長崎電気軌道

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長崎電気軌道株式会社
Nagasaki Electric Tramway Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本
〒852-8134
長崎県長崎市大橋町4番5号
電話番号 095-845-4111
設立 1914年8月2日
業種 陸運業
事業内容 軌道事業
総合広告代理業
不動産業
ほか
資本金 2億1000万円
外部リンク www.naga-den.com
  
3000形電車(2008年1月7日)
3000形電車(2008年1月7日)
長崎駅前電停(2004年12月)
長崎駅前電停(2004年12月)

長崎電気軌道株式会社(ながさきでんききどう)は、長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者である。本社所在地は長崎県長崎市大橋町4番5号。登録上は長崎電気軌道だが、本社社屋前にある社名の石碑には現在でも長﨑電氣軌道と刻まれている。

1914年大正3年)8月2日設立。1915年(大正4年)11月16日、病院下(現・大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し、現在、5路線4系統を営業する。

通称は電鉄長崎電鉄。地元住民の間では電車という名称もよく使われている(JRを"JR"、"列車"または"汽車"と呼び区別している)。電話帳にも「長崎電気軌道」以外に「長崎電鉄」という表記で記載されている。なお資料によっては長崎電軌という略称を用いているものもあるが、あまり一般的ではない。

以前はバス事業も行っていたが、1971年長崎自動車(長崎バス)に事業譲渡して撤退している。

目次

[編集] おもな歴史

長崎古町電車停留所、手彩色絵葉書
  • 1914年(大正3年)8月2日 : 設立
  • 1915年(大正4年)11月16日 : 病院下(現・長崎大学付属病院正門登り口付近) - 築町間(現・1号系統)開通、営業開始
  • 1916年(大正5年)12月27日 : 千馬町(現・築町―出島間) - 大浦海岸通間開通
  • 1917年(大正6年)6月4日 : 大浦海岸通 - 石橋間(現・5号系統)開通
  • 1919年(大正8年)12月25日 : 長崎駅前 - 桜町間(現・3号系統)開通
  • 1920年(大正9年)7月9日 : 桜町 - 諏訪神社前間(現・3号系統)開通
  • 1920年(大正9年)7月9日 : 病院下 - 下の川(現・長崎西洋館付近)間(現・1、3号系統)開通
  • 1920年(大正9年)12月25日 : 古町(現・公会堂前 - 諏訪神社前間) - 築町間(現・5号系統)開通
  • 1921年(大正10年)4月30日 : 西浜町 - 思案橋間(現・4号系統)開通
  • 1921年(大正10年)5月23日 : 茂里町車庫火災により、車両19両焼失。
  • 1933年昭和8年)12月25日 : 下の川 - 大橋間(現・1、3号系統)開通
  • 1934年(昭和9年)12月20日 : 諏訪神社前 - 蛍茶屋間(現・3、4、5号系統)開通
  • 1944年(昭和19年)10月10日 : 大橋車庫火災により、車両8両焼失。
  • 1945年(昭和20年)8月9日 : 原爆投下により、全線不通、車両16両焼失、職員120人死亡。
  • 1945年(昭和20年)11月25日 : 運行再開(長崎駅前―蛍茶屋間)
  • 1947年(昭和22年)5月16日 : 原爆で壊滅的被害を受けた浦上駅前 - 大橋間が復旧、病院下に迂回していた旧線を廃し、現在の浦上駅前 - 浜口町を結ぶ直線ルートの新線に。
  • 1950年(昭和25年)5月7日 : 大橋 - 住吉間(現・1、3号系統)開通
  • 1953年(昭和28年)4月1日 : バス事業に参入
  • 1960年(昭和35年)5月7日 : 住吉 - 赤迫間(現・1、3号系統)開通
  • 1962年(昭和37年)7月8日 : 363号車が無人暴走し、新大工町で365号車と衝突。12人が死傷。車両は大破し、日本車輌に回送修理後復帰した。
  • 1968年(昭和43年)6月17日 : 思案橋 - 正覚寺下間(現・1、4号系統)開通
  • 1971年(昭和46年)3月1日 : バス事業を長崎自動車に譲渡。
  • 1980年(昭和55年) : 軽快電車2000形を導入。
  • 1982年(昭和57年)7月23日 : 長崎大水害により、同日夕方から同年7月26日までの間全線運休。
  • 1984年(昭和59年)6月1日 : 運賃改定。大人100円(子供50円)に値上げ。
  • 1990年平成2年)6月11日 : 入江町電停廃止
  • 1998年(平成10年) : 昭和町通電停を一時廃止し、千歳町電停を設置。昭和町通電停は後に赤迫方面のみ復活。
  • 1999年(平成11年)8月31日 : 赤迫 - 石橋線廃止
  • 2003年(平成15年) : 超低床電車3000形を導入、専用ダイヤを設ける。
  • 2007年(平成19年)5月19日 : 公会堂前交差点で3号系統赤迫行きが脱線事故。
  • 2007年(平成19年)5月24日 : 上と同じ場所で同系統赤迫行きが再び脱線。後日原因究明のために3号系統赤迫行きを運休。代替として2号系統赤迫行きを運行。
  • 2007年(平成19年)7月2日 : 九州運輸局から、2006年に起こした事故を報告していなかったとして、行政指導を受ける(後述)。
  • 2007年(平成19年)7月19日 : 3号系統赤迫行きの運行再開。これにより2系統の代替運行と臨時便の運行を終了。
  • 2008年(平成20年)3月20日 : 一部の車両(16両)で長崎スマートカードが使用可能となる。
  • 2008年(平成20年)12月 : ツーマン車2両を除く、全車両で長崎スマートカードの対応完了。
  • 2008年(平成20年)12月31日 : この日限りで90年以上続いた紙式回数券の発売を終了。
  • 2009年(平成21年)1月1日 : 築町電停での乗継券に代わる長崎スマートカードによる乗継無料対応開始。
  • 2009年(平成21年)1月10日 : 定期券タイプの長崎スマートカードの発売開始。
  • 2009年(平成21年)10月1日 : 運賃改定。大人120円(子供60円)に値上げ。同時に紙式回数券もこの日以降利用できなくなる。

