長塚智広

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長塚智広
Tomohiro Nagatsuka
個人情報
本名 長塚 智広
ながつか ともひろ
愛称 Tom
Tommy
長塚先生
生年月日 1978年11月28日(30歳)
国籍 日本
身長 182cm
体重 85kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会茨城支部
期別 81期
分野 競輪&トラックレース
役割 選手
特徴 自在
アマ所属チーム
1994-1997 茨城県立取手第一高等学校
プロ所属チーム
1998- 日本競輪選手会茨城支部
主要レース勝利
W杯チームスプリント・シドニー 2003
最終更新日
2009年8月7日
オリンピック
男子 自転車競技トラック
2004 チームスプリント

長塚智広(ながつか ともひろ、1978年11月28日 - )は日本競輪学校81期卒業の日本の競輪選手。自転車競技選手。茨城県取手市出身。日本競輪選手会茨城県支部所属。師匠は井橋三佐雄。初出走は1998年8月6日取手競輪場。初勝利も同レース。

目次

[編集] 「世界一」のロケットダッシュ

茨城県立取手第一高等学校商業科卒業後、インターハイ3位だった長塚は、競輪と言う競技に惚れ込み当時現役競輪選手だった井橋三佐雄に師事し受験生が1400人で70人合格、倍率20倍をくぐり抜け日本競輪学校に入学。選手としてデビュー後は、高校の先輩であるアトランタの銅メダリストである十文字貴信にあこがれオリンピックを強く意識するようになる。当時のエピソードとして「オリンピックで活躍する自信があるのでナショナルチームに入れて下さい」と競技連盟に電話するももちろん却下されたというエピソードが雑誌の記事になった。しかしその後の公式記録会で見事日本新記録となる世界3位のタイムをたたき出し、ナショナルチームに選抜。2000年シドニーオリンピックでは個人スプリントオリンピックスプリントに出場。チームスプリントでは長塚(第1走)、神山雄一郎(第2走)、稲村成浩(第3走)で挑み5位入賞。以後も当時世界トップクラスのロケットダッシュを駆使し、チームスプリントでは日本不動の第1走者として、その後も世界自転車選手権などの国際大会に出場を続けた。また競輪のほうでは、2003年開催のオールスター競輪一宮競輪場)で決勝に進出(6着)した。

2004年アテネオリンピックチームスプリントでは、伏見俊昭井上昌己と共に銀メダルを獲得した。アテネオリンピックでは予選(17.586秒)、1回戦(17.566秒)、決勝(17.612秒)をマークしたが、このタイムは当時の世界最高タイムであった。加えて、伏見、井上の持ちタイムは他国の選手と比較すると明らかに見劣りしていたため、長塚のこの走りが銀メダル獲得に導いたと考えられる[1]

しかしその後、銀メダル獲得に起因する目標の喪失感により、2005年の競走成績は21走2着6回3着2回と1勝も挙げることができなかった。あまりの不振ぶりにその間一時期、追込戦法への転換を図ったものの思うような成果を残すことができなかった。さらに折からの株式投資ブームの影響も重なってか、下述の通り、株式、経済情報番組には随時出演する機会がありながらも、本業の競輪のほうでは2005年後半以降、病気(腰痛)や家庭の都合を理由に長期間欠場。さらに自転車競技のほうもまた、当時の日本代表監督であったゲーリー・ウエストがアテネ五輪以降の国際大会では若手選手を積極的に参加させる強化策に変更し、しかもこの方針はウエスト退任後も引き継がれることとなったことから、代表選手としてもしばらくお呼びがかからなくなってしまった。

[編集] レース復帰

2006年3月4日静岡競輪場での開催から漸く復帰。また戦法を再び自在に戻すことになった。その結果、FI(S級シリーズ)ではしばし優勝も経験。また2007年ふるさとダービー松阪競輪場)では決勝2着に入った。

一方、自転車競技のほうでも、2007年1月より日本代表監督に就任したフレデリック・マニェ北京オリンピックのチームスプリントでメダル獲得を確実にしたい思いから、2007年~2008年シーズンの国際大会に一度も参加していなかったにもかかわらず、2008年5月7日、北京オリンピックトラックレース日本代表選手に選出した。この直後から長塚は水泳競技で用いられるようになったレーザー・レーサーの「加圧効果」に注目し、特注したレーザー・レーサー仕様の下着をユニフォームに着込む形で北京オリンピックに望み、チームスプリント競技のみに出場することになった。

