雅山哲士

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雅山哲士
四股名 雅山
本名 竹内 雅人
愛称 みやぶぅ
生年月日 1977年7月28日(32歳)
出身 茨城県水戸市
身長 188cm
体重 179kg
BMI 51.77(標準は22)
所属部屋 武蔵川部屋
成績
現在の番付 西前頭筆頭
最高位 西大関
生涯戦歴 522勝429敗53休(68場所)
幕内戦歴 482勝425敗53休(64場所)
優勝 十両優勝2回
幕下優勝2回
殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞1回
データ
初土俵 1998年7月場所
入幕 1999年3月場所
趣味 パチンコ
備考
金星2個(朝青龍2個)
2009年9月28日現在
  

雅山 哲士(みやびやま てつし、昭和52年(1977年7月28日 - )は、茨城県水戸市出身で武蔵川部屋所属の現役大相撲力士。本名は竹内雅人(たけうち まさと)。身長188cm、体重179kg。趣味はパチンコ。最高位は西大関平成12年(2000年)7月場所)。好きな食べ物はリンゴ、焼肉。好きな飲み物は酒、ブラックコーヒー。ZARDやなせたかし作『アンパンマン』に登場するメロンパンナちゃんのファン、血液型はO型、愛称は本名のマサト。

得意技は、突き押し相撲だが、四つでも取れる。相手の顔面に向けて行なわれる小刻みな突き・腕の動きを効果的に使う取り口。腰が重い力士としては珍しく足腰が強い力士であり、対戦相手がいなしたり、出し投げを放とうとしても、その恐るべき足腰のバランス感覚でクルリと一回転して難なく相手をかわしてしまう技術は高い評価を受けているが、やはり体重の影響による足の怪我も少なくない。

目次

[編集] 来歴

実家は茨城交通グループのオーナー一族。武双山の父に指導を受け強くなった。子どもの頃好きだった力士は琴椿明治大学中退して武蔵川部屋に入門し、平成10年(1998年)7月場所に幕下付出初土俵。2場所連続幕下優勝で同年11月場所に十両に昇進した。勢いは止まらず初土俵から4場所連続優勝という記録を作り、平成11年(1999年)3月場所には新入幕を果たした。当時は髷が結えず荒々しい風貌から「20世紀最後の怪物」と呼ばれ、右肩のコブが印象的な力士だった。

平成12年(2000年)1月場所に新小結で12勝3敗、翌3月場所と5月場所に関脇で11勝をあげ、場所後に大関に昇進した。しかし、相撲にこれといって強みが無く勢いのみで勝ち続けた面があり、通常なら満場一致で賛成される理事会での大関昇進推挙に複数の反対者が出るなど、その行く末は当初から不安視されていた。大関在位中2桁勝利は一度もなく、また負傷もあって、大関で2場所連続負け越しにより平成13年(2001年)9月場所後に関脇へ陥落した。大関の在位数はわずか8場所で、短命大関としての順位は年6場所制以降大受(在位5場所)・増位山(7場所)に次いで3位である。さらに大関時代の通算敗北数が勝利数を上回るなどし、相撲雑誌の識者による座談会ではかつてのキャッチフレーズにかけて「21世紀最初のお荷物」などと言われる有様だった。

陥落後しばらくは平幕に低迷し、時折三役に上がっても勝ち越せない状況が続いた。平成15年(2003年)1月場所2日目の横綱貴乃花戦では二丁投げが決まり勝利したかに見えたが、同体取り直しにされてその後敗北という不運があった。また、最初の二丁投げを放った際、右足関節外果を剥離骨折し、それをおして出場した翌日の相撲で更に悪化させ4日目から休場に追い込まれた。一方、投げを喰らい背中から落ちた貴乃花も左肩鎖じん帯を損傷させ翌日から途中休場、5日目から再出場したが8日目後に引退を表明した。貴乃花とは11回対戦したものの、結局一度も勝利することは出来なかった。

