青森県

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青森県
あおもりけん
地方 東北地方
団体コード 02000-1
ISO 3166-2:JP JP-02
面積 9,644.21km²
総人口 1,373,132
推計人口、2010年6月1日)
人口密度 142人/km²
隣接都道府県 北海道秋田県岩手県
県の木 ヒバ
県の花 りんごの花
県の鳥 ハクチョウ
他のシンボル 県の魚 : ひらめ
県民の歌 : 青い森のメッセージ
知事 三村申吾
青森県庁
所在地 〒030-8570  青森県
青森市長島一丁目1番1号
青森県庁
外部リンク 青森県庁
青森県の位置
特記事項 :

青森県行政区画図

― 市 / ― 町・村
市町村境界図

青森県旗

青森県旗(中央は県章)
ウィキポータル 日本の都道府県/青森県
Template (ノート 解説) 都道府県ポータル

青森県 (あおもりけん)は、日本本州最北端に位置する地方公共団体である。県庁所在地青森市。都道府県人口は全国28位、面積は全国8位である。令制国の陸奥国で構成される。

目次

[編集] 概要

青森県は東北地方の北部に位置する本州最北端の県である。県庁所在地は青森市。県の人口は1,381,946人(2009年11月1日現在)で、総人口の約1%を占め、県面積は6094km²で、国土の約2.5%を占める。県内の市町村数は40で、うち市は10、郡は8、22の町と8の村がある。県人口の52%は青森市八戸市弘前市に居住する。

南に岩手県秋田県が隣接し、津軽海峡を渡った北に北海道が位置する。東に太平洋、西に日本海が面する。

世界遺産白神山地を有し、景勝地十和田湖をはじめ八甲田山岩木山、下北半島の仏ヵ浦などの自然環境が数多く残されている。青森県の中央部には奥羽山脈が縦走し、西側の津軽地方と東側が南部地方(三八地方・上北地方・下北地方)ではそれぞれ異なる歴史や気候、文化、風土をもつ。

青森県は全国有数の農業産出県であり、食料自給率はカロリーベースで118%である[1]。主要な出荷品目はりんごナガイモにんにくが全国一の生産量である。漁業においても全国有数の水揚高を誇る八戸港があり、サバイカが国内一の水揚げがあり全国に出荷されている。

県南部では国策で建設された八戸臨海工業地帯があり、火力発電所、製紙工場、電気機器工場、造船所及びその関連産業が立地する。

下北半島ではむつ小川原湖周辺に国家事業の原子力関連施設の建設が続いている。核燃料サイクル施設や国際原子力機関のITER関連施設、原子力発電所が立地し、県内主要企業の日本原燃が本社を置く。他に、県内には国内で最大級の風力発電施設がある。

県内には、陸・海・空の自衛隊基地が配備され、さらにアメリカ空軍が駐留するなど重要な防衛拠点が集中している。三沢市にアメリカ軍三沢基地及び航空自衛隊三沢基地。青森市、弘前市、八戸市に陸上自衛隊駐屯地。八戸市に海上自衛隊八戸航空基地があり、国土の安全を守っている。

交通インフラは整備されつつある。空港は青森空港三沢空港。主要鉄道は東北新幹線東北本線奥羽本線津軽海峡線青函トンネルにより北海道と結ぶ)。主要道路は東北縦貫自動車道弘前線及び八戸線(八戸自動車道)、国道国道4号国道7号が青森市を終点にして通る。また青森港、八戸港から北海道を結ぶカーフェリーや八戸港から国際コンテナ航路が就航している。

祭りはねぶたまつり弘前ねぷたまつり八戸三社大祭などが有名である。県内では縄文時代の遺跡が数多く出土し、三内丸山遺跡(青森市)や二ツ森貝塚、是川遺跡(八戸市)などで住居や土器及び土偶が発見されている。

他方で、国内の産業構造の転換に伴う製造業不振や公共事業の減少、中小零細企業が多く、非正規労働者の割合が高いといった構造上の問題で、県内の経済環境は非常に厳しい。県の失業率は5.9%(2008年)でワースト2位[2]。県民の平均年収は247.6万円(現金付与額)でワースト2位[3]。青森県の最低賃金は633円で全国値より低く(国内加重平均は713円)[4]、有効求人倍率も沖縄県と同様の国内最低水準の0.28倍である[5]。この影響で、県では2005年から2008年までに転入から転出を引いた年平均が-9,263人で転出超過状態にある[6]。中でも若年層の転出が多く、特に高校卒業後、大学進学者の64.8%、就職者の54.3%、その他短大生も含め約5600人の若者が県外へ流出している[7][8][9]また、本県の22歳の転出は2270人で高校卒業時の18歳に次いで多い[10]。2009年の20歳から24歳までの転出者7118人のうち60.7%は他県への就職を理由に、青森県を去っている[11]

また、県の財政面において独自財源が36.9%(1385億円)しかなく多くを依存財源に頼っており、先の地方交付税削減の影響で、より厳しい財政運営を強いられている[12]

[編集] 県名の由来

明治4年9月に当時弘前町に設置されていた県庁が青森町に移設された際に、県庁所在地の地名がそのまま採用されたものである。「青森」という地名は、江戸時代に弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めたときに名付けられたもので、現在の青森市本町付近に海上からの目印になる青い森があったことが由来とされている。

[編集] 地理

2001年5月30日地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影

県中央部の陸奥湾を東側の下北半島と西側の津軽半島が取り囲む県の形は、県章にそのまま図案化されており、その特徴的な形や本州最北端の位置関係から、全国的な認知度は高い。(財)総合初等教育研究所が平成19年に小学5~6年生を対象に実施した「社会についての基礎的知識の習得に関する調査」では、北海道・沖縄県と並び、9割以上の小学生が白地図上の青森県を認知している結果となっており、帝国書院が平成14年に小学生、平成16年に中学生を対象に実施した都道府県名認知度調査においても、北海道・沖縄県・青森県の3道県が他都道府県に比べ突出した認知度を有する結果となっている。

[編集] 半島

[編集] 山脈、山地

[編集] 山、丘

[編集] 平野、台地

[編集] 河川

[編集] 湖沼

[編集] 岬、崎

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[編集] 海峡、湾港、海岸

[編集] 自然公園

十和田八幡平国立公園
下北半島国定公園津軽国定公園
浅虫夏泊県立自然公園、大鰐碇ヶ関温泉郷県立自然公園、種差海岸階上岳県立自然公園、名久井岳県立自然公園、芦野池沼群県立自然公園、黒石温泉郷県立自然公園、岩木高原県立自然公園、赤石渓流暗門の滝県立自然公園

[編集] 気候

日本海側気候の地域(2:青色)
太平洋岸気候の地域(緑色)

