阿部勇樹

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阿部 勇樹
名前
愛称 アベちゃん
カタカナ アベ ユウキ
ラテン文字 ABE Yuki
基本情報
国籍 日本
生年月日 1981年9月6日(28歳)
出身地 千葉県市川市
身長 177cm
体重 77kg
血液型 B型
選手情報
在籍チーム 浦和レッドダイヤモンズ
ポジション MF / DF
背番号 22
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998-2006
2007-
ジェフ市原/千葉
浦和レッドダイヤモンズ
214 (36)
90 (10)
代表歴2
2005- 日本 40 0(3)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年8月29日現在。
2. 2009年10月10日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

阿部 勇樹(あべ ゆうき、1981年9月6日 - )は、日本プロサッカー選手千葉県市川市出身。Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションミッドフィールダーディフェンダーとさまざまなポジションをこなせるユーティリティープレイヤー後述)。

目次

[編集] 来歴

1998年8月5日、J1リーグファーストステージ第16節 ガンバ大阪戦(万博)で、16歳と333日でJリーグ初出場。市原ユースの先輩で当時チームメイトだった山口智の記録を破り、当時のJ1最年少記録を打ち立てた[1]

各年代別で中心選手として活躍し、2004年アテネオリンピックに出場。

2005年1月29日カザフスタンとの親善試合(横浜国際競技場)でA代表初出場を果たし、2006年8月16日アジアカップ予選、イエメン戦で初得点を決める。

ジェフ千葉時代は当時22歳ながら監督のイビチャ・オシムからキャプテンを任され、又セットプレーでの強さ(ヘディングの強さ、FK)を認められ、2005年のリーグ戦では守備的MFながら12得点(うち1回はハットトリック)を挙げた。2005、2006年のナビスコ杯でジェフ千葉を連覇に導いた立役者でもある。

2003年~2007年までJリーグオールスターサッカーに5年連続でサポーター投票で選出されるなど、サポーターからの人気も高い。(特に2004年、2005年は最高得票を獲得) 2008年からオールスターがJOMO CUPという形式に変わった後も2年連続でメンバーに選ばれている。

2007年1月12日、浦和レッズへの移籍が決まり、1月22日に正式契約を結ぶ[2][3]7月19日、第一子となる長男が誕生。

[編集] 評価・プレースタイル

本来はセントラルミッドフィルダーだが、本職のボランチの他に3バックのリベロセンターバック、更に左右のウィングバックサイドバックもこなせるなど、非常にユーティリティーな選手である。しかし、あらゆるポジションを水準以上にこなせるということは、怪我や出場停止の選手の代わりにそのポジションで起用され、本来のボランチでの出場を減らすことにつながっている。特に、クラブにおいても代表においても、怪我の多い田中マルクス闘莉王の代わりにセンターバックで起用されることが多く、数年前に比べれば攻撃面での持ち味を発揮する機会が減っている。

攻撃

和製ベッカムと呼ばれるほど精度の高いFKを蹴る。アテネ五輪予選において結果次第で本大会出場が危なくなるレバノン戦で先制の直接フリーキックを決めたり、アテネ五輪本大会1次リーグでは、キャプテンとしてピルロデ・ロッシなどを擁したイタリア代表を相手にフリーキックを直接決めたりしている。ヘディングが強く、セットプレーでは中で合わせる方の役目に回っても活躍を期待でき、ヘッドで数多くのゴールを決めている。そのことも関係して、キッカーを他の選手に譲ることも多い。その影響で近年はFKを蹴る場面が激減し、直接FKでゴールを決める場面は見られなくなっていたが、2009年10月3日、ジェフ千葉戦で久々に直接FKのゴールを奇しくも古巣相手に記録した。 2008年8月9日の柏レイソル戦では、右サイドからのボールをペナルティーアークの辺りでダイレクトで合わせ、ゴールキーパーが一歩も動けないスーパーゴールを決めており、ミドルシュートを決めたり、後方から最前線に進出して得点を奪うプレーも見せる。 さいたまシティカップバイエルン・ミュンヘン戦、アジアカップ2007準決勝サウジアラビア戦ではオーバーヘッドキックを決めている。2008年5月3日ヴィッセル神戸戦でも右からの折り返しをオーバーヘッド気味にダイレクトボレーで決めるプレーを見せた。 千葉時代に2年連続で2ケタゴールを記録するなど攻撃センスは高いものを持っている。(特に2005年にマークしたリーグ戦12ゴールは佐藤寿人大黒将志につぎ、前田遼一巻誠一郎と並んで日本人3位タイの数であった。)Jリーグでは、2005年、2006年2007年と3年連続でベストイレブンに選出されている。 FIFAクラブワールドカップ2007では、浦和レッズからただ1人大会のMVP候補8人に選ばれている。(このときMVPを獲得したのは当時ACミランの選手であったブラジル代表のカカ) その実力は歴代の日本代表監督にも認められており、フィリップ・トルシエの下では、小野伸二稲本潤一遠藤保仁小笠原満男中田浩二などを擁して準優勝を成し遂げた1999 FIFAワールドユース選手権を始めとして代表候補入りを果たしており、ジーコ岡田武史の下でも代表に選出され試合に出場している。 中でもイビチャ・オシム前日本代表監督の信頼は厚く「阿部が鈴木啓太ほど走れたら今ごろはヨーロッパにいる」と語るほどである。 オシム前日本代表監督の愛弟子として「人もボールも動くサッカー」を体現できる1人。