平成16年(2004年)頃から三役でも勝ち越せるようになり、再度の大関挑戦を期待されていたところ、平成18年(2006年)3月場所、西小結で3大関を倒す活躍で10勝をあげて関脇復帰、大関再昇進への足がかりをつかんだ。3大関撃破はこれで3場所連続となり復調を印象付けたが、続く5月場所では序盤から快進撃を見せ4大関を撃破、千秋楽まで白鵬とともに優勝争いをリードした。優勝決定戦では本割で勝った白鵬に惜しくも敗れたものの、成績は14勝1敗と大関昇進の足固めの場所となった。取組後、雅山は白鵬の汗で突っ張りが滑ったことを敗因として挙げた。続く7月場所では、序盤こそ緊張から苦戦したが、終盤5連勝し10勝5敗とし、三役で3場所34勝という成績に審判部の判断が注目されたが、不運にも昇進は見送られた(大関に定員はないが、雅山を大関に復帰させると史上初の1場所6大関になることも不利に働いてしまった。綱取りがかかっていた白鵬が横綱に昇進できれば5大関におさまったのだがこちらも見送られた)。

再び大関挑戦の場所となった翌9月場所では、9日目までで既に5敗目を喫してしまい、結局場所後の二度目の大関昇進は果たせなかったが、白鵬に善戦するなど(本人曰く『今場所最高の相撲』)して9勝6敗とし、終盤にかけて気持ちを切らさなかったことは高く評価された。北の湖理事長は「大勝ちすれば、話題性の出てくる可能性はある。よくここまでもってきた」とコメント。大関復帰の可能性を残して11月場所に臨んだが、結局千秋楽にようやく勝ち越しの8勝7敗に終わった。さらに続く平成19年(2007年)1月場所では10敗を喫して負け越し、5場所連続で務めた関脇の座からも陥落した。平成18年5月場所から平成19年1月場所まで5場所連続で琴光喜とともに関脇を務めた。5場所連続同じ力士が関脇を務めたのは131年振りであった。もともと押し相撲主体ながら四つの巧さも持っており、大関陥落後暫くは四つ主体にすべきか迷った時期もあったが、その迷いを捨てて突き押しを徹底したことが、この頃の好調の原動力になっており、相撲の内容は大関昇進から在位時代より遙かに上回っているとされていた。

平幕に下がった翌平成19年3月場所2日目の朝青龍との取組では、横綱の足をぐらつかせるほどの激しい突っ張りの後、寄り倒して勝った。これが意外にも自身初の金星である(ただし、金星は前頭が横綱を倒した時にしかつかないので、横綱大関にスピード出世した力士の金星の数はえてして少ない。貴ノ浪も大関陥落後に初金星を記録している)。朝青龍は前日の初日に小結時天空に敗れており、これで2連敗スタートとなった。2日連続で大阪府立体育館内を大量の座布団が舞った。雅山は自ら「荒れる春場所」の演出者となったのである。その後も7日目まで4勝3敗とまずまずの土俵だったが、7日目に旭天鵬寄り切った際に、右の太ももを痛め、中日から休場してしまった。実質7点の負け越しである。翌5月場所は西前頭9枚目で迎え、本来の力が出せないながら、9勝6敗と3場所ぶりの勝ち越しを決めた。9月場所では西前頭5枚目で9勝6敗と勝ち越し、翌11月場所は西前頭筆頭に番付を上げ、久しぶりに上位との対戦圏内に戻ってきたが、14日目で負け越しが決まり三役復帰はならなかった。平成20年(2008年)11月場所では、初日から7連勝、9日目に勝ち越しを決め、中盤戦まで優勝争いに絡んだ。終盤失速したものの平成18年7月場所以来の2ケタの白星を挙げた。

現在大関獲りは完全に振り出しとなり、今後の奮起が望まれる処であるが、平成19年3月場所以降は平幕に甘んじたままで、横綱・大関と対戦する幕内上位の地位では勝ち越しが厳しい状況となった。平成21年(2009年)5月場所では、入幕以来初めての前頭2桁台(11枚目)まで下がってしまった。また平成21年11月場所では、大関陥落後に関脇以下の地位を務め続けて49場所となる。これは同年7月場所限りで引退した、同武蔵川部屋の出島の48場所を超えて史上最長記録となった。

