長生橋
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長生橋(ちょうせいばし)は、新潟県長岡市の信濃川に架かる国道351号、国道403号の道路橋梁。信濃川にかけられた最初の橋である[1]。
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[編集] 概要
橋長850.8m、全幅7.0mを有する13径間下路カンチレバートラス橋。下流側に歩道橋を併設する。
長きにわたって旧市域の川東地域と川西地域とを結ぶ幹線経路となっているが、長岡まつり大花火大会ではここからナイアガラ花火が打ち落とされる。
[編集] 歴史
かつての信濃川は現在よりも河幅が広く、江戸時代には約840mもあったと伝えられている。橋梁は無く、渡河する手段は渡船しかなかった。1605年、西詰側で「草生津(くそうづ)の渡し」が開業したが、洪水や荒天の際には河を渡れず、洪水の後には流木や石に、また春先の雪解けの時期には雪の塊に衝突するなどして転覆に遭うなど長きにわたって難所となっていた。
こうしたことから1874年、長岡の元庄屋であった広江椿在門(ひろえ ちんざえもん)が新潟県に対し橋梁の架設願を提出した。広江は中州を挟んで2つの木橋を架橋して、建設費用を通行料金で償還する計画を立案し、県の認可を経て1876年4月30日に工事に着手、同年10月20日に竣工した。建設当初、龍が中州に腹を付けて寝ている様に見えることから「臥龍橋(がりゅうばし)」という名前が付けられていたが、開通の際、長岡の「長」と草生津の「生」の字を取って「長生橋」と名付けたと言われる。
開通以降、長生橋は長岡の交通の要衝となったが、たびたび襲う洪水で流失を繰り返したため、多額の修繕費を通行料金で賄うことができず、橋守は負担に耐え切れずに次々と代替わりを繰り返した。結局、橋は新潟県へ移管し、通行も無賃化された。
しかし1914年8月14日、信濃川を襲った大洪水によって橋の大半が流失した。県は中州を通らずに直接両岸を結ぶ新たな橋梁の建設を同年暮れに決定し、1915年11月28日、総工費約12万円を掛け2代目の木橋が竣工。兵庫県から取り寄せたスギ材を使用して築造された。橋長480間(約872.73m)は、当時木橋としては日本一の長さであった。
だが、この2代目の橋梁も木橋であった為、洪水の度に部分流失を繰り返し、年々損傷も著しくなったことから、県は1932年、県議会で長生橋の鋼橋への架け替えを決議し設計に着手、1934年1月28日に着工した。同年7月、イタリアとエチオピアの間で紛争が勃発した余波を受けて鉄鋼の価格が高騰し、この影響で建材費が契約当初から5割近くも高騰するという憂き目にも遭ったが、3代目の鋼橋(現橋)は総工費約78万円を掛け、1937年10月12日に竣工した。
2代目橋梁時代の1920年に県道長岡柏崎線の区間に指定された後、1952年に国道8号の区間となり建設省(当時)に移管したが、1970年に長岡バイパスが開通したのに伴い主要地方道に指定変更されて再び新潟県に移管し、1974年に国道351号の区間に指定変更された。この間1972年、下流側に歩道橋が増設された。
[編集] 出典
[編集] 画像
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東詰側にある与謝野晶子の歌碑 |






