青木宏之 (政治家)
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青木 宏之(あおき ひろゆき、1945年(昭和20年)1月20日 - 2009年(平成21年)9月20日)は、日本の政治家である。衆議院議員(2期)を務めた。
[編集] 経歴
最終学歴は1967年大阪大学法学部卒業。春日一幸秘書経て、1979年から民社党公認で愛知県議会初当選し4期14年、1993年新生党公認で第40回衆議院議員総選挙出馬し民社党を除名されたが初当選(同区で春日事務所時代の同僚で同じく民社党を除名された河村たかしも初当選)、1994年新進党結党参加。1996年小選挙区勝利で再選(同区の新人古川元久は比例復活)。その後新進党分党で自由党、保守党の結成に参加したが2000年第42回衆議院議員総選挙で古川に敗れ落選(保守党の小選挙区候補全員が重複立候補していなかった)。2009年9月20日、肺アスペルギルス症のため死去。64歳没。正五位旭日中綬章受章。
[編集] 拉致事件で問題発言
青木は1999年11月の「村山訪朝団」に加わり北朝鮮を訪問したが、帰国後の12月3日夜、CS放送日本テレビ・ノンストップ・ニュース(NNN24)内の番組「ディリー・プラネット〜金曜発言中〜」に民主党衆議院議員伊藤英成(村山訪朝団に参加)、静岡県立大学教授伊豆見元とともに出演し、日朝交渉の内容、北朝鮮による日本人拉致問題と今後の見通しなどについて語った。この中で青木は「(食糧支援は)するのが当たり前なんです」「その時に助けるのが人道問題、食糧問題」「拉致ではないですよ行方不明」「(拉致は)日本が勝手に言っていることであってね。じゃあ、証拠知ってるの?」「じゃあ、拉致したという証拠知ってんの」「(拉致の)疑いですよ」等の発言を行った。これらの発言は司会者とのやり取りの中で青木が激高し、暴言を繰り返したもので、全体としてはやや支離滅裂な内容であったが、いずれも北朝鮮側に立ち、拉致疑惑を全面否定する北朝鮮側の主張を代弁するかの如きものであった。青木は旧拉致議連の主要メンバーであり、拉致被害者家族とも直接接していたことから、青木が態度を一変させこのような発言を行ったことは「家族会」「救う会」に大きな衝撃を与え、直ちに厳しい批判に晒された。後日青木は「TV番組に於ける発言について」と題された一文を発表し、「拉致問題は、「容疑濃厚」として政府が発表しているが完全に「事実」とされている訳ではないということを指摘しただけである。もし「事実」として国際的にも認知されているとするならば、日本の主権にかかわる問題であり、日本政府としては、国連機関や米国などに対し徹底的に北朝鮮を糾弾すべく強く働きかけるべきである」「食糧支援の問題は、人道問題として国際的通念たることを言った」「愛国心に於いては、人後に落ちぬと自負している」「拉致疑惑の解決も誰よりも願っている者です」「私の「発言」について、全くデタラメなデマが流され、大変に迷惑している。一部取り様によってはと思われる箇所があることは認めるが、真意を確認して欲しいものである。真の愛国者と自負する私に対して売国奴呼ばわりすることは許せない、真実と真意を確認されたい」等と釈明したが、「家族会」、「救う会」、他の拉致議連参加議員の信用を失い、更に青木が「救う会」などからの抗議に対し頑なな態度を取り続けたことから、その後の活動への参加を拒否された。青木は最終的には謝罪したものの以後この問題に関わることができなくなった。
最終更新 2009年11月14日 (土) 12:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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