[編集] 人物

  • 普段は明るい性格で、愉快なコメントを数多く残している。豊ノ島普天王と仲がいい。
  • 雅山の四股名は、武双山の父が考えたものだが、本人は「雅風」と考えていた。現在でも雅風に未練が残っているという。
  • 玉乃島とは子どもの頃からライバル関係である。また、若兎馬(現・押尾川親方)からもライバル視されていた。千代天山とライバル関係だった時期もあった。
  • 平成18年7月から、好評だった部屋の公式ブログから独立する形で自身のブログを立ち上げた。しかし過去に自身のブログでファンと口論になったことがある。
  • 同部屋の元横綱・武蔵丸を慕っており、武蔵丸が引退した時には武双山、武雄山らと共に大泣きしたという。武蔵丸の引退相撲での横綱土俵入りでは、露払いを務めた。
  • 平成20年9月に7歳年下の女性と結婚。平成21年6月に結婚披露宴を行った。
  • 生まれたばかりのとき体重が7キロもあったという。

[編集] 主な成績

平成21年(2009年)9月場所終了現在

  • 通算成績:522勝429敗53休(68場所)
  • 幕内成績:482勝425敗53休
  • 幕内在位:64場所
  • 大関在位:8場所
  • 三役在位:19場所(関脇14場所、小結5場所)
  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:2回(平成12年(2000年)1月場所、平成17年(2005年)11月場所)
    • 敢闘賞:4回(平成11年(1999年)3月場所、平成12年3月場所、平成12年5月場所、平成18年(2006年)5月場所)
    • 技能賞:1回(平成18年5月場所)
  • 金星:2個
    • 朝青龍2個(平成19年(2007年)3月場所、平成20年(2008年)9月場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(平成10年(1998年)11月場所、平成11年1月場所)
    • 幕下優勝:2回(平成10年7月場所、平成10年9月場所)

[編集] 幕内での場所別成績

  • 幕内通算成績(平成21年(2009年)9月場所終了現在)
482勝 - 425敗 - 53休場(64場所)
殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞1回、金星2個[1]
雅山哲士
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1998年
(平成10年)
x x x 幕下付出 #60
7–0
 
西 幕下 #6
7–0
 
西 十両 #11
12–3
 
1999年
(平成11年)
西 十両 #1
14–1
 
東 前頭 #7
9–6
西 前頭 #2
6–9
 
東 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #5
10–5
 
西 前頭 #1
8–7
 
2000年
(平成12年)
西 小結
12–3
西 関脇
11–4
東 関脇
11–4
西 大関
6–9
 
西 大関 #2
8–7[2]
 
西 大関 #2
9–6
 
2001年
(平成13年)
西 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
7–8
 
西 大関 #2
9–6[2]
 
東 大関 #2
7–8
 
西 大関 #2
3–7–5[2][3]
 
休場[4]
2002年
(平成14年)
休場[5] 東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #3
10–5
 
東 小結
6–9
 
東 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
8–7
 
2003年
(平成15年)
西 前頭 #1
1–3–11[6]
 
西 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #5
10–5
 
東 前頭 #1
10–5
 
西 関脇
4–11
 
東 前頭 #4
6–9
 
2004年
(平成16年)
西 前頭 #7
11–4
 
東 前頭 #1
8–7
 
東 小結
3–12
 
東 前頭 #7
12–3
 
西 関脇
9–6
 
西 関脇
9–6
 
2005年
(平成17年)
西 関脇
9–6
 
東 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
8–7
 
西 小結
7–8
 
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #4
10–5
2006年
(平成18年)
東 前頭 #1
8–7
 
西 小結
10–5
 
西 関脇
14–1[7]
東 関脇
10–5
 
東 関脇
9–6
 
東 関脇
8–7
 
2007年
(平成19年)
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
4–4–7[8]
西 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #5
7–8
 
西 前頭 #5
9–6
 
西 前頭 #1
7–8
 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #5
9–6
 
西 前頭 #1
4–11
東 前頭 #7
10–5
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #2
6–9
 
東 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #4
8–7
 
西 前頭 #1
4–11
 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^朝青龍2個
  2. ^ 角番(全3回)
  3. ^ 左足関節及び左足根骨脱臼により途中休場
  4. ^ 公傷制度適用
  5. ^ 右肩インピンジメント症候群及びSLAP症候群
  6. ^ 右足関節外果剥離骨折により途中休場
  7. ^ 白鵬と優勝決定戦
  8. ^ 右大腿四頭筋挫傷により途中休場

[編集] 改名歴

  • 竹内 雅人(たけうち まさと)平成10年(1998年)7月場所-平成10年(1998年)9月場所
  • 雅山 哲士(みやびやま てつし)平成10年(1998年)11月場所-

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月30日 (金) 05:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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