阪神5231形電車

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阪神5231形電車(はんしん5231がたでんしゃ)は、阪神電気鉄道がかつて所有していた各駅停車用の通勤形電車である。旧型車の置き換えと輸送力の増強を目的に1961年から1963年にかけて24両が製造された。

目次

[編集] 経済版ジェットカー

1958年に製造された「ジェットカー」の先行試作車5001形(初代)2両と、1959年から1960年にかけて製造された5101・5201形30両の計32両の登場によって、1960年9月のダイヤ改正から昼間時の各駅停車は1101系各形式[1]などの旧型車からすべて「ジェットカー」での運行となった。また、この時点までに各駅停車用の小型車のうち、車体長の短い1001形が1959年に全車置き換えられて廃車となったほか、阪神初の鋼製車として知られる601形も5101・5201形の増備に伴い1959年以降置き換えの対象車となり、1960年12月までに全車廃車されてしまった[2]。このように、着実にジェットカーへの置き換えは進んでいたが、「センコウ」の愛称で呼ばれ、当時40両前後が残存していた1101系各形式の置き換えはようやく緒についたばかりであった。しかしながら阪神の新設軌道各線[3]1968年に予定されている神戸高速鉄道への乗り入れ及び山陽電気鉄道との相互直通と、それに伴う架線電圧の直流600Vから1500Vへの昇圧が控えており、それまでに現存の小型車を置き換えて車両の大型化と輸送力の増強を図ることが求められていたことから、5001,5101,5201各形式の使用実績を鑑みて、1500V昇圧に対応し製造時のコストダウンを図った5231形を新造することとなった。

[編集] 概要

5231形は1961年12月から1963年3月にかけて5231,5232,5239~5244の8両が日本車輌製造で、5233~5238,5249~5254の12両が汽車製造で、5245~5248の4両が川崎車輌でそれぞれ製造された[4]。基本的な部分においては5201形の改良増備型であるが、昇圧即応対応になっていたほか、カルダン駆動方式や台車が5201形から変更されていたほか、後期に製造された車両では車体の形状に変更が加えられていた。このあたりの過程は急行系車両の3301・3501形から3601・3701形への変化とよく似ている。

車体は5201形同様、全長約18.8m、車体幅2.8mで裾部分もRのついたタイプであるが、屋根肩のRが400mmと他形式より大きい分だけ側板から屋根のカーブにかかる位置が低く、他形式と連結されると凹凸がよく目立った。側面窓配置はd1D3D3D2、客用扉は普通系車両標準の幅1400mmの両開き扉を継承し、ドア間の3枚窓も5201形を引き継ぐ連続窓風の窓柱の細いタイプであった。正面のデザインも5201形(鋼製車)を引き継いだ貫通扉つきの正面3枚窓で、左右の窓上に前照灯を取り付けていたほか、左右裾部には尾灯を取り付け、左右の窓の外側には雨樋が露出した状態で取り付けられており、車掌台側の雨樋の横には屋根上へのステップが取り付けられていた。内装はロングシートで変更はないが、室内の内張りに薄緑色のメラミン化粧板が採用された。最終増備車の5249~5254は、妻面が完全な切妻状に変更されている。

台車及び電装品であるが、台車は5201形までの空気バネ台車から、急行系車両の住友FS-341をモデルにして、それをジェットカーの762mm小径車輪に合わせてモデルチェンジされた金属バネ台車のFS-343を履き、ギア比は他のジェットカー各形式同様74:13(6.83)の高ギアであったが、モーターは75kw/hの東洋電機製造製TDK-814-Bを4基搭載、制御器は昇圧対応の東芝製MM-12-Aに換装されたほか、駆動装置もそれまでの直角カルダン駆動から中空軸平行カルダンに変更された。パンタグラフは奇数車・偶数車の両者とも運転台寄りに1基搭載した。

[編集] 運用

5231形はジェットカーの各形式同様普通運用に充当されたほか、増備とともに残っていた1101系各形式の置き換えに当たり、1963年の最終増備とともに1101系各形式を普通運用から退け、淘汰された1101形各形式は譲渡及び事業用車の151形への改造目的に休車となった車両を除いて全車廃車となった。

