関口親永
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関口 親永(せきぐち ちかなが 1518年(永正15年) - 1562年(永禄5年))は、今川氏の一門で有力家臣。諱は 氏興、義広、氏広とも。今川氏親から偏諱を受けて親永に改める。通称は刑部少輔。駿河国持船城主。今川義元の妹婿であり、徳川家康の正室・築山殿の父に当たる。親永は、今川一門の瀬名氏出身で、関口家の養子となって家督を相続した。
1560年(永禄3年)、義元が織田信長によって桶狭間の戦いで討たれた後も衰退する今川氏を支えた。しかし家康が今川氏から独立したため、氏真からその去就を疑われた結果、1562年(永禄5年)、駿府尾形町の屋敷にて切腹を命じられて果てた。
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最終更新 2009年11月23日 (月) 17:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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