阿波野秀幸

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阿波野 秀幸
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県横浜市旭区
生年月日 1964年7月28日(45歳)
身長
体重
178cm
77kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年4月12日
最終出場 2000年10月7日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2001 - 2005)
  • 横浜ベイスターズ (2006)

阿波野 秀幸(あわの ひでゆき、1964年7月28日 - )は、元プロ野球選手投手)、野球解説者neo sportsコメンテーター。

目次

[編集] 経歴

神奈川県横浜市旭区出身。中学時代、有名私立高校からの誘いを受けていたにもかかわらず、敢えて公立の桜丘高校を志望し塾通いして文武両道を目指した。桜丘高校では3年夏の神奈川大会は4回戦で敗退。

高校卒業後は亜細亜大学に進学。大学の同期にパンチ佐藤、1年後輩に元中日与田剛がいる。東都大学リーグで通算62試合登板32勝17敗、防御率1.83、282奪三振。最高殊勲選手に1度、最優秀投手に3度、ベストナインに3度選ばれた。4年生秋の9勝はリーグタイ記録。

1986年 読売ジャイアンツ横浜大洋ホエールズ近鉄バファローズの3球団が1位指名。阿波野の意中球団は巨人か横浜大洋と言われていたが、くじを引き当てたのは関東出身である阿波野にとって最も縁遠い近鉄だった。この時、亜大ではドラフトの結果を待つ阿波野をテレビ中継しており、近鉄の当選が決まった瞬間、阿波野の落胆の表情と、周囲の在校生からの怒号の声が上がり騒然となった様子が画面に映し出された。結局阿波野は、「指名されたところに行く」と、亜大の先輩大石大二郎がいる近鉄への入団を受け入れた。背番号14。阿波野を外した巨人は木田優夫、横浜は友利結を再指名で獲得。

[編集] プロ入り後

プロ入り後は期待にたがわぬ活躍を見せ、15勝、リーグ最多の201奪三振を記録。同い年同じ86年ドラフト1位でプロ入り西崎幸広日本ハムファイターズ)と熾烈な新人王争いを繰り広げた。阿波野は32試合登板、15勝12敗、防御率2.88、西崎は30試合登板、15勝7敗、防御率2.89と甲乙つけがたい素晴らしい成績を残したが、結果は大差がついて阿波野が新人王を獲得を獲得。西崎にはパ・リーグから特別表彰が贈られた。両者は共にトレンディエースと呼ばれ、特に女性に高い人気を誇った。

1988年もエースとして14勝を記録、ナゴヤ球場で開催のオールスターゲーム第2戦に先発し高卒新人立浪和義含め奪三振3、出した走者は失策で出塁の呂明賜一人と3イニングを無安打無失点。レギュラーシーズン最高勝率を賭けたロッテオリオンズとの川崎球場でのダブルヘッダー、いわゆる「10.19」に、両試合吉井理人の後を受け連投。この試合の2日前、阿波野は阪急ブレーブス戦で完投しており決して調子はよくなかった。第1試合では9回、1点リードで2死満塁のピンチを迎えたが、森田芳彦を三振にしとめ、逃げ切った。この時阿波野は帽子をわしづかみにしてガッツポーズした。しかし、第2試合に1点リードの状態での高沢秀昭に痛恨の同点本塁打を打たれた。この後、ショックで記憶が飛んだという。無死一、二塁で古川慎一を牽制球で刺したが、ロッテ監督の有藤道世が判定を巡り9分間にわたって抗議を続け試合は中断した。この影響もあり、第2試合は引き分けに終わり、近鉄は優勝を逃した。なお10.19では苦い思いを味わったが、本来はロッテを得意としていた。この1988年4勝1敗、翌1989年4勝0敗の成績を残しており、通算でも近鉄時代の通算67勝のうち21勝をロッテから挙げている。

10.19」も参照

1989年 最多勝利(19勝)、最多奪三振(183個)のタイトルを獲得し、近鉄の優勝に貢献。優勝祝賀パーティーで喜びを爆発させたが、インタビューで「これで去年の無念を晴らせましたね?」という質問には急に真顔になり「いや、あの悔しさは忘れられませんけどね」と答えている。同年の日本シリーズでは第1,5戦に先発し、第1戦の完投勝利を含む15イニングを投げ、1勝1敗5失点。優秀選手に選ばれた。

1990年、この年からボークのルールが変更され、その影響で当時近鉄と毎年激しい優勝争いを繰り広げていた西武森祇晶監督、そして当時の三塁ベースコーチの伊原春樹は阿波野の牽制がボークではないかと執拗に抗議し、その結果阿波野は本来のフォームを崩し、この年以降成績が下降線をたどるようになったとされる。本人は成績の下降について西武側の抗議の影響を否定。1988年10月19日、シーズン終盤に中2日で連続完投した翌日リリーフで連投という当時でも考えられないような過酷な条件で登板するなど酷使の影響の方が大きいという説や、1991年の春キャンプにて肘を壊していた阿波野に対して、この年就任した皆川睦雄投手コーチがブルペンでの投球を強要して選手生命にダメージを与えたからという説もある。

ただし、仰木監督は阿波野を信頼し続け、翌1991年には野茂を抑えて阿波野を3年連続の開幕投手に抜擢している。また、仰木が近鉄の指揮を取った最後の試合の先発投手は阿波野であった。仰木によれば「一番投げさせてやりたい投手を使った」という。

