長崎の鐘

長崎の鐘の最新ニュースをまとめて検索!

長崎の鐘(ながさきのかね)は

  1. 永井隆の著書。本稿で記述する。長崎市への原子爆弾投下などを主題としている
  2. 1.を基にした藤山一郎池真理子の歌謡曲。作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而。本項で詳述する。
  3. 1.を基にした藤原義江の歌謡曲。作詞・作曲植本一雄。本項で詳述する。
  4. 1.を基にした映画。本項で詳述する。
  5. 1.から浦上天主堂の鐘の音のことを指す。本項で詳述する
  6. 長崎市平和公園に設けられた鐘のモニュメント。本項で詳述する。
  7. 福岡県北九州市小倉北区勝山公園(原爆投下第一目標・旧小倉陸軍造兵廠跡地)にある、長崎市より贈呈された鐘のモニュメント。

目次

[編集] 概要

長崎の鐘永井隆が執筆した随筆。1949年1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。同書をモチーフとした歌謡曲はヒット。さらに松竹により映画化され、版を重ねることになった。

[編集] 随筆

作品は、1946年8月には書き上げられていたが、GHQの検閲によりすぐには出版の許可が下りず、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年1月、日比谷出版社から出版された。

[編集] 歌謡曲

藤山一郎池真理子の歌謡曲。作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而1949年7月1日コロムビアレコードから発売された。翌1950年頃から藤山の作曲により、永井隆の短歌によるサビ部分が付け足された。また、本作品発売の2ヶ月後、永井一家と交流のあった植本一雄の作詞・作曲による藤原義江の歌謡曲が同タイトルで発表されている。古関版の「長崎の鐘」は、ソプラノ歌手藍川由美の「古関裕而歌曲集」にも収録されている(同CDには、藤山版のサビ部分と同じ歌に古関が作曲した曲も収録されている。もともとその短歌は、藤山の歌った「長崎の鐘」を聴いて感動した永井が詠んで古関・サトウ・藤山に贈った歌であった)。なお、古関版「長崎の鐘」の歌詞には、原爆を直接描写した部分は全くない(当時の米軍の検閲をはばかったものと思われる)。

[編集] ヒットの要因

1949年4月4日のレコーディング当日、藤山は40度近い高熱を出し苦しんだ。戦時中セレベス島で感染したマラリア熱が再発したのであった。妻の運転する車でスタジオに乗り込み、録音を後日にして欲しいとの旨を願い出たが、式場隆三郎博士と山下清画伯がスタジオ見学に来ていたため、仕方なくそのまま録音し、藤山は息も絶え絶えに1度吹き込み、再吹き込みすることなく、そのまま発売。この鬼気迫る歌声が大衆の心を揺さぶり大ヒットとなったのである。

[編集] 映画

[編集] 浦上天主堂の鐘

詳しくは浦上教会#天主堂の鐘楼を参照。

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 平和公園のモニュメント

1977年(被爆から33回忌にあたる)につくられた、軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメントである。

被爆地となった浦上には当時いくつもの軍需工場があり、そこで働いていた学生など多くの人々が原爆によって亡くなった。

[編集] その他関連事項

[編集] 参考資料

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月21日 (土) 19:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【長崎の鐘】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!