*県内全域が豪雪地帯。その内一部地域は特別豪雪地帯。

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[編集] 歴史

[編集] 先史

今から約1万2000年前になるとものを貯蔵・煮沸する容器として土器が考案された。津軽半島の蟹田町(外ヶ浜町に合併)にある大平山元Ⅰ遺跡では無文土器や局部磨製石斧が出土し、生活の様相が大きく変わった。 縄文時代の遺跡として、三内丸山遺跡亀ヶ岡遺跡是川遺跡などが現在までに発見されている。これらの遺跡には豊富な土器・広い集落、また他地方のものと思われる遺物が発見され、文化・経済などの面で周辺にも強い影響を与えていたと考えられている。

また、弥生時代前期の水田跡遺跡として知られる砂沢遺跡や中期後半の垂柳遺跡が発掘されており、コメの栽培が行われたことが確認されている。ただし弥生時代中期に稲作は衰え、大幅な人口流出があったものと考えられている。

畿内でヤマト王権が成立し、東国を含め日本列島各地では在地勢力やヤマト王権の影響を受けた勢力よる古墳の築造が開始されるが、同地域では前期古墳以来の前方後円墳は見られず、律令制国家成立期の末期古墳が多数存在する。上北郡では阿光坊古墳群八戸市では鹿島沢古墳群丹後平古墳群・殿見古墳群、平川市では原古墳群などが存在する。出土した土師器須恵器の編年や周辺遺跡の出土品から、鹿島沢・阿光坊は七世紀後半、丹後平は8世紀初頭に中心をおく遺跡と推定されている。 この古墳は小規模な円形墳丘の中に石室を造ったり墓壙を掘っている。その周りを1メートル強の幅を持つ周溝で円形に取り囲んでいる。7世紀から9世紀にかけて東北北部や道央部にまで達している。[13]

[編集] 古代

考古学的知見から古代段階の東北地方北部の分化は北海道を中心とした続縄文分化圏にありつつも弥生文化古墳文化の影響も受けた南北交流により成立されたものであると考えられており、ヤマト政権が西日本を中心に本州東国までを地域を勢力下に治めた後も東北地方は政権の統治領域外にあり、『日本書紀』に拠れば東北地方の住民は辺境世界を意味する呼称である蝦夷(毛人、エミシ)の呼称で呼ばれていた。

『書紀』においては津軽地方のエミシが冠位を授けられた内容を記す斉明天皇元年(655年)条をはじめ津軽地方の地名が出現し、このころには中央政権に服従し朝貢関係を結び、中央政権に把握されていったものであると考えられている。『書記』に拠れば斉明天皇4年からは阿倍比羅夫による「北征」が行われているが、これは数か年に及ぶ大事業で、これにより北方アイヌは中央政権に服従し、交易のための航路が開発されていったものと考えられている。

律令国家の成立に伴い8-9世紀には東北経営もさらに進められ、坂上田村麻呂・陸奥出羽按察使征夷将軍文室綿麻呂による征討において、閉伊(へい)爾薩体(にさたい[14])。地方の蝦夷を平定したという。北奥地域は陸奥国に属さず、エミシは服属・抵抗を繰り返し次第に律令国家に組み込まれていったと考えられている。

平安時代の11世紀には、岩手県北上平野の地域に俘囚安倍氏 (奥州)の勢力が確立すると、岩手県北から下北半島にかけての糠部地方で同族と見られる安倍富忠が有力となった。前九年の役において富忠は源頼義に使わされた金為時の誘いを受け朝廷方についた。安倍頼時は富忠に対する説得のため、わずかな手勢を引き連れて北上したが、富忠は頼良を攻め、矢傷を負った頼良はこれが元で死亡した。頼良を滅ぼした富忠だったが、朝廷や源頼義からの恩賞をうけた記録は無く、以後の糠部安倍氏に関する史料はない。北上平野の安倍氏はついに滅ぼされたが、貞任の子の高星丸が叔父の安倍則任とともに糠部を経て津軽に落ち伸び、津軽安東氏(安倍姓)の祖となったとの伝承がある。

[編集] 中世

青森県域が明確に中央政権に組み込まれるようになったのは延久北奥蝦夷合戦以後であると考えられている。正確な時期は不明だが、延久北奥蝦夷合戦から奥州藤原氏時代までのいずれかの時期に中央と同様の郡郷制が敷かれ、糠部郡平賀郡鼻和郡田舎郡、西浜、外浜が設置されたのである。平安時代末期に奥州藤原氏を倒した源頼朝によって南部光行が糠部五郡を与えられたとの伝承があるが、史実かどうかは確認されていない。13世紀後半までに県域の全てが北条氏得宗領となり、その地頭代として津軽安藤氏が下北半島や津軽半島、また蝦夷島(北海道)の沿岸部を支配し、室町時代中期にかけて海上交易で栄えた。特に十三湖沿岸に築いた港(十三湊)には大きな町が形成され、現在でも中国や日本各地の陶磁器が出土している。

ところが津軽安藤氏は鎌倉時代末期に内訌を起こして(津軽大乱)勢力を後退、また、南北朝時代の到来に当たっては北朝側につき、現在の岩手県南部から青森県東部の内陸部に勢力を持ち始めた南部氏は南朝方についたために同氏と対立、抗争した。情勢は南部氏有利に進み、安藤氏は蝦夷が島に駆逐された。南部氏は海上交易にはあまり力を入れず、安藤氏によって繁栄した各港は衰退した。一方、室町時代半ばには津軽地方では浪岡を中心に北畠氏浪岡氏)が大きな勢力を誇った。

15世紀半ばに安藤氏を駆逐した南部氏は大きく勢力を拡大、16世紀半ばには津軽・下北・糠部地方一帯の広い領土を支配し、「三日月の丸くなるまで南部領(領土が広いために南部領を進んでいるうちに三日月が満月になってしまうということ)」と讃えられた。しかし、16世紀後半になると南部氏の一族の大浦為信(津軽為信)が他の南部氏の諸城を落城させ、津軽地方、外ヶ浜、糠部の一部を支配した。為信とその子信枚の二代をかけて弘前城の築城、同地への城下町の建設、羽州街道岩木川の整備などが行われた。大浦家の本性は源氏で対外的には南部と名乗っていたが為信の代に藤原氏に鞍替えし、苗字を津軽とした。一方東部は三戸南部氏の領地となった。

[編集] 近世

弘前城

近世には豊臣政権時代の奥州仕置を経て、北奥大名領が成立する。慶長5年、関ヶ原の戦いにおいて南部氏ら東北大名は会津上杉景勝包囲への動員を命じられており、津軽氏は東軍本隊と合流し美濃大垣城攻めなどに参加している。関ヶ原の後、東北では会津上杉氏の出羽米沢への転封をはじめ大規模な大小名の再配置が行われるが陸奥北部では南部・津軽領の支配に多くな変動はなく、陸奥国北部のうち太平洋側の東武が南部氏の盛岡藩領8万石(後に20万石に高直し)、日本海側の西部が津軽氏の弘前藩領4万5千石(後に10万石に高直し)となり、両大名領の藩境は津軽側の狩場沢、南部側の馬門に定められた。ほか、県南東端から岩手県北東部端にかけては盛岡藩と同じ南部氏一族が支配する八戸藩2万石があり、県中部には弘前藩の支藩として黒石藩1万石とその飛地があった。