1995年 香田勲男投手とのトレードで巨人に移籍。中継ぎ投手として再起を目指した。背番号は28。

1998年 横浜に移籍。背番号は49。主に中継ぎとして50試合に登板するなど復活を果たす。日本一を決めた試合では勝利投手になっている。

2000年 現役引退。ドラフトで競合1位指名を受けた3球団全てに在籍した。また、その3球団全てで優勝し、日本シリーズに出場を果たした。3球団からの日本シリーズ出場は最多タイ記録[1]であるが、ドラフト指名された全球団で出場したのは阿波野一人だけである。

[編集] 引退後

2001年から3年間巨人の二軍投手コーチ、堀内恒夫監督の元で2004年から2年間一軍投手コーチ(2004年はブルペン、2005年はベンチ)、2006年は横浜の一軍投手コーチを歴任。

巨人の一軍投手コーチ時代にチーム防御率4.50、4.80と2年連続して球団のチーム防御率のワースト記録であったり、2005年はチーム防御率リーグ最下位でもあった。その投手陣の低迷が要因で2005年は8年ぶりのBクラスに沈んだり、横浜コーチ時代は前年横浜はチーム防御率2位だったが阿波野がコーチを務めた2006年はセ・リーグ唯一のチーム防御率4点台の4.25(チーム防御率リーグ最下位)と低迷しチームの最下位の要因の一つになった。 また巨人投手コーチを務めていた2005年に巨人OBで投手コーチも務めた中村稔に「私が見ている限り、投手コーチが選手に遠慮しています。あれではダメ。阿波野コーチが投手陣に信頼されてないのです。“あの人についていこう”とは思われてないのです」と批判されている。

2007年テレビ東京野球解説者に就任(札幌テレビスカイ・A sports+JSPORTSフジテレビ739プロ野球ニュース」にも本数契約で出演している)。2月1日より1年間の契約で住友金属鹿島硬式野球部の投手コーチに就任した。同部で後には楽天入りする井坂亮平らを指導していた。

山田久志とは、阿波野の両親がともに山田と同郷の能代市出身者だったこともあり、新人時代から親交が深かった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
1987 近鉄 32 30 22 3 4 15 12 0 -- .556 1002 249.2 211 27 58 2 4 201 3 0 86 80 2.88 1.08
1988 29 27 15 3 0 14 12 1 -- .538 898 220.1 199 21 51 6 5 181 1 0 66 64 2.61 1.13
1989 29 28 21 5 0 19 8 1 -- .704 955 235.2 187 25 80 4 4 183 4 0 75 71 2.71 1.13
1990 25 24 10 0 1 10 11 1 -- .476 815 190.2 192 33 62 5 3 141 5 2 111 98 4.63 1.33
1991 13 6 0 0 0 2 2 1 -- .500 163 38.1 41 7 12 0 2 20 4 0 22 21 4.93 1.38
1992 19 16 2 0 0 6 6 0 -- .500 408 93.2 95 5 38 1 4 77 2 0 38 35 3.36 1.42
1993 22 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 244 50.2 69 11 30 3 0 38 0 0 43 39 6.93 1.95
1994 6 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 58 10.1 22 2 6 1 0 9 1 0 14 14 12.19 2.71
1995 巨人 24 1 0 0 0 0 3 0 -- .000 139 29.1 33 2 19 2 2 26 2 0 19 14 4.30 1.77
1996 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 35 9.0 5 0 2 1 0 13 0 0 3 3 3.00 0.78
1997 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 1 0.0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ----
1998 横浜 50 1 0 0 0 4 1 0 -- .800 237 54.0 50 6 22 1 4 44 3 2 29 28 4.67 1.33
1999 40 8 0 0 0 2 8 1 -- .200 295 62.2 79 10 24 0 6 41 1 0 49 44 6.32 1.64
2000 11 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 66 15.2 15 1 5 0 2 11 0 0 8 8 4.60 1.28
通算:14年 305 148 70 11 5 75 68 5 -- .524 5316 1260.0 1198 150 410 26 36 985 26 4 563 519 3.71 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 背番号

  • 14 (1987年 - 1994年)
  • 28 (1995年 - 1997年)
  • 49 (1998年 - 2000年)
  • 75 (2001年 - 2006年)

[編集] タイトル・表彰

  • 新人王(1987年)
  • 最多勝利:1回(1989年)
  • 最多奪三振:2回(1987年、1989年) ※タイトル表彰は1989年のみ
  • ベストナイン:1回(1989年)
  • ゴールデングラブ賞:1回(1989年)
  • オールスターゲーム選出:4回(1987年 - 1990年)
  • 日本シリーズ・3球団からの出場(1989年近鉄、1996年巨人、1998年横浜、シリーズタイ記録)
  • 日本シリーズ・両リーグ勝利投手(近鉄で1989年第1戦、横浜で1998年第6戦、史上2人目)

[編集] 個人記録

  • 初登板・初完投・初勝利:1987年4月12日、ロッテ戦(藤井寺)2-1 被安打6 奪三振8 四死球1
  • 初完封:1987年4月18日、西武戦(西武)3-0 被安打6 奪三振13 四死球5
  • 初セーブ:1988年10月19日、ロッテ戦(川崎)4-3 9回より登板、1回無失点

[編集] 脚注

  1. ^ 他には若生智男大毎阪神広島)、永尾泰憲ヤクルト・近鉄・阪神)、大宮龍男日本ハム中日・西武)、中尾孝義(中日・巨人・西武)、工藤公康(西武・ダイエー・巨人)、中嶋聡オリックス・西武・日本ハム)の6人

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月25日 (水) 09:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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