青木高広
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| 広島東洋カープ #47 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岐阜県岐阜市 |
| 生年月日 | 1981年11月26日(28歳) |
| 身長 体重 |
187cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2007年3月31日 |
| 年俸 | 1850万円(2010年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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青木 高広(あおき たかひろ、1981年11月26日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。岐阜県岐阜市出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
小学3年から野球を始める。
県立岐阜商では第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦は智弁学園高戦(中村真人がいた)で登板したが、打者3人に3連打浴び、降板。チームは惜敗した。
愛知大では4年春にリーグ優勝、全日本大学選手権は2回戦敗退。
入社した日産自動車では入社した04年から都市対抗に3年連続出場。 2005年・2006年シーズンと日産の左のエースとして活躍、都市対抗野球で2年連続決勝戦進出の原動力となった。06年は優秀選手賞を獲得。
2006年11月21日の大学生・社会人ドラフトで広島東洋カープより4巡目指名を受けた。11月24日に、推定契約金6000万、年俸1300万で仮契約。会見の席上「開幕から1軍に定着したい。先発なら2ケタ勝利、リリーフなら70試合以上登板」とコメント。新人入団会見の席では、同じ背番号47をつける工藤公康と杉内俊哉の両左腕の名を挙げ、「47といったらカープの青木と言われる投手になりたい」と述べている。
幼少時代は中日ファンだったが、実家の部屋には「広島の選手が好きだった」ことで母の親戚を通じて入手した前田智徳、江藤智、川口和久などのサインが飾られている。他にも現役時代のマーティ・ブラウンのサインもあり、何かと広島と縁がある。
[編集] プロ入り後
[編集] 2007年
オープン戦からの好投で開幕ローテーションを勝ち取ったが、6~7イニングを1~2失点と好投しても勝てない試合が続いた。8試合目の5月16日、米子市民球場での対阪神戦で、5回1/3を無失点に抑えてプロ初勝利をあげた。シーズン中盤以降には中継ぎでも登板している。勝敗数は大きく負け越しながらも、シーズン終盤にも好投を見せ、最終的に新人で5勝を挙げた。また、この年の8月29日、阪神甲子園球場での対阪神戦で、投手としては珍しいプロ入り初盗塁を記録している。
シーズン当初は好投しても援護点に恵まれず、リリーフ投手が青木の勝ち投手の権利を消す試合が目立った。勝ち投手の権利を、後続投手が消した回数は両リーグ最多の5試合であった。前半戦ではクオリティ・スタートを10回記録したが、その10試合で1度も勝利投手になれなかった。
[編集] 2008年
黒田博樹の移籍により先発ローテーション投手として期待されていたが、春先から制球を乱して打ち込まれ、4月・5月の短期間に2度の二軍降格。その後も一軍と二軍の行ったり来たりを繰り返し、起用法も敗戦処理のリリーフや谷間の先発が中心になる。最終的に、前年の29試合とほぼ変わらない24試合に登板したものの、投球回数は半分以下に減り、0勝3敗と未勝利に終わった。
[編集] 2009年
前年同様敗戦処理のリリーフや谷間の先発での起用が中心だったが、前年程不調で一軍と二軍を行き来することは無かった。7月5日の対横浜戦で先発し、約2年ぶりの勝利を挙げた。
[編集] プレースタイル
長身の変則フォームから繰り出す緩急自在の投球が持ち味。持ち球はMAX144km/hのストレート(通常は130km/h台)にスライダー・カーブ・チェンジアップ・シュート。特にカーブはキレがあり、変化も大きくスピードも100km/hに満たない時がある。
投球の際、腕を後ろに伸ばしてから投げる従来の投球フォームとは大きく異なり、腕を畳んだ状態で小さくテイクバックしてから投げるフォームである[1]。この投球フォームからオリックスや阪神で活躍した星野伸之投手を思い起こす評論家やファンは多い。ピッチングスタイルや変化球のレパートリーも似通っている。このフォームから、「ペローン」という本人が希望した愛称で呼ばれることがある。
独特のフォームは社会人時代に大学4年の頃からフォームを崩していた青木に日産の久保監督が「捕手の(送球の)ように後ろを省いてみたら」とのヒントから得たもの[1]。ランナーの有無に関係無くセットポジションからの投球なのは、本人曰く「社会人時代に振りかぶった場合とセットの場合で足を上げた時にズレが生じることに気付いたため」である。
プロ入り当初はオーバースローに近い投球フォームだったが、2年目半ばにフォームを改造。一度上半身を沈ませる動作が加わったことで完全にスリー・クォーターのフォームになっている。
基本的にボールが軽く、勝負カウントで甘いコースにボールが集まりやすいせいか、与四死球が少ないながらも、被本塁打が非常に多い。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 広島 | 29 | 24 | 0 | 0 | 0 | 5 | 11 | 0 | 0 | .313 | 549 | 128.1 | 144 | 21 | 28 | 5 | 3 | 89 | 2 | 1 | 70 | 68 | 4.77 | 1.34 |
| 2008 | 24 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | .000 | 242 | 55.1 | 69 | 8 | 12 | 2 | 1 | 28 | 0 | 1 | 32 | 29 | 4.72 | 1.46 | |
| 2009 | 29 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 1 | .400 | 307 | 74.0 | 76 | 10 | 16 | 2 | 2 | 50 | 0 | 0 | 40 | 39 | 4.74 | 1.24 | |
| 通算:3年 | 82 | 41 | 0 | 0 | 0 | 7 | 17 | 0 | 2 | .292 | 1098 | 257.2 | 289 | 39 | 56 | 9 | 6 | 167 | 2 | 2 | 142 | 136 | 4.76 | 1.34 | |
- 2009年度シーズン終了時
[編集] 背番号
- 47(2007年 - )
[編集] 個人記録
- 初登板・初先発:2007年3月31日、対阪神タイガース2回戦(京セラドーム大阪)、6回2失点で勝ち負けつかず
- 初奪三振:同上、2回裏に関本健太郎から
- 初勝利・初先発勝利:2007年5月16日、対阪神タイガース10回戦(米子市民球場)、5 1/3回無失点
- 初ホールド:2008年9月6日、対阪神タイガース19回戦(広島市民球場)
[編集] エピソード
- 2007年オフにローカル局広島エフエム放送の番組DO THE CARPにて中川真由美アナウンサーと番組を進行するDJのひとりを努める。その際のDJ名はリスナー案から「DJタカ」を選んだ。要因はカッコイイから。ペローンのニックネームの前は青鉛筆などと呼ばれていたらしく、このDJ名は気に入っているらしい。
- オフのゴルフが散々だったらしく、上記番組内で同じくDJで日産自動車時代からの先輩でもある梵英心に下手と言われ、本人も「センスないわー」とのコメントを残した。
- 岐阜県立岐阜商業高校の野球部の2学年先輩は後に広島東洋カープでもバッテリーを組むことになる石原慶幸がいる[1]。高校時代の石原については「雲の上の存在でした」と語っている。
- ちなみに、出場した甲子園には同年に広島に指名された上野弘文(樟南→トヨタ)、チームメイトでプロ入り年数では先輩にあたる末永真史(佐賀東→広島)、比嘉寿光(沖縄尚学→早大)が出場していた。
[編集] 脚注
- ^ い ろ は ALL-IN ルーキー素描
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年12月1日 (火) 10:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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