県域は本州アイヌの居住地で、弘前藩領である陸奥湾沿いの夏泊半島や、盛岡藩領では津軽海峡に面した下北半島が主な居住地であり、アイヌ語地名も見られる。アイヌの居住地は領主側に把握され、アイヌは弘前・盛岡両藩主へお目見えし、産物を上納したという。アイヌの生業は畑作や漁業・廻船業のほか蝦夷地(北海道)の松前藩領との交易で、狩猟漁労を生業の中心とする蝦夷地のアイヌとは異なり、北奥地域の漁民と変わらないものであったと考えられている。江戸後期にはアイヌ居住地へ和人の進出が顕著になり同化が進んだ。

南部と津軽では気候風土も異なり、特に太平洋岸の南部地方では冷害・凶作が発生しやすく飢饉の際に大きな被害を受けたが、下北地方では餓死者がほとんどいなかったという。

戊辰戦争時、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していたが、途中で弘前藩は官軍に寝返った。戦後、盛岡藩は大幅に石高を減らされ、その跡に斗南藩が置かれ、もと会津藩の松平家が3万石で入った。同じ頃、盛岡新田藩ともよばれ、その領域が明確ではなかった七戸藩1万石の領域が確定した。

[編集] 青森県の誕生

明治4年7月14日(1871年8月29日:以後新暦で記載)に廃藩置県の詔が発せられ、現在の青森県域には、旧藩を引き継いだ弘前県(弘前藩)、黒石県(黒石藩)、斗南県(斗南藩)、七戸県(七戸藩)、八戸県(八戸藩)が成立したが、同年9月4日にはこれら5県と北海道渡島半島に成立していた館県(館藩)の6県が合併し、弘前県が成立している。この時点での県庁は弘前に置かれている。

しかし、翌日の9月5日に野田豁通(ひろみち)が初代県大参事に任命され、19日後の9月23日に県庁を弘前から青森に移転し、県名を青森県とすることが決定されている。県権令として菱田重禧が任命された。今日の県庁に当たる民事堂で県議会が開かれ、この本庁以外に、弘前・福山・田名部・八戸・七戸・五戸に支庁が置かれた。翌年の1872年(明治5年)には、戸籍編成のため県内各地は区・小区に分けられ、翌1873年(明治6年)には行政の単位として大区(区長)・小区(正副戸長)が設けられ、行政事務を行った。県内には大区が10置か、れそれぞれ大区会所が設置された。

6県の合併について、弘前県・黒石県は旧津軽氏領であり、七戸県・八戸県は旧南部氏領となっており、両氏は津軽氏の南部氏からの独立から始まり、弘前藩主暗殺未遂事件野辺地戦争など確執が続いていたが、廃藩置県後に全国で最も早く合併を果たしている。この合併を画策したのは、八戸県大参事の太田広城と斗南県小参事の広沢安任で、両人の連名で政府に対し5県合併案が8月13日建言されており、内務卿大久保利通をはじめ政府高官による事情聴取の結果、9月4日に館県も含めた6県の合併令達に至っている。この旧怨の関係を超えた合併に至った背景には、津軽と南部の確執とは無縁の斗南藩=旧会津藩の存在も少なからぬ影響を与えていると思われるが、そもそも両県とも穀倉地帯をなりうる平野部が少ない上にやませの常襲地帯で冷害が頻発しており、特に斗南県に至っては戊辰戦争後に発足したばかりで困窮の極みにあったことから、過去の因縁にとらわれている余裕がなかったというのが実情で、それに対し、弘前県は1県で他4県の石高合計の3倍以上(実高ベース)という財政力を有する八戸・斗南両県とは比べ物にならない大県で、その上弘前藩は戊辰戦争で新政府側に組みしていたこともあって、弘前県との合併により明治政府からの覚えも高く両県の救済に有利と考えたのではないかといわれている。この合併工作が、廃藩置県により成立した全国3府302県の統合・整理を目論んでいた政府との思惑と合致したものだったことから早々に実現されたものと考えられる。

また、県庁移転について、当時県内で突出した都市だった弘前から一港町に過ぎなかった青森に移転されたものであるが、野田が県大参事に任命された折、大蔵省に対し21項目に及ぶ伺をたてており、その1項目目にある県庁の位置についての意見が結果的に採用されたものである。その内容は、6県合併による県土は現在の青森県域に北海道渡島半島の一部と岩手県二戸地方が含まれたものであり弘前県庁では地理的位置が偏っていること、弘前県庁では旧藩の古い慣習にとらわれてしまうこと、青森の港湾の将来性が見込まれること、となっている。これは、野田が戊辰戦争時に当地に半年近く滞在しており地勢に明るかったことから、着任早々にもかかわらずこれだけの見解を持っていたと言われている。

なお、当事者であるはずの弘前において、6県合併や県庁移転について、特に関知していたような記録はなく、穏便に進められている。しかし、県庁についてはその後いくどか弘前移転に関する陳情がなされているものの、そのまま現在に至っている。

[編集] 近代以降の年表

[編集] 明治-昭和初期(戦前)

