青山博一
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| 青山博一 | |
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![]() 2009年日本GP表彰台にて |
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| 国籍 | |
| 生年月日 | 1981年10月25日(28歳) |
| 出身地 | 千葉県 市原市 |
| ウェブサイト | hiro-aoyama.com |
| ロードレース世界選手権での記録 - 250ccクラスに参戦 - |
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| 現在のチーム | チーム・スコット・ホンダ |
| ゼッケン | 4 |
| チャンピオン | 250cc - 1 (2009年) |
| レース数 | 104 |
| 優勝回数 | 9 |
| 表彰台回数 | 27 |
| PP回数 | 8 |
| FL回数 | 11 |
| 通算獲得ポイント | 1112 |
| 2009年の成績 | 1位 (261ポイント) |
青山 博一(あおやま ひろし、1981年10月25日 - )は、千葉県市原市出身のオートバイレーサー。
2003年全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン、2009年ロードレース世界選手権250ccクラスチャンピオン。
弟は同じくロードレースライダーの青山周平。
目次 |
[編集] 略歴
5歳でポケバイに乗り始め、14歳でミニバイクレースを始める。15歳で桶川塾入学。
1998年にロードレースデビューし、筑波選手権参戦。1999年にはハルクプロより全日本ロードレース選手権GP125にデビューし表彰台2回獲得。2000年よりGP250に転向し、3勝で年間ランキング2位でルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得。2002年には2勝で二度目のランキング2位。2003年は全6戦中5回の表彰台と安定したリザルトで初タイトルを獲得した。
2004年、ホンダ・レーシングスカラシップ第1期生に選ばれた青山は、アルベルト・プーチが率いるテレフォニカ・モビスター・ホンダチームから、ダニ・ペドロサのチームメイトとしてロードレース世界選手権(250ccクラス)参戦を開始。翌年も同体制で参戦し、ツインリンクもてぎで行われた日本グランプリで同選手権初優勝を遂げた。
スカラシップ期間の2年間を終えて、2006年からはKTMワークス・チームに移籍。2008年まで所属するが、KTMが250ccクラスからの撤退を決定したことから再び移籍を強いられることになる。
2009年は高橋裕紀の後継としてチーム・スコットに所属(マシンはホンダ・RS250RW)。前年の不振や、マシン開発が2007年を最後に終了している[1]ということもあって、周囲も、そして青山自身も大きな期待はできない状況であった。
しかし開幕戦の予選でアルバロ・バウティスタと激しいポールポジション争いを繰り広げて予選2位、決勝でも激しい3位争いを繰り広げて4位。続く第2戦日本GPも予選2位、決勝もバウティスタと激しい争いを繰り広げて2位に入る。そして迎えた第3戦スペインGPでは、他メーカーのマシン開発が進むヨーロッパラウンドに突入したことから苦戦が予想され、予選では6位に終わったが、決勝前のサイティングラップでマシンの異変に気づき決勝直前にマシンを変える。決勝では4台による50回以上のトップ交代劇があったが、最後にはバウティスタとの一騎打ちとなり最終ラップの最終コーナーでバウティスタを下し2年振りの優勝を飾るとともにポイントリーダーに躍り出た。
その後のフランス・イタリアではウエットレースでスペアマシンがない状況だったため8位、6位に終わるが、久しぶりにドライコンディションとなった第6戦カタルニアGPでは途中マシンがスローダウンしたものの2位フィニッシュ、そして第7戦ダッチTTでは最終ラップにバウティスタと接触するものの何とかトップでチェッカーを受け2勝目。その後も第10戦イギリスGPで1周もトップを譲らず3勝目を挙げるなどしてポイントリーダーの座をキープし続け、第16戦マレーシアGPを含むシーズン4勝と全レースでシングルリザルトを記録するという好成績を残し、この年を最後に廃止される250ccクラスで年間チャンピオンを獲得した[2][3]。なおMotoGP・250ccクラスのシリーズチャンピオンを日本人が獲得したのは2001年の加藤大治郎以来8年ぶり。
