静岡県立掛川西高等学校

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静岡県立掛川西高等学校
過去の名称 冀北学舎
静岡県立掛川中学校
佐野郡城東郡立掛川中学校
静岡県立掛川中学校
静岡県立掛川第一高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 静岡県
学区 小笠
校訓 鍛えよう若き日を
設立年月日 1901年6月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(7学級)
理数科(1学級)
学期 3学期制
高校コード 22153J
所在地 436-0054
静岡県掛川市城西1-1-6
電話番号 0537-22-7165
FAX番号 0537-22-1765
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

静岡県立掛川西高等学校(しずおかけんりつかけがわにしこうとうがっこう)は、静岡県掛川市に所在する県立高等学校

目次

[編集] 概要

1901年に静岡県立掛川中学校として開校した公立進学校。文武両道を旨とし、創立から100年以上の歴史を有する遠州地方屈指の伝統校である。県内では野球の強豪校である。通称は西高掛西

普通科、理数科ともに1時限65分授業である。普通科は1日5時間目までだが、理数科は毎週月曜に6時間目の授業がある。英語は原則2週間木曜日に1度のweekly test、数学は原則毎週火曜日の確認テストが実施されており、国数英では週末課題が有る。理数科は数学の授業進度が普通科と比べて速く(普通科は理系クラスでも3年生で教科書の内容を1通り終えるのに対し、理数科は2年生で終える)、物理・化学・生物の3科目が全て必修となっている(普通科は文系クラスで理科総合Aと生物Iの2科目)。また12月から3月にかけて『理数科課題研究』を行っている。

掛川市の中心市街地にあり、校地に隣接して東に掛川城、北に国道1号、南に逆川がある。この中でも特に掛川城の麓に存在することは校歌にも歌われておりこの学校の大きな特徴のひとつであるが、中心市街地に3.7haの土地を占めていることから、移転論が出る事もある。

[編集] 沿革

  • 1877年 岡田良一郎が倉真村(現在の掛川市倉真)に私塾「冀北(きほく)学舎」を設立。
  • 1880年 静岡県立掛川中学校として設立。岡田良一郎が校長を兼任。
  • 1882年 佐野郡城東郡立掛川中学校となる。
  • 1886年 中学校再編により浜松中学校と統合。掛川中学校廃止。
  • 1901年 静岡県立掛川中学校として設立。開校式の行われた1901年6月1日を創立記念日とする。
  • 1948年 学制改革により静岡県立掛川第一高等学校となる。
  • 1949年 静岡県立掛川西高等学校と改称。男女共学となる。
  • 1986年 理数科を設置。
  • 2007年 時報をブザーからチャイムに改める。

[編集] 交通

[編集] 制服

  • 男子
学生服。冬服の左衿と、夏服の白Yシャツの左ポケット校章をつける。校章は、各自アイロンで貼り付ける。
  • 女子
冬は紺色のダブルのブレザー(裾短め)に同色の襞スカートを着用し、校章を左襟上方につける。靴下は紺ハイソックスである。シャツは白Yシャツ。夏は所定の白の上着に、冬と同様のスカートを着用。中間服として、シャツの上にクリーム色で右胸にワンポイント刺繍があるベストを着用。冬季は指定のベスト以外のベストセーター等の着用も許可されるが、ブレザーを脱いだ際、シャツのみや指定のベスト以外の衣服(ジャージ含む)の着用は「風紀上の理由」として禁止されている。ブレザーの裾が短い為、中に着たベスト、セーター等を裾からほとんどの女子生徒が出しているが、これも指導対象となる。
  • 共通
登下校には黒色の革靴、又は運動靴を着用。頭髪パーマをかけることや、染色、脱色は禁止だが、長さについての規定はない。
  • その他
男子の服装指導はそれほど厳しくないが、女子に対する指導は厳しく、スカート丈は近隣高校に比べると長めである。

[編集] 部活動

  • 音楽部
  • 吹奏楽部
  • 自然科学部
  • 美術部
  • 科学技術部
  • 文芸部
  • 演劇部
  • ギター部
  • 囲碁部
  • 将棋部
  • 食物研究部
  • 英語部
  • クイズ研究部
  • パソコン部
  • 茶華道部
  • 野球部
  • 男子バレー部
  • 女子バレー部
  • サッカー部
  • 男子テニス部
  • 女子テニス部
  • 柔道部
  • 剣道部
  • 水泳部
  • 陸上競技部
  • 卓球部
  • 弓道部
  • バドミントン部
  • 男子バスケット部
  • 女子バスケット部
  • アウトドア部
  • 應援團指導部
  • ダンス部
  • ビリヤードサークル
  • ソフトテニスクラブ
  • 競技カルタサークル
  • 社会文化研究会

以上4サークルは、平成19年度にメンバー募集を停止することが決定している。

[編集] 甲子園出場

[編集] 全国高等学校野球選手権大会

  • 1938年(昭和13年) 第24回大会
  • 1964年(昭和39年) 第46回大会
  • 1977年(昭和52年) 第59回大会
  • 1993年(平成5年) 第75回大会
  • 1998年(平成10年) 第80回大会

[編集] 選抜高等学校野球大会

  • 1961年(昭和36年) 第33回大会
  • 1975年(昭和50年) 第47回大会 ベスト8
  • 1994年(平成6年) 第66回大会
  • 2009年(平成21年) 第81回大会

