開封市

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中華人民共和国 河南省 開封市
河南省中の開封市の位置
河南省中の開封市の位置
中心座標
簡体字 开封
繁体字 開封
Kāifēng
カタカナ転記 カイフォン
国家 中華人民共和国
河南
行政級別 地級市
面積
- 総面積 6,444 km²
- 市区 359 km²
人口
- 総人口(2004) 80 万人
経済
電話番号 0378
郵便番号 475000
行政区画代碼 410200
官方ウェブサイト http://www.kaifeng.gov.cn/

開封市(かいほう-し)は中華人民共和国河南省東部に位置する地級市。中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都であった。

目次

[編集] 歴史

開封の名の由来は春秋時代に遡り、当時この地方を支配していたの荘公が現在の開封の近くに城を築き、そこに啓封と名づけた事から始まる。後に前漢景帝(劉啓)を避諱して、同義の開の字に改められた。

戦国時代にはの領域であり、大梁と名づけられて首都となった。しかしの攻撃で落城した際に、都市も荒廃し、の時代に武帝の弟・梁王・劉武が封じられた事もあったが、その後(三国時代の)魏にかけての時期には郊外の陳留が陳留郡の郡治と位置づけられたために、その後はさほど重要な都市とはされなかった。東魏時代には梁州、北周時代には汴州(べんしゅう)と呼ばれた。

代になり、大運河が開通すると一気にこの都市の重要性は高まり、南からやってくる物資の大集積地として栄えた。

その後の末期に首都長安は荒廃し、それに代わってこの都市が全中国の中心地となり、唐から簒奪した朱全忠はここを首都として後梁を建てた。その後の五代政権も後唐を除いて全てこの地を首都とし、後周により汴州(べんしゅう、汴はさんずいに卞)と改称された。

その後周より禅譲を受けた趙匡胤により建てられた宋は東京開封府と称して、ここを首都とした。開封府は拡張され、3重の城壁が都市を取り囲んだ。大運河の一部も引き込まれ、水運によって米を始めとした大量の物資が江南地方より運び込まれ、開封には国中の物資が集まるようになり、ここにおいて開封は空前の繁栄期を迎えることとなる。交通の疎外となる区画同士の壁は取り払われ、庶民の夜間通行も許可され、空いている土地には必ず屋台が立ち並び大道芸、講談などが行われ、昼夜を問わず飲食店には人々が集い、酒や茶を飲んだ。上流階級や更にはペットにまで食事を配達する事業も存在した。その繁栄振りは『東京夢華録』・『清明上河図』に記されている。

宋を征服したモンゴル帝国により攻められて領土の大半を奪われた後、この地に遷都して抵抗を続けたが、程なく滅ぼされた。金とでは首都は北京(中都・大都)に置かれ、開封はあくまで河南の中心地に留まる。明代には周王府が置かれ壮麗な建築物があったが黄河の大氾濫により土中に没した。清朝に周王府の跡に龍亭が建てられた。

その後のでも変わらず河南省の省都とされたが、中華人民共和国が誕生すると省都の地位を鄭州に奪われた。現在の開封は観光地として栄えている。

現在の都市の下には明代の都市が眠っており、その下には宋代の都市があり、全部で6層が積み重なっていると2004年2月に発表された。このようなことになっているのは黄河がたびたび氾濫したゆえである。

[編集] 観光名所

鉄塔
  • 鉄塔(1049年に建立された仏塔。元は開宝寺という寺院の舎利塔であったが、寺は崩壊し、この塔だけが残っている。)
  • 山陝甘会館(清代に商人たちの同郷組合の建物として建てられた)
  • 延慶観(元代に作られた道観道教の寺院))
  • 繁塔(974年に建立された仏塔。天清寺と言う寺院の舎利塔として建てられ、現在は塔のみが残っている。)
  • 北宋東京城遺跡
  • 開封城壁(現存するのは清の時代に造ったもの。さほど完全ではないが古い開封の市内区を一周に11.4km残っている。
  • 龍亭(代に建てられた宮殿)
  • 大相国寺(555年建立)
  • 禹王台(王を称えて作られた廟)
  • 宋都御街(宋代の商店街を再現して作られた町)
  • 清明上河園(『清明上河図』に描かれた街並みを再現したテーマパーク)
  • 包公祠(宋代の著名な役人・包拯を祭ったもの)
  • 礬楼(宋代のものを再現した店)
  • 岳飛廟(南宋の武将岳飛を祭ったもの)
  • 興国寺塔
  • 張良墓(張良の墓)

[編集] 姉妹都市

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月6日 (日) 04:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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