[編集] 戦後

  • 1945年9月 米第7艦隊、大湊に入港(8日)。米陸軍、旧日本海軍三沢飛行場を接収して三沢基地に。
  • 1952年1月 三沢空港が営業開始(1965年~1975年は運航休止し、八戸飛行場において代替運航)。
  • 1953年11月 櫛引八幡宮所有の鎧・兜2領が国宝に指定。
  • 1954年4月 青森発上野行き夜行列車、通称:集団就職列車が運行開始(1975年3月廃止)。
  • 1960年5月 チリ地震津波が来襲。県内で死者3名、負傷者3名、家屋全壊24棟、家屋半壊91棟。八戸市での浸水家屋3,000余棟。
  • 1961年3月 青函トンネル着工。
  • 1962年4月 藤崎町にあった農林水産省園芸試験場東北支場で育成された新種リンゴを「ふじ」として品種登録。
  • 1963年4月 むつ製鉄株式会社設立(国策会社)。
  • 1964年9月 津軽華子さんが常陸宮正仁親王と結婚。
  • 1965年4月 むつ製鉄事業化断念。
  • 1965年6月 青森空港営業開始。
  • 1965年 県内のリンゴ生産量572,100トン(歴代最高。その後は400,000トン台/年で推移)。
  • 1966年 八戸漁港の水揚量が日本一を記録(以降、3年連続日本一を記録)。
  • 1967年 科学技術庁、大湊港を原子力船母港に決定。
  • 1968年5月 十勝沖地震が発生。県内で、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、津波による建物浸水529棟。
  • 1971年4月 むつ小川原開発会社設立。
  • 1972年6月 むつ小川原開発第1次基本計画が策定。同年12月より用地買収開始。
  • 1973年 県内のホタテ水揚量のうち、初めて養殖ホタテが地まきホタテの水揚量を上回る(その後は養殖ホタテが主流)。
  • 1974年 県外への出稼労働者80,486人(歴代最高。その後は漸減)。
  • 1975年8月 岩木山蔵助沢で土石流が発生。岩木町(現:弘前市)百沢地区で死者22名、重軽傷者31名、全壊流出家屋17戸、半壊9戸。
  • 1979年9月 東北自動車道青森ICが開業(東北自動車道全線開通は1987年9月)。
  • 1980年 車力ミサイル基地発足。
  • 1980年5月 むつ小川原国家石油備蓄基地着工
  • 1983年5月 日本海中部地震が発生。県内で、死者17名、負傷者25名、建物全壊447棟、半壊865棟、津波による建物浸水62棟。
  • 1983年 県人口1,529,269人(歴代最高。その後は漸減)。
  • 1985年 核燃料サイクル施設、六ヶ所村に立地決定。
  • 1985年 米空軍三沢基地へのF-16戦闘機配置が開始。
  • 1985年3月 青函トンネル本坑貫通。
  • 1985年夏 冷夏、青森県の作況指数は47。
  • 1985年9月 むつ小川原国家石油備蓄基地完成
  • 1986年11月 八戸自動車道八戸ICが開業(東北自動車道との接続は1989年9月)。
  • 1987年7月 現在の青森空港が供用開始。
  • 1988年3月 青函トンネル営業開始。これにともない青函連絡船営業廃止。
  • 1988年 7月9日から9月18日まで青函トンネル開通記念博覧会が行われた。マスコットは「シャコちゃん」。エアドームの愛称は「夢来ちゃん」。
  • 1988年10月 ウラン濃縮工場着工
  • 1990年11月 低レベル放射性廃棄物埋設センター着工
  • 1991年9月 台風19号によるリンゴ落下(被害面積22,400ha)。最大瞬間風速は青森市で53.9m/s。
  • 1992年 原子力船むつ解体。
  • 1992年4月 三内丸山遺跡発掘調査開始。
  • 1992年3月 ウラン濃縮工場操業開始
  • 1992年5月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター着工
  • 1992年12月 低レベル放射性廃棄物埋設センター操業開始
  • 1993年4月 核燃料再処理工場着工
  • 1993年夏 冷夏、青森県の作況指数は28、特に太平洋側は皆無作。
  • 1993年12月 白神山地、ユネスコ世界遺産に登録。
  • 1994年8月 三内丸山遺跡の永久保存と活用が決定。
  • 1994年8月 八戸港に国際定期コンテナ航路(東南アジア航路)が開設。
  • 1994年12月 三陸はるか沖地震が発生。県内で、死者3名、負傷者783名、住家全壊72棟、半壊427棟。
  • 1995年4月 青森空港にソウル線とハバロフスク線が開設。
  • 1995年4月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター操業開始。
  • 1997年3月 三内丸山遺跡史跡に指定(2000年11月に特別史跡に指定)。
  • 1997年6月 是川遺跡 から出土した合掌土偶が重要文化財に指定(2009年7月に国宝に指定)。
  • 1997年10月 第1回北東北知事サミット、十和田湖で開催。
  • 2000年10月 第4回北海道・北東北知事サミット、黒石市内で開催。
  • 2000年11月 岩手・青森県警察合同捜査本部による青森・岩手県境の産業廃棄物不法投棄の強制捜査。
  • 2001年8月 弘前市で全国高等学校ファッションデザイン選手権大会(通称:ファッション甲子園)が開催(以後、毎年開催)。
  • 2001年10月 青森県住宅供給公社巨額横領事件が仙台国税局の税務調査において発覚。
  • 2002年12月 東北新幹線盛岡八戸間開業。
  • 2002年12月 同日、東北本線目時~八戸間を第三セクター青い森鉄道に移管。
  • 2003年2月 2003年アジア冬季競技大会開催。
  • 2005年11月 仏沼ラムサール条約に登録。
  • 2006年1月~2月 平成18年豪雪の被害を受ける。
  • 2007年9月中旬 スポレクあおもり開催。
  • 2008年12月 十和田湖湖面の青森・秋田県境が確定。青森県の県境が確定。
  • 2009年1月 県内の縄文遺跡が、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」としてユネスコ世界遺産の暫定一覧表に記載。

[編集] 人口

東北地方の人口の推移1920-2005 (国勢調査)
青森県の人口の推移及び将来予測1920-2035 (国勢調査,国立社会保障・人口問題研究所
青森県年齢3区分推移1920-2005及び将来予測2010-2035 (国勢調査,国立社会保障・人口問題研究所
青森県人口動態1975-2009

1920年(大正9年)東北地方では最も少ない75万人であったが、その後は増加傾向が続き、1940年(昭和15年)に100万人を超えた。1955年に秋田県山形県の人口を上回り、1965年に岩手県を超えて東北地方では宮城県福島県に次いで3番目の人口規模になった。

1983年(昭和58年)、青森県の人口は過去最高の152.9万人に達した。しかし出生数の低下と転出者の増加により1983年から人口減少が始まり、その後再び人口が増加に転じる事はなく、2000年(平成12年)に147万人、2005年(平成17年)に143万人に減少した。

2009年11月現在の県の推定人口は138万人で、ピーク時より15万人減少した。特に2000年以降は合計で9万人減少し、人口規模は1955年の水準にまで低下している。

国立社会保障・人口問題研究所によると2020年までに126万人、2035年までに105万人に減少すると予想されている[15]

[編集] 年齢3区分別人口(2009年)

  • 総数 1,382,517人
  • 年少人口(0歳〜14歳) 178,828人 12.9%
  • 労働人口(15歳〜64歳)852,035人 61.6%
  • 老年人口(65歳〜)351,374人 25.1%
従属人口指数(2009)[16]
  • 総数 62.2%
  • 年少人口21.0%
  • 老年人口41.2%
  • 老年化指数 196.5%
平均年齢(2009)
  • 平均年齢 46.5歳 (男性44.4歳 女性48.4歳)

[編集] 合計特殊出生率

  • 青森県全体 1.34
  • 全国平均 1.37(2008年)
青森県と全国の年齢別人口分布 青森県の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 青森県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年昭和55年) 1,523,907人
1985年昭和60年) 1,524,448人
1990年平成2年) 1,482,873人
1995年平成7年) 1,481,663人
2000年平成12年) 1,475,728人
2005年平成17年) 1,436,657人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 転入超過率