[編集] 経営体制

長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。これは、公共交通機関を運営するにあたり集客の面で有利な条件である。また、均一制運賃の採用、車両や線路の敷石などを他の企業から譲り受け、カラー電車、電車内の広告などの宣伝料により黒字経営を実現している。長崎市北部、滑石方面への延伸計画があるが、勾配、道路幅の制約、建設費といった問題があり、進展していない。長崎駅付近の連続立体交差化事業により、高架駅となる長崎駅下へ路面電車を延伸する予定があり、そこから更に浦上川対岸の稲佐・飽の浦方面へ延伸する構想も出している。この構想は旭大橋の架け替えが条件となっている[1]

運賃は1984年(昭和59年)6月1日にそれまでの1乗車90円から100円(子供は50円)に改定して以降、25年にわたり値上げを行わなかった。1989年消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、「10円の値上げは便乗値上げになる」として消費税は転嫁されず、100円のまま据え置かれた。さしずめ100円均一運賃のコミュニティバスの先駆者的な存在とも考えられる。2008年に今後のバリアフリー対応や運行情報管理システムなどの導入といった設備投資や安全対策で経費の増大が見込まれるため、2009年度以降運賃を値上げする方針であることが明らかにされ[2][3]、2009年8月3日に同年10月1日より運賃を1乗車120円(子供60円)に値上げすることを決定し、九州運輸局に認可申請をして[4]、同年8月31日に認可された。そして、2009年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、120円とした。

11枚綴り1000円の回数券を発行していたが、2008年3月20日より、順次長崎スマートカードが利用できるようになり、2008年12月にツーマン車(150形・160形)を除いた全車両で使用可能となったため、回数券は2008年12月31日に発売を終了した。2009年9月30日まで使用可能で、それ以降は2009年12月31日まで払い戻しとなる。また、長崎スマートカード導入と共に運賃箱が自動両替機付きのものに更新されていて、薬袋のような両替袋と手動運賃箱もツーマン車を除いて姿を消した。 長崎スマートカードの全車両対応により2009年1月1日より築町電停でもらえる乗り継ぎ券は、現金・回数券利用者のみとなり、スマートカード利用者は自動的に乗りつぎ後の乗車が無料になるよう設定されている(ただし長崎駅前方面と大浦方面との乗り継ぎのみ対象で、30分以内の時間制限あり)。2009年1月10日より長崎電気軌道でも定期券タイプの長崎スマートカードが発売されている。 また、長崎市内の主な観光地に行けるため、観光客・修学旅行生の利用も多く、そのような利用者は1枚500円の「1日乗車券」を利用することもある。500円という金額は他都市のフリー切符よりは安い方だが、通常運賃が120円のため5回以上乗らないと元が取れない。なお、1日乗車券は車内では販売していないので、乗車前に売店などで購入する必要がある。

2007年7月2日九州運輸局から2006年に起こした3件の追突・接触事故を報告しなかったとして、安全管理などの改善を求める行政指導を受けた。事故の中には、運転士が骨折する事故もあったが、会社は「軽微な事故と認識していた」という[5]

