長崎県立長崎東中学校・高等学校
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| 国公私立の別 | 公立学校 |
|---|---|
| 設置者 | 長崎県 |
| 併合学校 | 長崎県立長崎高等学校 長崎県立長崎女子高等学校 長崎県立瓊浦高等学校 長崎市立女子高等学校 |
| 設立年月日 | 1948年11月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 中高一貫教育 | 併設型 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 42101E |
| 所在地 | 〒850-0007 |
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長崎県長崎市立山5丁目13-1
北緯32度45分37.3秒東経129度52分35秒 |
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| 電話番号 | 095-826-5281 |
| FAX番号 | 095-823-5472 |
| 外部リンク | 公式サイト |
正式には長崎県立長崎東中学校・長崎東高等学校(ながさきけんりつ ながさきひがしちゅうがっこう ながさきひがしこうとうがっこう)。長崎県長崎市立山にある公立の併設型中高一貫校である。
目次 |
[編集] 概要
長崎市街を眺望する金比羅山の中腹に位置する進学校。校訓はなく、若人の育成をとおし「よき世を創る」ことを目指す。文部科学省による平成15年度学力向上フロンティアハイスクール事業(3年間)の指定校である。
長崎県内で、長崎市内および西彼杵郡の、かつて合同選抜制度をとっていた長崎県立の全日制普通科の5高校を長崎五校と呼んでいる。長崎東高校と長崎北高、長崎南高、長崎西高、長崎北陽台高の五校(通称長崎五校)が該当していた。長崎県立長崎西高等学校は起源を同じくする兄弟校であり、近年、スポーツ対抗イベントである「東西戦」が復活したものの現在は合同選抜廃止により直接の繋がりは薄れている。
平成16年度から併設型中高一貫校化。数学は中3までに高校1年生の範囲まで終わらせるなど、6年後の難関大学進学体制をさらに強化しており、入試では中学入試においては高い人気を集めている。高1で速修クラスと総合クラスに分かれ、高2からは一類・二類・三類と進路別クラス編成となり、難関大学を目指す特進クラスも設置される。
[編集] 所在地
〒850-0007 長崎県長崎市立山5丁目13-1
北緯32度45分37.3秒東経129度52分35秒
[編集] 沿革
- 1865年 新町に校舎を新築し、済美館と改称。
- 1868年 明治政府直轄となり、広運館と改称。
- 1872年 学制が公布され、官立の第六大学区第一番中学校と改称。 その後、第五大学区第一番中学校、広運学校、長崎外国語学校、英語学校と改称、移転が続く。
- 1878年 願い出より長崎県へ移管され、県立長崎中学校と改称。邦学部・英語学部・植物学部・清語学部の4学部から成る。軍神橘中佐をはじめ、軍人、要人を輩出。
- 1882年7月 欧化政策の影響より、邦学部を廃止し、再び長崎外国語学校と改称。
- 1884年4月 前年に長崎県が佐賀県と長崎県に分県された影響を受け、長崎外国語学校を分割し、長崎県中学校と改称。その後、長崎県尋常中学校、長崎県長崎中学校と改称。
- 1884年6月4日 県立長崎中学校開校
- 1901年6月28日 高等女学校令により県立長崎高等女学校を長崎市西山郷(高木與作翁寄贈の土地)に設立。
- 1902年5月1日 県立長崎高等女学校開校。(開校式(創立記念日)は11月29日)。
- 1913年7月 鳴滝の地に県立長崎中学校の校舎を新築(山田七五郎の設計)し、移転。
- 1922年5月 県立瓊浦中学校と市立高等女学校が開校
- 1930年10月1日 県立長崎高等女学校の旧運動場跡に新校舎(のちの東高西山校舎)竣工。近世ゴシック式鉄筋コンクリート4階建で、九州一の校舎といわれた。
- 1945年8月9日 米軍の原爆投下により、長中34名、瓊浦403名、県高女191名、市高女112名が死亡。爆心地付近の瓊浦中学校舎は壊滅。
- 1948年4月 連合国軍最高司令官総司令部の学制改革によって、県立長崎中学校は県立長崎高等学校に、県立長崎高等女学校は県立長崎女子高等学校に、県立瓊浦中学校は県立瓊浦高等学校に、市立高等女学校は長崎市立女子高等学校にそれぞれ改称される。
