青野照市
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青野照市(あおの てるいち、1953年1月31日 - )は、将棋棋士。廣津久雄門下。棋士番号は114。静岡県焼津市出身。
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[編集] 人物
- 和服を好み、大一番の対局以外でも羽織袴の姿が多い。
- 観戦記や各種原稿も執筆しており、評論家のような硬派な文章で知られる。
- 研究派として知られ、特に持ち時間の長い順位戦では実力を発揮し、A級通算11期を数える。
- 対振り飛車急戦戦法のひとつである鷺宮定跡の創始者。創始者の青野とタイトル戦で連採した米長邦雄がともに西武新宿線鷺ノ宮駅(東京都中野区)付近に住んでいたことに由来する。
- 佐藤康光とのA級順位戦で後手番一手損角換わり戦法を採用し、敗れはしたものの戦法が流行するきっかけを作った。
- 東西対抗三段リーグ制度の最後のリーグ卒業者で、関西リーグ首位だった淡路仁茂と同時に四段に昇段した[1]。そのこともあり、二人は現在まで親友関係が続いている。
- A級に11期在籍し、その間、大山康晴、中原誠、米長邦雄、谷川浩司等としのぎを削り、さらに羽生善治、佐藤康光、森内俊之、藤井猛等(いわゆる「羽生世代」)が台頭してきた中でも健闘した。
1999年度のB級1組順位戦で1位となり、2000年に10年ぶりにA級に復帰したとき、羽生世代の棋士たちがA級の大半を占める中での活躍は「中年の星」として話題となった。 - 1997年10月27日、竜王戦2組・対中川大輔戦で僅か33手で敗れる。しかも逆転負けという非常に珍しい将棋であった。
- 2003年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントで女流棋士中井広恵に敗れた。現役A級棋士が女流棋士に負けた初の事例となった。
- 2007年5月の棋士総会の理事選挙に立候補してトップ当選し、日本将棋連盟の渉外及び営業広告・出版・販売担当の理事に就任した。
以前にも過去2期4年にわたって理事を務めた。 - 弟子に西尾明及び女流棋士の安食総子がいる。
[編集] エピソード
- NHK将棋講座テキストの連載エッセイに「インターネット上には罵詈雑言も多いが、その一方で自分を応援してくれる文章もあり励みになる」という趣旨の文章を書いた。その時に青野が閲覧した掲示板が「2ちゃんねる」だったことから、2ちゃんねる上で話題になり、「2ch名人」と言われた。
[編集] 昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
- 1968年 4級 = 奨励会入会
- 1970年 初段
- 1974年4月1日 四段(奨励会A組(旧三段リーグ)関東優勝、東西決戦は無し[1]) = プロ入り
- 1976年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1979年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1980年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1983年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1994年8月5日 九段(勝数規定)
[編集] 主な成績
[編集] タイトル戦登場
- 登場回数1、獲得0
[編集] 棋戦優勝
[編集] 在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
[編集] 将棋大賞
- 第3回(1975年度)勝率第一位賞・新人賞
- 第6回(1978年度)連勝賞
- 第25回(1997年度)升田幸三賞(鷺宮定跡)
[編集] 主な著書
- スラスラ出来る将棋定跡集(1979年11月、山海堂、ISBN 4-381-00603-8)
- 必勝!鷺宮定跡(1986年2月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0201-7)
- 新・鷺宮定跡(1997年3月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0207-6)
- 勝負の視点(1995年10月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-641-0)
- 第一線棋士!(2004年8月、清流出版、ISBN 4-86029-080-1)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月9日 (金) 10:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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