青森県の転入超過率は全国で最も低い水準である[17]

  • 2005年 -0.50%(全国46位)
  • 2006年 -0.66%(全国47位)
  • 2007年 -0.73%(全国47位)
  • 2008年 -0.67%(全国47位)

転入超過率とは「県内への転入者」と「県外への転出者」の比率。マイナスは転出超過を表す。

[編集] 県外移動後の住所地(2008年)

青森県転出者総数 29,494名[18]
  • 東京 5308名(18.0%)
  • 宮城 3539名(12.0%)
  • 神奈川 3273名(11.1%)
  • 埼玉 2271名(7.7%)
  • 北海道 2241名(7.6%)

[編集] 年齢別県外転出入の状況

年齢別県外転出入の状況 青森県2009年

青森県では、ほとんど全て年齢で転出超過になっている。特に若年層の人口流出が他の年齢層に比べ非常に顕著である。 右の図に示すように特に高校卒業の18歳、20歳、大学卒業後の22歳の転出が多く、転出超過が他の年齢層に比べ顕著である。青森県教育委員会の高校生を対象にした進路調査によると、大学進学者の64.8%、就職者の54.3%が県外へ転出する。また、本県の22歳の転出は2270人で高校卒業時に次いで多い。青森県全体の転入超過率においても全国の中で最低であり、すなわち全国一の転出超過県である。2005年から2008年までの転入から転出を引いた差は毎年平均で-9263人以上になる。

若年層に限ると、毎年3月から4月にかけて高校卒業と同時に就職、進学などで約5600人の若者が県外へ流出している。2009年の20歳から24歳までの転出者7118人のうち60.7%は他県への就職を理由に、青森県を去っている。他の年齢層は転勤の理由が一番多い。

[編集] 経済

青森県は農林水産業、いわゆる第一次産業の割合は全国でもトップクラスであり農業が非常に盛んな県である。その一方、製造などに関わる第二次産業は弱く、求人倍率や県民所得は低迷し、人口減少率は高い問題を抱えている。

県内総生産
青森県の県内総生産(名目)は4兆6238億8600万円で、全国第28位(平成18年度)。産業別生産額とその構成比は、第一次産業が2039億7900万円(4.2%)、第二次産業が1兆1308億4800万円(23.5%)、第三次産業が3兆4703億6100万円(72.2%)となっている。全国に比べ、農林水産業の比率が高く、製造業の比率が低い。
県民所得
県民所得は3兆4752億円。一人当たり県民所得は244万3000円で、全国第37位(平成18年度)。
就業者数
青森県労働状態(国勢調査)
就業者数は68万5401人(平成17年国勢調査)。産業別就業者数とその構成比は、第一次産業が9万5725人(14.0%)、第二次産業が14万6847人(21.4%)、第三次産業(分類不能を含む)が44万2829人(64.6%)となっている。第一次産業就業者比率は全国で最も高い。

[編集] 農業

青森県は国内でも有数の生産高を誇る農業生産地の一つである。 平成18年農林水産統計によると、農業産出額は2,885億円。食料自給率は118%(カロリーベース:概算値)であり、北海道や岩手県、秋田県、山形県などと共に、自給率100%を超える数少ない県の一つである。津軽平野、南部平野 と、山岳に富んだ地形であり、地域によって気候が大きく異なっているため、地域特性にあった農業が営まれている。 野菜生産額全体では、平成15年全国で14位。東北では10年連続第1位。

青森県はリンゴの生産地であり、日本産リンゴの約半数が青森県産である。フジりんごがとても有名。ふじは育成地である藤崎町(ふじさき)のふじを取って名付けられた。糖度は、14~16%であり、とても甘くなっている。保存期限がとても長く、室温では4か月冷蔵では7カ月もつ。リンゴ栽培は生産量日本一の弘前市を中心とする津軽地方で盛んだが、三戸郡上北郡を中心とした南部地方でも行われている。中国、台湾等に高級果物として輸出されている。
国産カシスの約9割が青森産である。
日本国内では唯一の産地である。

[編集] 林業

[編集] 水産業

  • 三方を海に囲まれて、真ん中に陸奥湾を抱え暖流寒流の4つが流れ込む青森県は水産業も盛んである。
  • 主要魚種は、イカ類ホタテヒラメカレイ類
  • 特に陸奥湾は、ホタテ、ナマコ、ヒラメ、トゲクリガニの漁場。
  • 津軽海峡で捕れるマグロは高級マグロとして首都圏に向け、出荷される。特に大間町産のものは「大間のマグロ」としてブランド化しつつある。
  • 八戸港は、日本でも1,2位の漁獲高を誇る。主な水揚げはイカ、サバ等。ちくわ、塩辛等水産加工業も盛ん。
  • しじみ十三湖小川原湖

[編集] 商工業

農業、水産業が盛んなため、その産物を利用した食品加工業が盛んである。

県南の八戸市は県内で一番工業が盛んであり、三菱製紙大平洋金属などが操業、八戸セメントでは同市内にある八戸鉱山から採掘した石灰石を利用したセメントを製造している。 他に、県内各所で精密機械関係も盛んになってきている。