[編集] 著名な卒業生

[編集] 政治

[編集] 経済

[編集] 司法

  • 伊達秋雄(裁判官、元東京地裁判事 / 砂川事件で米軍駐留違憲判決(伊達判決))

[編集] 軍事

[編集] 文化

[編集] 学術

[編集] スポーツ

[編集] 野球と応援団

野球の名門校であり、その応援にも力を入れている。

全校生徒が一丸となって応援団を結成するという考えから、例年、應援團指導部(通称エンダン)による熱血的な応援指導が行われている。特に一学期においては新入生に対する応援指導は厳しいが、この応援指導により結束感を高める狙いがあり、異なる中学校から進学した新入生たちのコミュニケーション形成にも役立っている。

応援の際には校名を「掛高」と称するが、同校の歴史上、「掛川高校」という名称を称したことは一度もない。対戦相手が「掛工」(静岡県立掛川工業高等学校)の場合は、例外的に「西高」と称している。

守備の際、本校のピッチャーがボールを投げた後「ストライク」(「アウト」)と叫ぶ応援パターンがあり、これが「ヤジ行為」との指摘を受けたため近年では公式試合において一部応援パターンの変更が見られる。

[編集] 校歌

下記すべての曲は公式ホームページで聴くことができる。

  • 静岡県立掛川西高等学校校歌
    • 制定年:不詳(概ね1904年(明治37年)ごろとされている)
    • 作詞:藤井金吾
    • 作曲:不詳(塙福寿とする資料もある)
    校歌は6番まであり、通常は短縮して1番、2番、6番を斉唱する。
    通常の斉唱のテンポは = 60 程度、ブラスバンド演奏のテンポは = 90 程度である。
  • 第一応援歌
    • 制定年:不詳
    • 作詞:不詳
    • 作曲:不詳
    野球の応援においては本校が敗北した際に斉唱する。ただし、次の高校の応援団との交代の支障になるため、最終試合で敗北した際にしか斉唱しない。
  • 第二応援歌
    • 制定年:1963年(昭和38年)
    • 作詞:高橋昭夫
    • 作曲:水谷直子
    野球の応援においては本校が得点した際に斉唱する。

群馬県立沼田高等学校と、校歌が歌詞、曲ともに酷似している。掛川西高で国漢教師をしていた岩崎莞爾教諭がその後沼田高で校歌の制定に携わったためと伝えられている。

  • 掛川西高等学校校歌 [1]
  • 沼田高等学校校歌 [2]

[編集] 学校行事

[編集] 学校祭

葛城祭(かつじょうさい)
  • 文化の部(6月
    いわゆる文化祭。2日間行われる。3年の各クラスが2年の内から企画を立案し(2年次から3年次のクラス替えは無い)、体験型アトラクションや自主制作映画等を一般入場者(内部生徒も視聴可)に披露する「クラス展」と、文化部の作品を展示した「文化部展」、体育館では吹奏楽部や音楽部、ギター部、應援團指導部の発表もある。また、1日目の展示終了後、本校の生徒対象の「中夜祭」がある。以前は2日目の展示終了後に行われていたが、そのときも文化の部と体育の部の間で行われるという意味から「中夜祭」と呼ばれていた。
  • 体育の部(9月
    いわゆる運動会。各学年1クラスを含む8つのグループで得点を争う。例年、優勝したグループには賞品が与えられる。

[編集] 冀北講演会

当校の前身である冀北学舎の名を冠した講演会。年に一回、社会で活躍するOB、OGを招いて開かれる。演目は講演者に委ねられているため、年によって異なる。

[編集] 過去の講演者

肩書きは講演時のもの。

[編集] 掛西紛争

1969年、全国の安保闘争のあおりを受け、西高でも学園紛争が勃発した。生徒から逮捕者4名を出した「掛西紛争」である。

発端は、アジア太平洋閣僚会議ASPAC。伊東市川奈で開催)の開催を阻止すべく1969年6月8日に行われた「ASPAC闘争」と呼ばれるデモ。

学校側は、このデモに参加した3年生8人に対する無期限の謹慎処分を決定。これに反発した生徒会長をはじめとする十余名の生徒らが「掛西反戦会議」を名乗り処分撤回を求め抗議行動を展開した。そしてこの抗議行動に外部の政治団体が加わるなどし、紛争の規模が急速に拡大。8月31日には若者ら300名と機動隊300名が衝突する騒ぎとなった。ただしこの騒ぎに参加した生徒はごく一部であり、ほとんどの生徒はこの動きを冷視していたと伝えられている。

掛西紛争は、高校生の活動が発端となって起こった学園紛争の希な例であり、大学生を中心に行われていた安保闘争が高校生に飛び火し拡大するのではと、当時全国から注目された。

[編集] モデル

掛川市・菊川市出身のマンガ家が当校を舞台に作品を描いている。ただし、いずれも架空の物語である。

  • 所十三の漫画『名門!多古西応援団』に登場する「多古多西高等学校」と「多古西応援団」のモデル。
  • 大島司の漫画『シュート!』シリーズ。
  • 小山ゆうの漫画『チェンジ』に登場する「菊川西高等学校」のモデル。野球部のユニフォームと帽子にその特徴が見られる。

[編集] 参考文献

  • 掛中掛西高百年史(2000年、「掛中掛西高百年史」編集部会、静岡新聞社)
  • 軌跡の探求(平成2年度葛城祭実行委員会)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月25日 (水) 19:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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