[編集] 運転

長崎電気軌道の系統図

下記の5系統が運行されている。

1号系統(青)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 正覚寺下(約5分間隔)
2号系統(白)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋
3号系統(赤)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋(約6分間隔)
4号系統(黄)
蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 正覚寺下(約8分間隔)
5号系統(緑)
蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 石橋(約7分30秒間隔)
  • 2号系統は深夜往復1便ずつ運行しているのみで、時刻表などでは廃線に近い扱いとなっているが、越年運転時には深夜に約8分間隔で運転されるほか、何らかの事情で3号系統が運休となった時に振り替えて運行されることがある。最近の事例では低床車両である3000形が導入された2005年に、3000形専用ダイヤの中に一時的に組み込まれていたほか(同形増備に伴い廃止された)、2007年5月に公会堂前で発生した3号系統の脱線事故の影響で、5月24日 - 7月18日まで2号系統の赤迫行きが代替として終日運行されている(蛍茶屋行きは3号系統で通常運行)。
  • 以前は早朝深夜などの時間帯に本数が少ないものの赤迫 - (桜町 - 公会堂前 - 賑橋 - 西浜町 - 築町) - 石橋(7号系統)も運行されていたが、1999年8月31日で廃止されている。このため現在赤迫 - 石橋へ行くためには築町での乗り換えが必要となる。
  • このほか、出入庫系統として、浦上車庫前 - 赤迫(通称Z系統)の運行や、イベント時の臨時列車として赤迫、浦上車庫前 - 築町などの運行もある。方向幕は2号系統と同じく白であり、系統番号はない。また臨時便の場合、車内放送も次の停留所の案内のみを表す簡単なものが使われることもある。
  • 2000年10月頃に試験的に駅前環状線の運行が行われた。長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 長崎駅前のルートで運行されたが、利用者がそれほど多くなく、定常化には至らなかった。

[編集] 路線

路線図

下記の5路線計11.5kmを有している。全線軌間1435mm、直流電化(600V)

赤迫支線
赤迫 - 住吉間 0.4km(全線複線)
電停:
赤迫 - 住吉
  • 1・2・3号系統が走っている。全列車が本線に直通し、赤迫支線のみの運行はない。
本線
住吉 - 正覚寺下間 6.9km(全線複線)
電停:
住吉 - 昭和町通り(赤迫行きのみ停車) - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 築町 - 西浜町 - 観光通り - 思案橋 - 正覚寺下
  • 1・2・3号系統が走る長崎電気軌道の主要路線(4・5号系統も途中のごく一部区間のみだが走っている)。
  • 本線・赤迫支線の運転経路は長崎自動車の主要路線(1番系統北部方面行きや20番系統長崎新地ターミナル行きなど)と競合している。このため、道の尾・滑石・時津・長与方面から長崎市内へ通っている通勤・通学客は、朝は赤迫や住吉で路面電車に乗り換える(夕方はその逆)ケースが目立つようになっている。
  • 2005年(平成17年)6月1日から長崎自動車が大学病院線を運行の際、大橋電停に横付けするような形でバスを運行している。同一電停における電車とバスの乗り継ぎはヨーロッパでは普及しているが、日本ではまだ珍しい。
  • 岩屋橋 - 浜口町間は併用軌道ではなく専用軌道である。
  • 1944年1月に戦争時の急行運転を開始する前は現在よりもっと電停の数が多く、山王神社前電停(現在の大学病院前 - 浦上駅前間)、本社前電停(現在の茂里町 - 銭座町間)などが存在した。詳しくは下の主な廃止電停を参照。
  • 築町電停開業前は、現在の出島 - 築町間に千馬町電停が存在し、大浦方面への乗り換え電停となっていた。
桜町支線
長崎駅前 - 公会堂前間 0.9km(全線複線)
電停:
長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前
  • 通常は3号系統のみが走る。
  • 線路の構造としては桜町 - 公会堂前(長崎警察署前の電停) - 公会堂前(長崎市民会館前の電停) - 賑橋へと接続することも可能になっているが、この路線は精霊流しなどで大波止方面の道路が車両通行止めになったときの臨時便でしか使用されない。
  • 「古町支線」と記載されている資料も存在する。
  • かつては桜町付近からは現在のようにトンネルで公会堂前電停へ抜けるルートではなく、急勾配を上って現在の勝山市場付近を通り、諏訪神社方面へ抜けるルートになっていた。
大浦支線
築町 - 石橋間 1.1km(大浦海岸通 - 石橋間単線(単線自動閉塞式))
電停:
築町 - 市民病院前 - 大浦海岸通り - 大浦天主堂下 - 石橋
  • 通常は5号系統のみが走る。
  • 大波止・長崎駅前・住吉・思案橋方面には直接行けないため、築町電停で1号系統と5号系統の相互乗り換えが可能になっている。この際、乗り継ぎ券を発行することにより2便あわせて運賃120円での利用が可能(大浦方面と長崎駅前方面との乗り継ぎの場合のみ長崎スマートカードでの利用すると、30分以内であれば2乗車目の運賃が差し引かれない)。
  • この乗り継ぎ券は2008年1月1日より長崎スマートカード導入に伴う運賃自動読み取り機導入に合わせて、一回り小さなサイズに変更されている。
  • 以前は築町電停と市民病院前電停の間に入江町電停が存在したが、1990年6月11日に廃止されている。
蛍茶屋支線
西浜町 - 蛍茶屋間 2.2km(全線複線)
電停:
西浜町 - 西浜町(アーケード入口) - 賑橋 - 公会堂前 - 諏訪神社前 - 新大工町 - 新中川町 - 蛍茶屋
  • 2・3・4・5号系統が走る。
  • 蛍茶屋電停は折り返し可能な島式1面2線の電停。線路はそのまま車庫へ繋がっている。

