間の宿

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間の宿(あい-の-しゅく。間宿とも記)は、日本近世にあたる江戸時代の主要街道上で発達した施設の一種。

宿場と宿場の間に興り、発展した休憩用の町場である(一部例外あり)。

なお、本項目で扱う「宿場」の概念は、通俗語のそれ、すなわち日本のおおよそ全ての時代に共通で日本以外に対しても用いる、通常に言うところの「宿場」とは違う、江戸時代の宿駅制度(宿場・伝馬制度)上のものに限られる。

[編集] 概要

宿場間の距離が長い、越え等の難路であるなど、旅人に多大な負担を強いる地勢があると、係る地点には需要に応えるかたちで便宜を図る施設が自然発生的に興るものであるが、そのようにして宿場と宿場の間に興り、発展した休憩用の町場が「間の宿」である。 ただし、宿場として無認可であったため、旅人の宿泊は禁じられていた。 このことにより、間の宿がどれほど繁栄し、商家が軒を連ねるなどしても、旅籠(はたご)だけは存在し得なかった。

間の宿として異例であるが、東海道金谷宿 - 日坂宿間にある菊川(菊川宿)のように、宿駅整備以前から存在していたものが何らかの理由で指定から外され、間の宿となる場合もある。 この場合もやはり、宿泊だけは許されない。 中山道鴻巣宿 - 熊谷宿間にある吹上村(吹上宿)も菊川と同様、宿駅整備以前に事実上、宿場として機能し、交通の要衝であったにもかかわらず正規の宿場とはされず、宿場間および街道間の中継の利便性に不合理をもたらしている。 理由として諸説挙げられているが、将軍徳川家康が鴻巣に長逗留しての鷹狩を常とした(2代・3代将軍もこれに続いた)ことを始めとする、鴻巣郷と当時の為政者との親密な関係が背景にあるのは確かである。

詰まるところ実質的な制定上の事情で言えば、発生経緯にかかわらず、江戸幕府によって認可されていれば宿場であり、そうでなければ間の宿であったと言えよう。

なお、間の宿より小規模な施設を立場(たてば)と言い、いわゆる“峠の茶屋”などもそれである。 間の宿のなかには立場が発展したものもある。

[編集] 主な間の宿

『岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望』
天保6- 8年(1835-1837年)、渓斎英泉
この名所絵(浮世絵風景画)は中山道六十九次を描いた作品『木曽街道六十九次』の中の1図。正規の宿場の一つである鴻巣宿を表わすためのものであるが、実際に描かれているのは、間の宿がある吹上から望む関東平野富士山の景観である(詳しくは他項目「吹上宿」を参照)。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年4月20日 (月) 07:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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