迎えた予選タイムトライアルでは日本チームの第1走者として発走した直後、長塚の強烈なスタートダッシュで自転車後輪に異常が生じてしまう。この時使用していたカーボン製のディスクホイールが破断してしまったのである。これはマビックが長塚の為だけに用意したスペシャルホイールであり、他選手も使用するメーカーであったことから通常起こり得ない製造ミスとして認められ、日本チームは再発走となったが、この思わぬアクシデントと、アテネ五輪以降の国際大会における出走経験の不足から周囲から心配された。だが予選再発走では思ったほどのタイムは出せなかったものの、第2走の渡邉一成、第3走の永井清史の頑張りもあり、6位のタイムで予選を通過した。その後、1回戦で予選タイム3位となった、前回優勝のドイツと対戦し敗退。この時点で予選時の順位となる6位入賞が確定した。

[編集] 競走スタイル

スタンディングスタート(静止状態からスタートすること)における加速力(いわゆる「ゼロ発進」)に最も長けており、このことからチームスプリントでは先頭走者(第1走)を任された。しかしフライングダッシュ(加速した状態でさらにダッシュをかけること)に難があり、また競輪では常に勝負どころとなる地点では加速状態となることから、そのスタンディングダッシュ力を生かせる状況は少なく、また本人が持久力に弱点のあることを公言しており、捲りを放っても前述した通りフライングダッシュに難があることから、ゴールまで持たないことが多く、未だその点を克服できずにいる。本人は先天的な弱点だと思っている。

長塚にはGIII優勝(2001年取手記念後節)や特別競輪決勝進出の実績はあるものの、他のオリンピック自転車競技出場経験選手とは異なる捲り・追込タイプの脚質でありながら、全力で走るタイミングを伺うマーク追走時の技術に不安定要素が多いことから、競輪でも現在トップクラスの地位の選手(2008年後期現在S級1班選手)ではあるが、重賞開催における優勝争いについては競輪ファンやマスコミの間でも評価は割れている。

ただし別の見方をすれば、過去を紐解いても、また現役の競輪選手を見る限りにおいても、長塚以上のスタンディングダッシュ力を有する選手はいまだ現れておらず、ある意味特異性を持った選手であると言える。

[編集] もう一つの「顔」

オリンピックメダリストとしてテレビ番組に多く出演しているが、取引を本業に近い趣味とし、財テク関係のテレビ番組(TBS系列「がっちりマンデー!!」やテレビ東京系「クロージングベル」)などにもコメンテーターとして出演することもある。もう一つの顔ともいうべき株式評論に加え、ジャンクSPORTSなどのスポーツ番組やあらびき団(バラエティ番組)にもしばしば出演する機会を得ていることから、世間的に見れば現役の競輪選手の中では知名度は一番高い。

商業科のある高校へ進学したのも、商業、ビジネスに関心を持っていたためとインタビューなどで語っており、株取引に関する知識は豊富。自身の著作『長塚智広の株の筋トレ - アテネ五輪・銀メダリスト』(扶桑社)という株入門書も出版している。また現役選手でありながら企業顧問をするなど、経営にまで突っ込める現役アスリートという一面をも持つ。

また競輪のCMにも度々出演しており、小池栄子と前記のオリンピック出場トリオで共演したCMのほか、2009年の競輪ブランディングCM『9ways』でも、『1番車・株式トレーダー』の設定で出演している。

2007年5月に、元モデルで、元準ミス・ユニバース・ジャパンの由紀夫人と結婚した。同年8月に第一子(長男:輪太郎)誕生。翌年に第二子(長女:理子)誕生。

2009年2月にはTBS系列の番組『あらびき団』にて、競輪選手のあるあるネタを披露。同日放送の後の出演者競輪小僧とのコラボも行った。

[編集] 知事選について

2009年7月20日、マスコミが茨城県知事選挙への立候補の可能性を報じた。8月6日に会見を開き、茨城県知事選に正式に出馬する事を表明した。知事選は8月30日に行われたが第3位で落選した。

[編集] その他

  • 足が大きいことで知られる。身長182cmに対し、靴のサイズは30cm。
  • 納豆が好物である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 例えば、1回戦のオランダ戦では、1周目のラップタイムが日本17.586秒だったのに対して、オランダは0.455秒も遅れたが、長塚が隊列から離れた2周目以降、オランダは2周目に0.313秒差と縮め、最後の3周目では0.288秒差にまで迫っている。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月31日 (月) 03:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【長塚智広】変更履歴

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