陳安

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陳安(ちんあん、生年不詳 - 323年)は、魏晋南北朝時代西晋の人物。の皇族・南陽王司馬模(東海王司馬越の兄弟)・司馬保父子の配下。

司馬模の時代から仕えていた。司馬模は兄弟の司馬越から離反し関中で独自に活動するようになっていたが、311年、に殺害され、子の司馬保が南陽王を引き継いだ。司馬保は陳安を寵愛し、同じ司馬保の配下である張春から嫉妬されるほどであった。張春は、陳安に謀反の心があると讒言したが、司馬保は聞き流した。 陳安は張春の放った刺客によって負傷した。陳安は挙兵し、司馬保と敵対した。

316年に長安が陥落し、愍帝が殺害され西晋が滅亡すると、司馬保は319年4月に独自に晋王を称し、路松多が挙兵して呼応した。陳安は漢(前趙)、成漢)に帰順した。 翌年3月、司馬保は部将の張春・楊次らにより殺されると、陳安は司馬保を殺した張春・楊次を撃破し、司馬瞻を捕虜にして前趙の皇帝劉曜の元に送った。司馬保の喪を発し天子としての待遇で弔うと共に、上圭を拠点として勢力を拡大した。

322年2月、劉曜に謁見を願い出たが、病気の劉曜はこれを拒否し、怒った陳安は独立を宣言した。

涼王・大都督を自称し、前趙に反乱を起こしたが、諌める部下を殺害するなど高慢で、323年7月鎮圧されて殺害された。

陳安は勇猛な武将で、政治家としての見識には乏しかったが、その死を悼んで詩がつくられた。

最終更新 2009年6月4日 (木) 16:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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