  • テフコ青森 - 時計文字盤用電着時字

[編集] エネルギー産業

  • 水力発電:県内には総出力10,000kw以上の発電所が5箇所立地している。
    • 立石…1939年(昭和14年)5月運転開始、総出力10,500kw
    • 十和田…1943年(昭和18年)12月運転開始、総出力31,100kw
    • 大池第二…1956年(昭和31年)3月運転開始、総出力10,000kw
    • 岩木川第一…1960年(昭和35年)4月運転開始、総出力11,000kw
    • 浅瀬石川…1988年(昭和63年)6月運転開始、総出力17,100kw
  • 火力発電:県内では、八戸市に1箇所立地している。
    • 八戸…1958年(昭和33年)6月運転開始、総出力250,000kw
  • 風力発電:県内には2008年(平成20年)3月末現在で、10kw以上の出力を持つ風力発電設備が10町村に立地し、県全体で169基・総出力240,475kwとなっており、基数・総出力ともに北海道に次いで全国で2番目の風力発電県となっている。うち、総出力10,000kw以上となっている町村は以下のとおりである。
    • 東通村…1998年(平成10年)4月より順次運転開始、全72基、総出力104,550kw
    • 六ヶ所村…2003年(平成15年)1月より順次運転開始、全44基、総出力65,850kw
    • 野辺地町…1998年(平成10年)1月より順次運転開始、全27基、総出力50,800kw
    • 横浜町…2003年(平成15年)10月より順次運転開始、全6基、総出力10,500kw
  • 太陽光発電:東北電力で、同社の八戸火力発電所構内に1施設計画している。
    • 八戸…平成22年度着工、平成24年度運転開始、総出力約1,500kw(予定)
  • 原子力関連
    • 東通原子力発電所…東北電力と東京電力の2社による。2社の施設が全て完成すると、総出力5,255,000kwとなる予定。
      • 東北電力1号機…2005年(平成17年)12月運転開始、出力1,100,000kw
      • 東京電力1号機…2010年(平成22年)12月着工、2017年(平成29年)3月運転開始、出力1,385,000kw(予定)
      • 東北電力2号機、東京電力2号機の正確な着工時期は未定。
    • 大間原子力発電所…2008年(平成20年)5月着工、2014年(平成26年)11月運転開始、出力1,383,000kw(予定)
    • 核燃料サイクル施設…六ヶ所村に建設されている施設群の総称。
    • 使用済み核燃料中間貯蔵施設…むつ市に計画。2010年(平成22年)7月着工、2012年(平成24年)7月1棟目運転開始、貯蔵量約5,000トン(うち1棟目約3,000トン)(予定)
    • 原子力船むつ…当初の母港が大湊港(むつ市)。のち新母港として関根浜港(むつ市)を新設。
    • 国際熱核融合実験炉(ITER)…本体はフランス=カダラッシュに建設されるが、関連施設(幅広いアプローチ)が六ヶ所村に立地。
    • 原子力関連年表
      • 1967年9月 大湊港を原子力船の母港に決定。
      • 1969年4月 原子力船の船名を「むつ」に決定。
      • 1970年6月 東北電力及び東京電力の2社による東通村への原子力発電所立地を発表。
      • 1970年7月 「むつ」が大湊港に入港。入港時は原子炉は搭載されておらず、入港後大湊港内で艤装された。
      • 1974年8月 「むつ」が大湊港を出港。陸奥湾内での原子炉運転に対する湾内漁民の猛抗議(約100隻の漁船による「むつ」出港阻止の実力行使)のため、25日出港が26日未明にずれ込む。
      • 1982年8月 大湊港に替わり、むつ市関根浜地区に「むつ」の新定係港(関根浜港)建設が決定。
      • 1983年2月 関根浜港着工
      • 1985年4月 核燃料サイクル施設、六ヶ所村に立地決定。
      • 1985年5月 大間町への新型転換炉実証炉建設(大間原子力発電所の立地)決定。
      • 1988年1月 関根浜港の係留施設が完成。「むつ」入港。
      • 1988年10月 核燃料サイクル施設のうち、ウラン濃縮工場着工
      • 1990年11月 核燃料サイクル施設のうち、低レベル放射性廃棄物埋設センター着工
      • 1992年3月 ウラン濃縮工場操業開始
      • 1992年5月 核燃料サイクル施設のうち、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター着工
      • 1992年9月 「むつ」解役工事着手。(原子炉を撤去し、改装のうえ、1996年(平成8年)8月海洋地球研究船みらいとして進水)
      • 1992年12月 低レベル放射性廃棄物埋設センター操業開始
      • 1993年4月 核燃料サイクル施設のうち、核燃料再処理工場着工
      • 1995年4月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター操業開始。
      • 1995年8月 大間原子力発電所について、新型転換炉実証炉からMOX燃料による改良型沸騰水型軽水炉に転換。
      • 1998年12月 東通原子力発電所(東北電力1号機)着工
      • 2002年6月 ITER政府間協議において、建設予定地として六ヶ所村を提案。
      • 2005年6月 ITER閣僚級会合において、ITER本体の建設地がフランス国内に決定。六ヶ所村は落選。
      • 2005年10月 使用済み核燃料中間貯蔵施設、むつ市に立地決定。
      • 2005年12月 東通原子力発電所(東北電力1号機)運転開始。
      • 2006年11月 ITERプロジェクトの「幅広いアプローチ(BA)」施設が六ヶ所村に立地決定。
      • 2007年7月 BA施設である国際核融合エネルギー研究センターが開所。
      • 2008年5月 大間原子力発電所着工。
      • 2008年5月 国際核融合エネルギー研究センター研究棟着工。
      • 2009年4月 国際核融合エネルギー研究センター管理研究棟完成。

[編集] 青森県内に本社を置く企業

上場企業のみ記載した。

[編集] 生活文化

  • 芥川賞第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」
  • 直木賞第23回 今日出海「天皇の帽子」
  • 直木賞第35回 今 官一「壁の花」
  • 直木賞第36回 今 東光「お吟さま」
  • 直木賞第61回 佐藤愛子「戦いすんで日が暮れて」
  • 直木賞第69回 長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」

[編集] スポーツ

[編集] 交通

[編集] 空港

[編集] 鉄道

東日本旅客鉄道東北新幹線 八戸駅
弘南鉄道・東日本旅客鉄道 弘前駅
津軽鉄道線

[編集] 海路

2008年11月を以って青函航路、青蘭航路(青森港-室蘭港)、大函航路でフェリーを運航していた東日本フェリーがフェリー事業から撤退。青蘭航路は廃止され、12月から青函航路と大函航路はグループ会社の津軽海峡フェリーが運航を引き継いだ。

[編集] 道路

[編集] 高速自動車国道

[編集] 有料道路

[編集] 一般国道

[編集] 県道・主要地方道

青森県の県道一覧」を参照

[編集] 路線バス

[編集] 行政

[編集] 知事

歴代知事については青森県知事一覧を参照

[編集] 財政

平成19年度
  • 財政力指数 0.31
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位
平成18年度
  • 財政力指数 0.29
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位
平成17年度
  • 財政力指数 0.27
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位
平成16年度
  • 財政力指数 0.26
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位

[編集] 姉妹地域・提携地域

[編集] 国外

[編集] 地域

[編集] 自治体

以下の10市8郡22町8村がある。町の読み方はおいらせ町、南部町、階上町が「ちょう」、その他は「まち」である。村は全て「むら」と読む。

市部全国地方公共団体コード順)

郡部

[編集] 都市圏

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年
青森都市圏
33万6677人
青森都市圏
33万2838人
青森都市圏
33万7827人
青森都市圏
34万0558人
八戸都市圏
33万1608人
八戸都市圏
33万2275人
八戸都市圏
33万3129人
八戸都市圏
33万2242人
弘前都市圏
27万8234人
弘前都市圏
27万2460人
弘前都市圏
32万9279人
弘前都市圏
32万6102人
十和田都市圏
7万7582人
十和田都市圏
9万0255人
五所川原都市圏
10万7301人
五所川原都市圏
11万1232人
むつ都市圏
6万9913人
むつ都市圏
6万7326人
十和田都市圏
9万0696人
十和田都市圏
9万0715人
五所川原都市圏
5万5464人
三沢都市圏
6万1178人
むつ都市圏
7万2995人
むつ都市圏
7万4997人
黒石都市圏
4万0755人
五所川原都市圏
5万2792人
三沢都市圏
6万2783人
三沢都市圏
6万5470人
三沢都市圏
3万9962人
黒石都市圏
3万9213人
黒石都市圏は弘前都市圏に包含
野辺地都市圏
1万8419人
野辺地は中心性を失って都市圏を形成しなくなる