守備

さまざまなポジションに適応することができ、ヘディングの強さなども含めて対人での守備力が高い。ジェフ千葉時代においては、当時のオシム監督から、対戦相手の中で最も優れたキーマンの選手をマークする役割を与えられ、なおかつ前線にまで攻め上がることを要求されていた。アジアカップ2007準々決勝オーストラリア戦では、相手の長身FWマーク・ヴィドゥカにヘッドで競り勝つ場面もあった。効果的なカバーリングも見せることがあり、浦和レッズでは、攻撃的で前線に上がっていくことが多い田中マルクス闘莉王の影で守備を支えている。また、キックが正確で足元の技術に優れるため後方からのパス出しにも期待できる。本職のボランチでは攻守に総合力の高い日本トップレベルのパフォーマンスをみせる。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴(出身校)
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 市原 31 J 1 0 0 0 0 0 1 0
1999 市原 29 J1 30 1 2 0 1 0 33 1
2000 市原 8 J1 25 0 3 0 3 2 31 2
2001 市原 6 J1 17 3 2 0 2 0 21 3
2002 市原 6 J1 24 1 3 0 2 0 29 1
2003 市原 6 J1 27 3 3 0 4 0 34 3
2004 市原 6 J1 24 5 5 1 1 0 30 6
2005 千葉 6 J1 33 12 10 5 1 0 44 17
2006 千葉 6 J1 33 11 8 2 1 0 42 13
2007 浦和 22 J1 33 3 0 0 1 0 34 3
2008 浦和 22 J1 33 6 1 0 1 0 35 6
2009 浦和 22 J1 24 1 4 0 0 0 28 1
通算 日本 J1 304 46 41 8 17 2 362 56
総通算 304 46 41 8 17 2 362 56
  • 1998年と1999年はユース所属。
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2007 浦和 22 12 3 3 0
2008 浦和 22 4 0 -
通算 AFC 16 3 3 0

[編集] チームタイトル

ジェフユナイテッド千葉
浦和レッズ

[編集] 個人タイトル

[編集] 代表歴

パラグアイ代表戦(右から3番目)

[編集] 出場大会

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 40試合 3得点(2005年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2005 5 0
2006 8 1
2007 11 1
2008 9 0
2009 7 1
通算 40 3

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2006年8月16日 日本新潟市 イエメン ○2-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
2. 2007年7月25日 ベトナムハノイ サウジアラビア ●2-3 AFCアジアカップ2007準決勝
3. 2009年5月27日 日本大阪市 チリ ○4-0 キリンカップ

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 2002年FC東京呉章銀によって破られるが、日本人選手としては2003年サンフレッチェ広島高萩洋次郎に、さらにJ1の日本人選手としては2004年東京ヴェルディ1969(当時)の森本貴幸に破られるまで最年少であった。
  2. ^ 移籍の理由は「(2006年Jリーグ優勝、及び2007年天皇杯優勝により)ACLに2年連続で出場することが確定している。海外の強いクラブと対戦し、自分自身を高めていける環境を、浦和レッズは備えていた」とインタビューで話している
  3. ^ 移籍が決定後、浦和側が阿部に対して、筆頭株主である三菱自動車製の車に乗り換えなくても良いと認めていたのだが、気持ちを一新させたいという阿部本人の意向で、千葉時代から所有する愛車ベンツを売却して三菱製のパジェロに乗り換えた。
  4. ^ 受賞時は24歳2ヵ月程であったが、受賞条件が大会開幕時点で満23歳以下の選手であったため、受賞の対象となった。

 

最終更新 2009年11月19日 (木) 13:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【阿部勇樹】変更履歴

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