- 1948年5月8日 長崎市立女子高等学校に定時制課程を開設。
- 1948年11月1日 上記の長崎高校、長崎女子高、県立瓊浦高、市立女子高の4校は、ニブロ教育官の勧告を受けて統合され、さらに、中島川・大浦川を境に、長崎西高と長崎東高とに分割される。東高は西山町(旧県立長崎高女校舎)に開校。初代校長には、県立長崎女子高等学校の校長であった山本千里校長が就任された。
- 長崎市内の新制高校は、旧制中学校の伝統は引き継がなかった。旧制中学校(旧制県立長崎中学、旧制県立長崎高女、旧制県立瓊浦中学校、旧制市立高女)と長崎東、長崎西との合同同窓会は、過去一度も開催されていない。また、創立行事も同時に開催されたことがない。
- 1949年3月 長崎東高定時制課程として普通科と被服科(のちに家政科)を開設。
- 1949年 校章(東高生徒が図案化)、胸章(県立高女のものから引用)、襟章(西高と外形を共用) を制定。
- 1949年5月 保護者からの要望もあり、制服制帽が制定される。当初より、女子はスーツを制定。
- 1949年9月20日 長崎東高茂木分校を開校。
- 1949年11月1日 校旗、校歌を制定。
- 1951年5月 最初の修学旅行を実施。
- 1952年 初の校内弁論大会を実施。
- 1953年11月28日 第1回マラソン大会を実施。
- 1958年2月 生徒会誌「ひがし」を創刊。
- 1959年9月 初の九月祭を実施。
- 1969年3月31日 行政上の都合から、長崎東高茂木分校が長崎南高に移管され、同校茂木分校となる。なお、在籍中の学年までは、長崎東高茂木分校として長崎南高に委託。
- 1969年 長崎国体において、東高が高体連の事務局となる。 学生運動が波及し、一部の生徒が政治活動に参加。
- 1970年 西山周辺道路整備のため、立山の地へ移転が決定。
- 1971年 最後の校内弁論大会を実施。マラソン大会を強歩大会に変更。
- 1973年8月 立山新校舎 第一期工事着工。
- 1975年12月 立山新校舎 第二期工事着工。
- 1976年8月 立山新校舎竣工。
- 1976年8月23日 全日制のみ、新校舎(現在の立山5丁目)に移転。
- 1978年 交換留学生の受け入れを開始。
- 1980年3月1日 定時制閉校。
- 1981年3月 東高西山校舎(旧県立長崎高女校舎)の解体工事開始。
- 1982年4月 新入生を対象とした白木峰合宿研修を開始。
- 1982年8月 三年生を対象とした雲仙合宿を開始。 新校舎移転後より、伝統・誇りを教育できる教員が減少。大学合格者数に傾倒する教員が顕著となる。
- 1983年5月17日 セミナーハウス「セミナーひがし」を開設。
- 1984年8月23日 山口和美さん殺害事件が発生。
- 1984年9月 事件を受けて、九月祭を全面中止。毎月23日を安全の日に設定。
- 1987年11月 創立40周年記念行事・事業を実施。
- 1988年11月1日 創立40周年記念式典を実施。
- 1990年 それまでの襟章を廃止し、襟章も校章に統一。
- 1997年頃 制帽を廃止、男子の紐靴、女子のストラップ靴を廃止。
- 2004年4月8日 県立長崎東中学校が開校し、併設型中高一貫教育校としてスタート
[編集] 卒業生
- 牛島俊一郎(電通顧問)
- 五島高資(俳人、医師)
- 坂元茂樹(法学者(国際法)、神戸大学大学院法学研究科教授、国連国際法委員会日本政府オブザーバー)
- 谷川弥一(政治家、衆議院議員)
- 西岡武夫(政治家、元文部大臣)
- 橋本康二(筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授)
- 林功 (英語講師、著述家)
- 林京子(芥川賞作家)
- 堀池秀人(建築家、都市デザイナー、マサチューセッツ工科大学 (MIT) 客員教授等)
- 安富正文(国土交通事務次官)
- 柳川平助(軍人、元司法大臣)
- 益田正洋(クラシック・ギター奏者)
- 泉田洋一(東京大学教授、農業経済学)
- 吉田勝彦(元プロ野球選手)
- ホリエアツシ(ロックバンド、ストレイテナー(ボーカル、ギター))
[編集] 中退
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月31日 (土) 10:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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