登場直後は高加減速性能をフルに活かしたダイヤを組み、全線通しの特急と西宮折り返しの急行も含めた10分ヘッドのダイヤの中で梅田元町間を47分30秒で走破した。また、休日ダイヤの臨時準急にも充当されたことがある。当初は2両編成を中心に運用されていたが、1963年2月のダイヤ改正では12分ヘッドとなったことから、ラッシュ時を中心に5101,5201の両形式を1両増結した3両編成を組成するようになった。そして普通運用のジェットカーへの置き換えが完了した1963年12月のダイヤ改正では、夜間を除いて普通の3連運行を実施、夕ラッシュ終了後、車庫最寄りの尼崎新在家[5]の両駅で1両を解放、その後は2連で運行した。1964年に千鳥橋西九条間が延長されて、伝法線から路線名も改名された西大阪線に、5231形も他の大型車同様2両編成を組んで入線した。1967年11月の昇圧時には、当初の計画どおり主回路を直列に接続して2両のうち片方を低圧車、もう片方を高圧車とするおしどり昇圧方式[6]で対応、2両ユニット化されるとともに中間連結器が棒連結器に交換された。

[編集] 昇圧後の5231形

昇圧後に増備された5261形[7]5311形が登場した1969年頃には、2両固定編成が5231,5261の両形式で17編成34両、増結用の単車走行可能車両が5001,5101,5151,5201の各形式36両が勢揃いし、これらの編成を組み合わせて朝ラッシュ時4両編成、データイム及び夕ラッシュ時3両編成、夜間は2両編成で運行すると言うきめの細かい運用を行うようになった。主な運用パターンは、4連でラッシュ運用に充当後、尼崎ないしは御影で1両解放、夕ラッシュ終了後再び尼崎ないし御影で1両解放して2両編成で終電まで運行した。入庫後、再び翌日の運用に備えて車庫内で4両編成を組んだほか、早朝2連で出庫して今度は尼崎ないし御影で2両増結、ラッシュ運用に充当された。この運用形態は1977年5001形 (2代)が登場して、初期投入のジェットカー各形式の置き換えが始まるまで行われ、その後は早朝深夜2両、その他の時間帯は4両といった形に簡素化された。

1970年代後半、5001形 (2代)の投入と5261形非冷房車の冷房改造によって普通系車両の冷房化率が向上すると、非冷房で残る5231,5151,5311各形式の処遇が問題となってきた。このうち、5151,5311の両形式については今後導入予定の普通系電機子チョッパ制御車のテストベッドとして、1980年に制御器を回生ブレーキ付きの電機子チョッパ制御に換装するとともに冷房改造を実施することとなったが、5231形については使用年数と今後の耐用年数及び在籍車両数を勘案して、冷房改造を実施せずに代替車を新造して置き換えることとなった。1981年には5151,5311両形式の運用実績をもとに回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御の5131,5331形を新造、5231形は両形式に台車及びモーターを提供する形で廃車することとなった。廃車は両形式の新造に合わせて1981~1983年にかけて実施、運用を離脱した車両が尼崎駅構内の側線に留置されて、代替車の登場とともに順次廃車された。1983年4月7日に廃車された5249~5252の4両を最後に阪神電鉄の営業用車両から非冷房車が消滅したことにより、日本の大手私鉄では初の全営業用車両の冷房化が達成された[8]

[編集] 譲渡

高松琴平電鉄1053形 仏生山駅ホームにて
えちぜん鉄道MC2101形

廃車後、5231~5240と5249~5254の車体が京福電気鉄道福井支社(現在のえちぜん鉄道)に譲渡され、同社の2101形となった。また、5243,5244の車体が高松琴平電気鉄道に譲渡されて、同社の1053形となった。

[編集] 脚注

  1. ^ 1101,1111,1121,1141形の総称
  2. ^ 1960年5月10日までに残存の7両が休車となり、そのまま再起することなく廃車されていることから、営業運行についていたのは5月の連休明けまでであると想定される
  3. ^ 阪神本線・西大阪線・武庫川線等の阪神電鉄社内における呼称
  4. ^ 製造年月は5231,5232が1961年12月、5233~5248が1962年10月、5249~5254が1963年4月
  5. ^ 新在家の増解結は高架化による車庫移転後は御影に変更された。
  6. ^ 親子昇圧方式という呼称もある
  7. ^ この時に増備されたのは5261~5270の10両
  8. ^ この時点では、武庫川線で単行運転していた3301形の下回りにサービス電源のMGを搭載するスペースがなく、冷房装置自体は積んでいたが使用することができなかったため、全路線での完全冷房化は1984年となった

[編集] 参考文献

  • 『鉄道ダイヤ情報』1995年3月号 No.131 特集:阪神電車の研究
  • 『鉄道ピクトリアル』1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
  • 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会

最終更新 2009年11月23日 (月) 13:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【阪神5231形電車】変更履歴

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