[編集] 地域区分

地域呼称
西部・日本海側の津軽地方と東部・太平洋側の南部地方の二つの地域に大別される[19]ほか、以下のような地域呼称がある。
地域区分図 地域呼称
東津軽郡 青森市 東青 津軽
中津軽郡 弘前市 中弘 中弘南黒
(中南)
南津軽郡 黒石市
平川市
南黒
西津軽郡 つがる市 西北五
(西北)
北津軽郡 五所川原市 北五
下北郡 むつ市 下北 二北 南部
上北郡 十和田市
三沢市
上北
(上十三)
三八上北
三戸郡 八戸市 三八
青森県庁による区分
青森県庁では県内を六つの地域に区分し、各地域に総合的な出先機関である地域県民局を設置している[20][21]。面積は平成20年3月末現在[22]、人口は2010年6月1日現在[1]
名称 位置 所管区域 管内面積 管内人口
東青地域県民局 青森市 青森市、東津軽郡 1477.28km² 326,530人
中南地域県民局 弘前市 弘前市、黒石市、平川市
中津軽郡、南津軽郡
1555.92km² 289,051人
三八地域県民局 八戸市 八戸市、三戸郡 1274.57km² 310,849人
西北地域県民局 五所川原市 五所川原市、つがる市
西津軽郡、北津軽郡
1794.79km² 159,708人
上北地域県民局 十和田市 十和田市、三沢市
上北郡
2089.62km² 208,244人
下北地域県民局 むつ市 むつ市、下北郡 1414.87km² 78,947人

[編集] 生活文化

[編集] 食べ物

  • 海産物 - 七子八珍
  • 食材 - 津軽味噌-生姜味噌おでん
  • 津軽地方には砂糖を入れた甘口の赤飯があり、コンビニなどで買うこともできる。また、などを入れた甘口の茶碗蒸しも食べられていて、塩味の赤飯や茶碗蒸しを食べ慣れている県民は多くなく、ほとんどの地域で甘口の物を食べている。

[編集] 郷土料理

詳細は「日本の郷土料理一覧#青森県」を参照

[編集] 有形文化財建造物

特別史跡
重要伝統的建造物群保存地区

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

弘前城(重要文化財現存天守

[編集] 祭事・催事

名所・旧跡等。マウスを点に合わせてください

県庁所在地、温泉、名所旧跡等、山、

[編集] 青森県を舞台にした作品

[編集] 映画

[編集] 小説

  • 津軽太宰治
  • 思ひ出(太宰治)
  • 若い人(石坂洋次郎
  • 青い山脈(石坂洋次郎)
  • 草を刈る娘(石坂洋次郎)
  • わが日わが夢(石坂洋次郎)
  • 八甲田山死の彷徨新田次郎
  • 海峡(井上靖
  • 飢餓海峡水上勉
  • 菜の花の沖<第五巻>(司馬遼太郎
  • 津軽世され節(長部日出雄
  • 津軽じょんから節(長部日出雄)
  • 消えた城塞(長部日出雄)
  • 風雪平野(長部日出雄)
  • 辻音楽師の唄―もう一つの太宰治伝(長部日出雄)
  • 桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝(長部日出雄)
  • 鬼が来た 棟方志功伝(長部日出雄)
  • 白い闇松本清張
  • おろおろ草紙(三浦哲郎
  • 白夜を旅する人々(三浦哲郎)
  • 百日紅の咲かない夏(三浦哲郎)
  • 拳銃と十五の短篇(三浦哲郎)
  • 野(三浦哲郎)
  • はまなす物語(三浦哲郎)
  • 夜の哀しみ(上)(下)(三浦哲郎)
  • しづ女の生涯(三浦哲郎)
  • おらんだ帽子(三浦哲郎)
  • みちづれ 短篇集モザイク(三浦哲郎)
  • 愁月記(三浦哲郎)
  • 曠野の妻(三浦哲郎)
  • 冬の雁 (三浦哲郎)
  • 宇曽利湖心中 (三浦哲郎)
  • 愛はこんがらがって (みうらじゅん
  • 魚影の群れ (吉村昭
  • ブルー・スノウ (川田拓矢
  • 津軽三味線 (倉光俊夫
  • 晴子情歌 (高村薫
  • 新リア王 (高村薫)
  • 生(田山花袋
  • あん火(佐藤紅緑
  • 父の葬式(葛西善蔵
  • やり・へら・にっこ(安岡章太郎
  • 空と山の間(田澤拓也)
  • 津軽太平記(獏不次男)
  • 私の胸には蝮が宿り(長坂秀佳
  • 蒼茫の大地、滅ぶ西村寿行

[編集] 紀行文

  • 街道をゆく三、陸奥のみち肥薩のみち(司馬遼太郎)
  • 街道をゆく 、北のまほろば(司馬遼太郎)

[編集] アニメ

[編集] ドラマ

[編集] ドキュメンタリー

[編集] 漫画

[編集] 音楽

※モノローグ部分の方言を間違えている事が指摘されている。
※ただし歌詞中の人々は北海道へと都市部(東京)から帰る途上であり、当歌と青森県の関連は比較的薄い。

[編集] マスメディア

[編集] 新聞

[編集] テレビ局

[編集] 地上波放送

  • NHK青森放送局
  • 青森放送(RAB)(NNNNNS系列)
  • 青森朝日放送(ABA)(ANN系列)
  • 青森テレビ(ATV)(JNN系列)
  • FNNFNS北海道文化放送秋田テレビ岩手めんこいテレビのいずれかを受信している世帯がある(ただし、報道取材のためにフジテレビが青森市に青森支局を設置している。岩手めんこいテレビは八戸支局を設置している)。
  • 全国でも珍しく、山梨県山口県徳島県とともにFNN・FNS系列局がない(ただし、山梨・徳島は地域内の民放テレビ局が1局のみであり、山口はかつてフジ系のテレビ局が存在していた)。
  • もともと、青森県第3局目の民放テレビ局関係者はフジ系での開局を希望していたが、キー局のフジテレビが新しいネット局の開局に熱心ではなく、既存局の反発もあったため、テレビ朝日系で開局したという。(その名残で青森朝日放送の株主の1つにフジサンケイグループの産経新聞社がある)青森県にフジテレビ系列のテレビ局が開局できなかった理由は多数あると思われる。その為、競走馬生産が盛んにも関わらず、衛星放送が始まるまで競馬中継を殆ど見られないと言う問題を抱えていた。
  • TXNテレビ北海道を受信している世帯がある。
  • そのほか、津軽半島・下北半島の一部地域では北海道文化放送、テレビ北海道のほか、NHK函館放送局北海道放送札幌テレビ放送北海道テレビ放送の受信可能な地域がある。

