関東大水害

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関東大水害(かんとうだいすいがい)とは、戦前関東地方を襲った水害1910年(明治43年)8月11日に発生した水害と、1917年(大正6年)9月30日に発生した高潮水害(被害地域では大正六年の大津波の名で伝えられている)を指すことが多い。

目次

[編集] 概要

関東地方は、江戸時代利根川東遷事業を始めとした治水事業が進められてきたが、水害対策より水運が優先され、戌の満水時を始め、しばしば洪水に襲われてきたが、大火などと比べ被害が問題視されたことはなかった。堤防は貧弱で、東京は水害に対して脆弱な状態であった。しかし、明治維新以降、近代的なインフラ整備が進み、被害額が大きくなるにつれ記録にも残るようになった。

[編集] 1910年

1910年8月11日日本列島に接近した台風は、房総半島をかすめ太平洋上へ抜ける際に、各地に集中豪雨をもたらした。利根川荒川水系の各河川は氾濫するとともに、各地で堤防が決壊。関東平野一面が文字通り水浸しになった。死者・行方不明者数1,379人、全壊・流出家屋約5,000戸、床上・床下浸水約51万8,000戸、堤防決壊7,266箇所。東京でも下町一帯がしばらくの間冠水し、浅草寺に救護所が造られた記録が残っている。この洪水は、荒川放水路の開削が始まる契機(1930年完成)となった。

[編集] 1917年

1917年9月30日沼津付近に上陸した台風は、関東地方から仙台方面へ移動する中で各地に集中豪雨をもたらした。東京湾接近時には、折しも満潮の時刻と重なり、深川 (江東区)品川 (東京都)高潮が住宅地に押し寄せ500人以上が溺死した。また、横浜港でも3,100隻以上の船舶が風浪により転覆、多数の沖仲仕(港湾労働者)や水上生活者が犠牲となった。同港が日本の経済活動の要所であった時代だけに、日本全体の経済活動も大きな打撃を被ることとなった。死者・行方不明者数1324人、全壊・流出家屋約36500戸、床上・床下浸水約30万3000戸。1910年の大水害とは異なり、沿岸部での高波による被害が目立った水害となった。

千葉県浦安町は全町が水没した。江戸時代を通じ、幾多の水害をくぐり抜けてきた行徳塩田も、当水害で塩田の堤防が完全に破壊され、東京湾で行われてきた数百年の製塩業の歴史は事実上幕を閉じた。

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最終更新 2009年10月24日 (土) 08:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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