[編集] 電停番号

知名度はあまり高くないが、路線図や各電停には番号が振られている。赤迫電停から順に11番から通しで全電停(昭和町通り電停を除く)に振ってある。なお、電停廃止により欠番が生じた場合でも番号は詰めない。詳しくは各系統の記事を参照。

[編集] 主な廃止電停

  • 岡町…大橋 - 松山町間
  • 下の川橋…松山町 - 浜口町間
  • 浦上…浜口町 - 病院下間(旧線区間)
  • 病院下…浦上 - 坂本町間(旧線区間)
  • 坂本町…坂本町 - 浦上駅前間(旧線区間)
  • 岩川町…大学病院前 - 浦上駅前間
  • 竹の久保通…現在の茂里町電停付近
  • 本社前……竹の久保通 - 井樋の口間(旧線区間)
  • 井樋の口…現在の銭座町電停付近
  • 稲佐橋通…現在の宝町電停付近
  • 寿橋…稲佐橋通 - 八千代町間(旧線区間)
  • 千馬町…出島 - 築町間
  • 恵美須町…長崎駅前 - 豊後町間
  • 豊後町…現在の桜町電停付近
  • 古町…公会堂前 - 諏訪神社前間
  • 馬町…現在の諏訪神社前電停付近
  • 桜馬場町…新大工町 - 新中川町間
  • 中川町…新中川町 - 蛍茶屋間
  • 酒屋町…賑橋 - 公会堂前間
  • 入江町…築町 - 市民病院前間
  • 出師橋…入江町 - 市民病院前間

[編集] 車両

[編集] 現有車両

[編集] 過去の車両

[編集] 日本初・日本一

  • 日本初の車体広告(カラー電車、1964年)
  • 日本初の商業ビル内を走る路面電車(浜口町―松山町間の長崎西洋館)
  • 路面電車としては日本一安い運賃(一律120円)
  • 現役営業車両としては日本最古かつ唯一の木造電車(160形168号 明治44年製)

[編集] カラー電車(車体広告)

日本で初めて車体広告(現在のラッピングフィルムによるものではなく、塗装によるもの)を採用した公共交通機関で、1964年に開始された。初のスポンサーは鐘紡だった。地元企業から全国的に有名な企業のものまで数多くのパターンがあり、特に有名なのは1500形・1506号車の日清チキンラーメン号である(ただし、最新鋭の3000形は車体広告の実績がない)。契約は月単位で、号車によってはデザインがめまぐるしく変わるものもある。1801号は「じゅうはちがいちばん」と語呂合わせできるため、地元銀行の十八銀行が頻繁に使用している。2004年度から長崎電気軌道の主催でカラー電車の人気投票も行われている。

なお、長崎の景観に配慮して、全在籍車両の40%を超えないように調整されている。

[編集] 系統板

現在は方向幕に行先・系統番号を表示し、色も系統に合わせたものになっているが、1984年前後までは軽快電車2000形および、当時最新鋭の1200形を除いて、系統板を車両前方に掲げていた。

系統板は系統に割り振られた色をバックに番号が書かれていた(1号系統はバックは白だった)。

[編集] バス事業

長崎電鉄バスの通称で、1953年4月1日より開始された。

しかし、主要路線をライバルである長崎自動車に押さえられた影響もあり、バス事業の経営は思わしくなかった。さらに、モータリゼーションの進展がバス事業はもとより路面電車事業にも打撃を与え、長崎電気軌道自体も経営不振に陥ってしまった。このままではバス事業・路面電車事業ともに共倒れになると考え、経営陣は1971年3月1日にバス部門を長崎自動車へ完全譲渡して、路面電車に一本化した。

このような状況に陥ったバス事業兼営の路面電車事業者は路面電車を廃止してバスに一本化したケースが多く、バスを廃止して路面電車に一本化したケースは全国でも珍しいが、これはバス路線が長崎自動車や長崎県交通局と競合する区間が多かったことなどがあげられる。

また、石原裕次郎主演の映画『若い力』では、この会社のバスが登場している。

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[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

マルチメディア
長崎電気軌道に関連するマルチメディアがあります。
ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月5日 (木) 19:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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