[編集] ケーブルテレビ

[編集] ラジオ局

  • AMラジオ局
    • NHK青森放送局
    • 青森放送(JRNNRN系列)
    • AFN三沢(米軍三沢基地向けのラジオ放送。周辺地域でも聴くことが出来る。)
※ほか、HBCラジオSTVラジオが県のほとんどの領域で受信可能。IBC岩手放送秋田放送については、各県境沿いのごく一部に限り受信できる。さらに夜間は東北放送ニッポン放送TBSラジオ、遠方では東海ラジオABCラジオラジオ大阪、南西部ではRKBラジオKBCラジオも受信できる。ただし、CBCラジオ朝鮮中央放送(海州局)が停波する23時以降でないと聴取不可。文化放送KBS韓民族放送との混信があり県南東部でないとほぼ聴取不可能である。MBSラジオも混信が深刻であり南部の白神山地に遮られている地域でないと聴取困難である。
※ほか、北海道のAIR-G'NORTH WAVE、函館のFM局(FMいるか)が津軽海峡沿いを中心に受信できる。FM岩手が八戸市・三戸郡及び上北地方の一部で、FM秋田が津軽地方の一部で受信できる。

[編集] 軍事

津軽海峡公海特定海域)であるため、他国の核兵器を搭載した軍艦潜水艦の航行、および、津軽海峡上空の軍用機の通過が可能である。そのため、突発的な戦闘に対する専守防衛には、津軽海峡に面した警備所と、近接する後方基地が必要であり、青森県には海上自衛隊の拠点が置かれている。

また、戦後の冷戦時代には、仮想敵国ソビエト連邦実効支配するサハリン北方四島と近接する北海道に陸上自衛隊の主力拠点が置かれたが、航空基地攻撃に遭わない程度離れた青森県には、支援戦闘機の基地、および航空自衛隊の主力拠点が置かれた。

このような背景から、海・空においては北海道を含めた領域の拠点が青森県に置かれている。

陸に関しては、北海道が奪取された場合を考えての基地配備となっており、本州防衛のための前線基地とされている。そのため、方面総監部(上位の司令部)は、後方の仙台に置かれている。

なお、海上保安庁による沿岸警備に関しては、宮城県塩竈市にある第二管区海上保安本部の管轄となっている。

[編集] 自衛隊

陸上自衛隊東北方面隊第9師団
海上自衛隊大湊地方隊
  • 津軽海峡・宗谷海峡と青森県以北の沿岸海域を警備。地方隊(全国5区分)の総監部が大湊むつ市
  • 大湊基地(地方総監部)、函館基地隊、稚内基地分遣隊、余市防備隊、竜飛警備所、松前警備所。

北方領土などの問題で北からの攻撃があった場合、八戸基地に対策指令本部が置かれることになっている。

海上自衛隊(第2航空群
  • 日本最北端に位置する固定翼機の離発着可能な海上自衛隊航空基地。航空群(全国7個)が配属する航空集団の司令部は厚木(綾瀬市)
  • 八戸航空基地(航空群司令部・第2航空隊)
航空自衛隊北部航空方面隊
  • 北海道および北東北3県を警備。方面隊(全国4区分)の司令部が三沢三沢市)。
  • 三沢基地(方面隊司令部・第3航空団第6高射群)、千歳基地(第2航空団・第3高射群)。分屯地(稚内・網走・根室・襟裳・当別・奥尻島・長沼・八雲・大湊東北町車力・山田・加茂・秋田)

[編集] 在日米軍

第5空軍第35戦闘航空団
三沢飛行場に駐屯。

[編集] 軍事史

[編集] 青森県出身の有名人

青森県出身の人物一覧」を参照

[編集] 脚注

  1. ^ 農林水産省 平成19年度(概算値)、平成18年度(確定値)の都道府県別食料自給率
  2. ^ 労働力調査 年平均 都道府県別完全失業率(モデル推計値) http://www.stat.go.jp/data/roudou/pref/zuhyou/lt06y.xls
  3. ^ 厚生労働省 平成20年賃金構造基本統計調査(都道府県別速報)統計表1
  4. ^ 地域別最低賃金の全国一覧 http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/kijunkyoku/minimum/minimum-02.htm
  5. ^ 都道府県 地域別有効求人倍率 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000002nff-img/2r98520000002o56.pdf
  6. ^ 青森県社会経済白書(平成20年度版)pp.50 図1-1-12県外転出、県内転出の推移 http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kikaku/tokei/files/20hakusho.pdf
  7. ^ 青森県教育委員会 高等学校卒業者の進路状況—平成21年5月1日現在— pp2.表 卒業後の進路状況
  8. ^ 専修学校の学生は県内外に分類されていないため、実際には県外に流出する学生数は若干多いことを考慮しなければならない
  9. ^ 高校卒業後の県外進学者・就職者の中には住民票を県内に置いたままの可能性があるため県の人口統計の転出者数と異なる。このため、ここではデータに信頼性がある青森県教育委員会の進路状況調査の数値を利用している。
  10. ^ 22歳の数値は本県の大学卒業生以外の転出者も含む
  11. ^ 青森県企画政策部 平成21年青森県の人口
  12. ^ 青森県総務部財政課予算グループ 青森県の財政事情 http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/soumu/zaisei/files/zaiseijijou200912.pdf
  13. ^ 小口雅史「古代蝦夷の時代」 長谷川成一・村越潔・小口雅史・斉藤利男・小岩信竹『青森県の歴史』2002年3月 53ページ
  14. ^ 「爾薩体」は、岩手県二戸郡・九戸郡から青森県三戸郡にあたる地域を指すと考えられている。青森県では従来「にさて」と読まれることが多かった。「にさたい」「にさったい」とも読まれる。岩手県二戸市に「仁左平(にさったい)」という地名がある。かつては「爾薩体」と表記されており、古代の「爾薩体」につながると考えられる。
  15. ^ 将来の都道府県別総人口
  16. ^ 青森県の人口2009
  17. ^ [ 転入超過率(降順)の推移(平成17年~平成20年)(エクセル:31KB) http://www.stat.go.jp/data/idou/2008np/ritsu/zuhyou/sankou1.xls]
  18. ^ [都道府県別転出者の主な移動後の住所地(平成20年) http://www.stat.go.jp/data/idou/2008np/ritsu/zuhyou/sankou2.xls]
  19. ^ 青森県・青森県観光連盟 あおもり教育旅行ガイド
  20. ^ 青森県庁 東青地域県民局の概要
  21. ^ 青森県庁 青森県地域県民局及び行政機関設置条例
  22. ^ 青森県庁 平成20年度版 よくわかる青森県

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最終更新 2010年7月29日 (木) 13:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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