不可能になったために、録音放送へと変更した。CIEはNHKに対して、当時最新であった連続15分の録音を可能とする録音機を提供したが、それはまだNHKが所有していない機材であった。連日放送により、さらに人気が高まった。

一方で、作品には「ぶっ殺してやる」[1] 「ばかやろう」[1]といったセリフが多くあったために、一部の保護者や教育者からは「言葉づかいがひどすぎる」[2] 「教育上許せない番組だ」[2]と評され、教育論争も起こった[1]。しかし、幼少時に肉親に捨てられた過去を持つ菊田は、自分もそのような過去を持つからこそ「人生のすみっこで、だれからも話しかけてもらえないような子どもたち」[2]に語りかけられるのだと、批判にも動じることはなかった[2]

[編集] キャスト

前述の通り、子役はプロの子役ではない現役の小学生であった。そのため、出演していた児童が小学校を卒業すると、在校生が役を引き継ぎ、番組終了までに30人以上の児童が出演することとなった[2]

  • 野々美修平:
  • 隆太:
  • 修吉:
  • ガンちゃん:
  • クロ:
  • みどり:

[編集] 映画

1948年から1949年に3部作で公開。製作は松竹。

鐘の鳴る丘 第三篇クロの巻

[編集] タイトル・公開日

  1. 鐘の鳴る丘 第一篇隆太の巻(1948年11月23日)
  2. 鐘の鳴る丘 第二篇修吉の巻(1949年1月25日)
  3. 鐘の鳴る丘 第三篇クロの巻(1949年11月17日)

[編集] キャスト

[編集] スタッフ

  • 監督:佐々木啓祐
  • 製作:山口松三郎、斎藤秀典(2)
  • 脚本:斎藤良輔、中村定郎(1・3)
  • 音楽:古関裕而

[編集] レコード

  • 『とんがり帽子』(作詞:菊田一夫、作曲・編曲:古関裕而、歌:川田正子・コロムビアゆりかご会、1947年9月発売、日本コロムビア A294、のちに学芸規格C227に移行)

[編集] 関連施設

岩手県奥州市江刺区にある旧岩谷堂町役場。明治初期に病院として建てられたこの建物には鐘を備えた塔屋があり、現在は岩手県の有形文化財である明治記念館として、近世から明治にいたる医療・文化関係の資料展示を行っている。菊田一夫は戦時中家族を岩谷堂町に疎開させていて、そのとき見た岩谷堂役場からドラマの舞台設定を着想したと言われている。現在、明治記念館では朝と夕方に「とんがり帽子」のメロディーを流している。
昭和23年(1948年)9月創立の青少年養護施設。自らも復員兵であった品川博がドラマに感銘を受け、私財をなげうって創立した。当初から菊田一夫の支援を受けており、「鐘の鳴る丘」を称している。昭和28年(1953年)に現在の場所の時計台つきの建物に移り、名実共に「鐘の鳴る丘」となった。
松竹映画「鐘の鳴る丘」の舞台となった青少年更生施設。有明高原寮は今も存在するが、撮影に使われた時計台つきの建物は近くに移設され、「鐘の鳴る丘集会場」という青少年の合宿訓練施設となっている。
松竹映画「鐘の鳴る丘」のロケ地。「鐘の鳴る丘ゲレンデ」にはモニュメント「とんがり帽子の塔」が建っている。

[編集] 脚注

  1. ^ 『戦後芸能史物語』 30頁。
  2. ^ 『戦後芸能史物語』 31頁。

[編集] 参考文献

最終更新 2009年2月21日 (土) 19:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【鐘の鳴る丘】変更履歴

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