長孫皇后

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長孫皇后(ちょうそんこうごう、601年 - 636年)は、中国の太宗李世民皇后。小字は観音婢。本貫は河南洛陽

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[編集] 経歴

の右驍衛将軍長孫晟と高氏のあいだの娘として生まれた。609年、長孫晟が世を去ると、母方の伯父の高士廉を頼った。611年、唐国公李淵の次子の李世民の妻となった。618年、唐が建国されると、秦王妃に立てられた。626年玄武門の変の後に皇太子妃となり、李世民が即位すると、皇后に冊立された。

皇后は礼法を尊び、いにしえの善悪を鑑として自らを律したとされる。生活は質素で華美な衣服を取らなかったという。他の妃嬪の生んだ予章公主が亡くなったときには、自分の腹を痛めた子のように看病した。李世民が政治向きのことを皇后に尋ねると、「雌鶏が夜明けを告げると、家は窮乏します」と言って答えようとしなかった。しかし兄の長孫無忌が唐朝で重用されるのには、の呂氏や霍氏の前例を持ち出して反対し、異母兄の長孫安業が李孝常の乱に連座して処刑されようとしたときには、叩頭して助命を嘆願した。

634年、九成宮に行幸して病の床についた。636年、36歳の若さで世を去り、昭陵に陪葬された。を文徳聖皇后といった。その後に起きた長男承乾と二男泰の骨肉の争いを未然に防げるだけの力量は彼女にはなかった。[要出典]

著書に『女則』十篇があった。

[編集] 子女

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  1. 皇太子李承乾
  2. 魏王李泰
  3. 高宗李治(はじめ晋王)

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  1. 長楽公主李麗質
  2. 城陽公主
  3. 晋陽公主李明達
  4. 新城公主

[編集] 伝記資料

  • 旧唐書』巻五十一 列伝第一「太宗文徳皇后長孫氏伝」
  • 新唐書』巻七十六 列伝第一「文徳長孫皇后伝」

最終更新 2009年11月5日 (木) 08:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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