2010年は最高峰のMotoGPクラスへステップアップ。チームは「パドック・グランプリ・チーム・マネージメント」で、マシンはホンダ・RC212Vを使用する。メインスポンサーにはオーストリアのオンラインカジノ会社である「Interwetten」が付くことも発表されている[4]。
現在もプーチ宅にほど近いアパートメントを拠点に、プーチのトレーニング指導を受けながらレース活動を行っている。
[編集] 戦績
- 1987年 - ポケバイを始める(5歳)
- 1995年 - ミニバイクレースを始める(14歳)
- 1996年 - ミニバイクレース 関東ミニ選手権チャンピオン
- 1997年 - ミニバイクレース 関東ミニ選手権チャンピオン
- 1998年 - ロードレースデビュー(17歳)
- 筑波選手権GP125ランキング2位
- 筑波選手権SP250ランキング7位
- 1999年 - 全日本ロードレース選手権GP125ランキング11位(カストロール・チームハルクプロ/RS125R)
- 2000年 - 全日本ロードレース選手権GP250ランキング2位(3勝:もてぎ、鈴鹿、TI/チームハルクプロ/RS250R)
- ロードレース世界選手権250ccクラス 日本グランプリ(もてぎ)8位
- 2001年 - 全日本ロードレース選手権GP250ランキング8位
- ロードレース世界選手権250ccクラス 日本グランプリ(鈴鹿)13位、パシフィックグランプリ(もてぎ)21位(チームハルクプロ/RS250R)
- ロードレース世界選手権250ccクラス 日本グランプリ(鈴鹿)12位、パシフィックグランプリ(もてぎ)11位
- 2003年 - 全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン(1勝:SUGO/チームハルクプロ/RS250R)
- ロードレース世界選手権日本グランプリ(鈴鹿)2位、パシフィックグランプリ(もてぎ)5位
- 2004年 - ロードレース世界選手権250ccクラス ランキング6位(テレフォニカ・モビスター・ホンダ250/RS250RW)
- 2005年 - ロードレース世界選手権250ccクラス ランキング4位・1勝〔日本〕(テレフォニカ・モビスター・ホンダ250/RS250RW)
- 2006年 - ロードレース世界選手権250ccクラス ランキング4位・2勝〔トルコ、日本〕(レッドブル・KTM・GP250)
- 2007年 - ロードレース世界選手権250ccクラス ランキング6位・2勝〔ドイツ、マレーシア〕(レッドブル・KTM・GP250)
- 2008年 - ロードレース世界選手権250ccクラス ランキング7位(レッドブル・KTM・GP250)
- 2009年 - ロードレース世界選手権250ccクラス チャンピオン・4勝〔スペイン、オランダ、イギリス、マレーシア〕(スコット・レーシング・ホンダ)
[編集] エピソード
2009年11月には、メインスポンサーが同じ「Interwetten」(スペイン語では「Interapuestas」)という縁から、リーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールの試合を表敬訪問し、同チーム所属の中村俊輔と対面を果たした。青山は俊輔からユニフォームを受け取る代わりにヘルメットを贈ったが、エスパニョールの他の選手が俊輔に「青山のサインをもらってくれ」と頼むシーンもあり、俊輔もその人気に驚いていたという[5][6]。
[編集] 脚註
- ^ 『最後の王者を目指して』青山博一の挑戦 ~前編~
- ^ 青山博一、悲願のタイトル奪取(Sunday, 08 November 2009) - motogp.com official website
- ^ 青山博一、MotoGP 250ccクラスのチャンピオン獲得!(2009年11月8日) - F1-Gate.com
- ^ Interwetten enters MotoGP with team title sponsorship - racecar.com・2009年11月11日
- ^ 青山博一、中村俊輔と初対面 - motogp.com・2009年11月12日
- ^ 東京中日スポーツ・2009年11月13日付 23面
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月17日 (火) 07:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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